後篇 ありがとう。私を愛してくれて
歴史は、繰り返す。人間の本質が変わらない以上、この悲劇を繰り返すのだ。人間の悲しみや苦しみ、妬みや嫉みなど。人が人である以上は、その地獄を繰り返すのである。
私は、その事実に震えた。先祖の記録、シルフィーの手記を読んで、その悲劇にフラついてしまった。私の未来に待っているのは、これと同じ物。夢も希望もない、結婚生活である。主人の顔色を伺って、そのご機嫌を取る生活。それが私の、未来の自分に待っているのだ。
私は「それ」が怖くて、机の上に突っ伏した。それを見ている侍女が、心配そうだけど。自分の事で精一杯だった私は、彼女への配慮を忘れてしまった。彼女の「大丈夫ですか?」も無視して、子供のように泣いてしまった。彼女に自分の背中を抱きしめられた時も。
私は机の上にある物を乱し、地面の上にティーカップを落とし、部屋の壁にも印矩瓶を投げて、侍女の顔にまた向き直った。「死にたい!」
そう、叫んだ。彼女の「落ち着いて下さい!」にも応えず。自分の気持ちを、この憎らしい感情を吐きつづけた。
あんな男と結婚するくらいなら、死んだ方がマシ。机の中に入れてある短剣、それで自分の喉を裂いた方がマシ。あの男の前で、死の宣言をした方がマシだった。
私は侍女の前に泣き崩れ、その足首を握って、彼女に「殺して!」と叫んだ。「こんな結婚、嫌!」
侍女は、その声を無視した。声はちゃんと、聞えている筈だけど。私の声に応えるつもりは、ないらしい。私の気持ちを宥めるだけで、それに応えようとはしなかった。
彼女は私の頭を撫で、両目の涙を拭って、私の体をまた抱き締めた。「お支えします。貴女の心を、貞操を。このわたくしが、そばで」
お支えします。そう言われても、うなずけるわけがない。彼女の体を、背中を「無理、無理!」と叩くだけだった。私は自分の現実、特に「未来」の部分に落ち込んで、侍女の体から手を放した。「私はもう、終わった」
侍女は、その言葉に黙った。本当は何か……うんう、何でもない。彼女に当たっても、状況は変わらないから。自分の気持ちを殺して、この婚約を受け入れるしかない。
私は乱れに乱れた室内と同じ、グチャグチャに乱れた気持ちで、自分の侍女に「ごめんね」と謝った。「私の着替え、手伝って下さい」
侍女は、その指示に従った。私の涙を憂えるように。彼女は悲しげな顔で私の着替えを手伝い、そして、社交界の扉を開けた。
社交界の扉は、眩しかった。四方の壁に掛けられた燭台、その上で燃えている灯火が、天上から吊されているシャンデリアの明かりと相まって、部屋の中を「パッ」と照らしていた。
その下で躍っている人々、紳士淑女の方々も、社交界の雰囲気に当てられているのか、理性でも隠せない本能を現している。私の婚約者となった男、部屋の真ん中で美女達に囲まれている男も、その不細工な笑みを浮かべていた。
私は、その笑みに息を飲んだ。国中の女性達から「貴公子」と呼ばれている彼、私自身も見た目だけなら「一級品」と言える彼の姿が、私の心を一瞬だけ乱したからである。私は自分の心に首を振って、彼の前に歩み寄った。「お待たせ致しました」
相手は、その声に笑みを消した。美女達との会話に華を咲かせる中で、その本心を、一瞬の不快感を見せたのである。彼は美女の一人にグラスを渡すと、私の前に歩み寄って、その手にキスをした。「我が愛しき人よ。遅れてきたのは、我が愛を試すためか?」
私は、その言葉に固まった。婚約が決まるまでは、ほとんど話した事がなかったのに。婚約の話が出来た瞬間、その距離感が一気に消えてしまった。彼はもう、私の事を私物化している。王族の血が流れる私を、自分の玩具と思っていた。
