ありがとう。私を愛してくれて
読み方は自由
前編 ありがとう。そして……
魔王の討伐から一週間程前。夜空の星が輝く下で、貴方は私にこう訊いた。「一人の未来と世界の存亡。そのどちらかを取らなければ、ならなくなった時。貴方は、どちらを選びますか?」と。貴方は好奇心に溢れる目で、私の答えを待ちつづけた。「俺は断然、一人の未来を選ぶ」と。
私は、彼の答えに苦笑した。苦笑したけど、気持ちの中では嬉しかった。貴方がそれだけ、私を大事に思っていたから。はにかんだ笑顔の奥に熱を見せてくれたから。私は自分の胸にも熱を感じて、彼の手を握り、そして、魔王との戦いに挑んだ。
魔王との戦いは、熾烈だった。みんなの得意分野、パーティーの組織力を極限までに上げ、目の前の敵、文字通りの仇敵に挑む。自分の命を賭けて、相手に自分のすべてをぶつける。私も自分の役目、自分の全力を出した。私は自分の魔力が尽きるまで、魔王に自分の力をぶつけつづけた。「いけぇえええ!」
そう叫んだ私に続いて、周りのみんなも叫んだ。私の前に立っていた貴方、パーティーの勇者もそれに続いた。私達は「死」と「生」の間に立って、貴方の最期を見た。肉体ではなく、精神の死を。精神を贄にした、勇者の自己犠牲を。
貴方は魔王の命を仕留めるために、跡形もなく滅ぼすために、自分の精神を燃やして、魔王の体を焼き払った。「しぶとい野郎だ。俺の精神まで、まさか」
そう言って、私の方を振り返った。何処か悲しい笑みを浮かべて。
「シルフィー」
「は、はい!」
「ごめんな」
私は、その言葉に黙った。貴方が何を謝り、貴方を破ったのかが分かったから。貴方の「さようなら」を聞いても、彼に自分の本音を言えなかった。私は、貴方の背中から視線を逸らした。
貴方の前から光が消える光景を、貴方が光の奥に消える光景を。疲労と悲哀の中に感じつづけた。私は目の前の光が消えると、貴方の前に走り寄って、その体を抱きしめた。「魔王の封印」と言う、貴方の自己犠牲に怒って。
貴方の自己犠牲、私達の偉業は、世界の人々に称えられた。故郷の王からは「良くやった」と褒められ、周辺諸国の盟主達からも「救世主!」と崇められた。私の母、つまりは王の妃からも「貴女は、私の誇りです」と称えられた。
私は、それらの声に戸惑った。国の王女でありながら冒険に繰り出し、貴方が作ったギルドに拾われ、魔王の討伐に加わった私だが、こう言う賞賛には(やっぱり)戸惑う。旅立ち前には普通だった社交界への参加が、今では億劫に感じられた。
私は戦勝気分に浮かれる国の空気が落ち着くまで、周りの流れに従いつづけたが……。ある話をキッカケとして、その空気をすっかり忘れてしまった。有力貴族との婚約。それが私の知らない所で、国王直々の命令で、秘密裏に結ばれていたのである。
私は父から聞かされたその話に驚き、迷い、戸惑い、そして、父に「勝手に決めないで下さい!」と怒った。「私の相手は、私が決める。自分が結ばれたい人を! 私は」
そう言う気持ちで、飛び出した。王宮の中で怯えるのではなく、この手で魔族と戦うために。大事な未来を、大切な未来を守るために。私は私の意思で、この場所から飛び出したのだ。それなのに! 私は、自分の父に怒鳴った。
「出て行きます」
「なに?」
「家の面子で……。本当は、それも無視すれば! 私は、私の場所に戻ります」
そう叫んだ瞬間に掴まれた。私が「放して!」と振り上げた腕を「黙りなさい!」と掴まれたのである。父は悔しくも寂しげな顔で、私の手を放し、周りの人々を見渡して、私の顔にまた向き直った。
「我々は、王族だ。民のようには、行かない。好きな人間と好きなように結ばれるのは。お前と婚約を結んだ相手も、魔王との戦いに」
お金を出した。王家との釣り合い、家の位もあるだろうけど。結局は、そこに行く。戦争への援助、各ギルドへの支援。それらが滞れば、戦争自体が出来なくなるのだ。書物の中に出てくるような、ワンマンプレーの戦争は出来ない。
私が今日まで生き残れたのも、そう言う勢力が冒険者に力を貸していたからである。私は冒険の中で学んだ現実、現実の苦しさに奥歯を噛んだ。「相手の方は?」
知っている人。それも、私の嫌いな人だった。端正な顔立ちの裏に下衆な本性を隠す青年。私の幼馴染で、女癖も悪い有名な男だった。彼は(正確には、彼の家だが)国や王家に様々な支援を施し、その政治的影響力を上げて、今は王国一の名家になっていた。
私は、その人と結婚する。王国では当たり前の、政略結婚だけど。大司教の前に立って、彼に、神に、永遠の愛を誓う。その相手がどんなに酷い相手でも、天に愛を告げなければならなかった。
私は、その現実に負けて……泣いた。冒険の中で「泣いて堪るか!」と耐えた涙を。自分の運命を嘆いて、その頬に垂らしてしまった。
私は真っ暗な精神に負けて、父の前から歩き出した。父は、私の背中に怒鳴った。「何処に行く?」と。私は、その声に足を止めた。自分の気持ちを、この耐えがたい苦痛から逃げるように。「彼の所に」
父は、それに溜め息をついた。彼が今も目覚めない事は、父も知っている。王室の特別病棟に運ばれ