自分の欲望を持たす、文字通りの捌け口。私の背中を(嫌らしく)撫でる手付きは、私に対する支配宣言だった。私は背中の手を払って、目の前の青年に頭を下げた。女好きで有名な青年に有りっ丈の憎悪を込めて。「アナタの目を奪われたくないから。最後の魔王を請けおったのです」
彼は、その冗談に腹を抱えた。皮肉を皮肉と感じない、その精神が思わず「ニコリ」と笑ったらしい。彼は私の腰に手を回して、そのステップを促した。「ならば、その魔王を打ち倒そう。王国の伝説にある、シルフィー様のように。『君』と言う魔王を打ち倒してやる」
私は、その言葉に「カッ」となった。「カッ」となかったが、その表情を変えなかった。三下相手に本気を出すのは、馬鹿のする事。自分の品位を落とす事である。私は、自分の品位を落としたくない。王室の伝説に出てくる、あの女性と。私は自分と同じ名前、(周りからは)同じ見た目の女性に思いを馳せた。「私も、貴女と同じ」
運命と辿る。そう思える感覚がある。私もきっと、自分の人生を呪いながら。私は相手の男に身を任せる中で、その恐ろしい想像に目眩を覚えつづけた。「助けて、お願い」
誰か……。そう思った瞬間に響いた轟音、何かの怪物が叫ぶような声。それが舞踏会の演奏と重なって、部屋の中に響いたのである。私は、その音に足を止めた。「今の音は一体、何なのだろう?」と、そう内心で思ったのである。
私は相手の体から手を放して、周りの景色を見渡した。周りの景色は、私と同じ。今の声に驚いている。自分の命を脅かすような、そんな声に体を震わせていた。
私は……自分でも分からないが、何かに使命感に駆られた。「自分が何かと叩かなければいけない」と言う、そんな感情に揺さぶられてしまった。私の肩を掴んできた、彼の「おい?」を無視して。自分の、自分の中にある本能を感じてしまった。
私はコイツと、この状況と戦わなければならない。彼の制止に「うん、うん」とうなずいている場合ではなかった。私は、衛兵達の前に走り寄った。「誰でも良いから、剣を貸して下さい!」
お願いします! そう叫んだが、相手の兵達は「ポカン」としている。今の揺れは確かに強かったが、それ以外に何も異変は見られない、何人か兵士達が原因を調べに行った事も、彼等の中に慢心を、一種の安心を作っているようだった。今の揺れは、ただの地震。そんな風に考えていたようである。
私は「それ」に苛ついたものの、それを否める理由もなかったので、彼等に「ごめんなさい」と謝り、彼等の前から「取り乱しました」と歩き出した。いや、歩き出そうとした。視線の先に彼を認めたけれど。それに苛立つ以外は、前の場所に戻ろうとした。私は次の悲鳴、兵士の悲鳴に振り返った。「え?」
血? 会場の外から? 兵士達の悲鳴に重なって、会場の中に血が流れ込んだ。私は床の上に零れたワイン、その波紋を眺めるが如く、床の上に広がる血を眺めつづけた。「あ、ああ」
そ、そんな、嘘? 兵士の体を魔物が、大きな獣が咥えている。記録の中にしか出てこないような、そんな獣に体の鎧ごと咥えられていた。魔物は会場の中に入ると、自分の周りを見渡して、その一つ一つに怒りを飛ばした。
私は、その眼孔に怯んだ。怯んだが、同時に闘志を抱いた。「コイツを狩らなければならない」と言う衝動、その感覚に血が湧き上がったのである。私は兵士の一人から剣を奪って、魔物の前に躍り出ようとしたが……。
余計の者が一人、貴族様のボンボンが口を挟んできた。彼は陳腐な常識に捕らわれているらしく、周りの兵士達に「アイツは、何だ?」と叫び、その無能さ、愚かさを罵りはじめた。「あんな物を通すなど! お前等の目は、蓮根か!」
それに思わず、吹きかけた。人間性の面では、兵士達の方がずっと上。事態の理解よりも対処を選んだ兵士達の方が、彼よりもずっと上等だった。兵士達は安全な場所に貴族達を引っ込め、王族達にも「脱出口に早く!」と叫んだが、やはり手遅れだったらしい。「魔物が一体だけ」と思い込んでいた私達にとって、二体目以降の登場は衝撃だった。
会場の出入り口から、どんどん入ってくる魔物達。魔物達は最前列の兵士達を蹴散らせると、その奥に立っている貴族達を見つけて、自分達が襲いやすい相手から次々と襲い掛かった。貴族達は、その光景に震えた。
得体の知れない化け物が、会場の中に入ってきただけでも怖いのに。それが自分達を襲いはじめたとなれば、狂気のままに狂うしかなかった。彼等は自分の同胞が次々と狩られていく中で、自分の命を、自分だけの未来だけを考えつづけた。「邪魔だ、退け!」
そう、叫ぶ声も聞えた。隣の人間を押し飛ばし、自分だけ逃げようとする人間も。彼等は人間の理性を忘れて、会場の中を走りつづけた。私は、その光景に「地獄」を見た。人間が作る地獄を、それが生みだす悲劇を、自分の血潮が脈打つ中で感じつづけた。私は周りの声に反して、妙に落ち着いていく自分、自分の思考が研ぎ澄まされる感覚を覚えた。「殺してやる」
コイツらを。一匹残らず、殺してやる。私は右手の剣に力を入れ、一体の魔物に切り掛かろうとしたが……。あの男がまだ、邪魔をしてきた。私の剣を見て、それを「寄越せ」と奪ってきた。彼は私の背中を蹴り、つまりは魔物達への囮に使って、ここから逃げようとした。「婚約者なんだから、それくらいの事はしろ」
私は、その声に苛立った。苛立ったが、追いかけられなかった。彼の判断は(悔しいが)素晴らしく、魔物達のほぼ中心、全員の視線が集まる場所だった。私は私の前から遠ざかる彼の背中を眺める中で、自分の未来に生唾を飲んだ。「殺される」
魔物達への戦意が消えたわけではないが、これはほとんど確定事項。人間の力が魔物に敵う筈はない。手足のすべて、胴体のすべてが噛み切られる。身体が肉片になれば、流石の現代医術でも治せない。私は自分の人生、特に今の自分に唾を吐いた。「くだらない人生。こんな人生なら」
生まれていこない方が、良かった。そう思った瞬間に吹いた薫風、私の魂を揺さぶるような風。私は、その風に向き直った。何処か懐かしい感覚と共に。私は自分でも「間抜け」と思う顔で、目の前の青年を見つめた。手記の中に出てくる青年を、シルフィーの想い人を。彼の影に守られるようにして、その背中を見つづけたのである。
私はその感動を抑えて、目の前の青年に話し掛けようとしたが。相手にその続きを遮られてしまった。相手は自分の剣を握ったままで、後ろの私に話し掛けた。「無事か? シルフィー」
私は、その質問に苦笑した。彼が私を、「シルフィー」と思っているから。自分の大好きな人に私を重ねているから。その事実に心を締め付けられてしまった。
私は、彼の誤解を解こうとした。解こうとしたが、その言葉を飲みこんでしまった。私が彼に自分の正体を話そうとした瞬間、彼が私に「今度は、破らない」と言ったからである。
私は「それ」に打たれて、彼の言葉にうなずいた。「うん」の中に「ごめんなさい」を込めて、目の前の、そして、本物のシルフィーに謝った。「私が二人目になるから」と。
私は彼に背を向けて、目の前の敵に向き直った。今もなお、「う、うっ」と唸っている魔物達に。
「封印が解けたのね?」
「……ああ。俺としては、頑張ったつもりだけど。人間の力じゃ、やっぱり無理だったわ。お陰で、時間の感覚もなくなっちまったし。魔王本体も逃がしちまって」
「そう」
一瞬の沈黙。でも、その沈黙が心地よい。自分の気持ちが澄みきるような、そんな感覚を覚えた。私は右手の拳を握って、自分の頭上を見上げた。
「ねぇ?」
「うん?」
「ありがとう、私を愛してくれて」
ありがとう。私を愛してくれて 読み方は自由 @azybcxdvewg
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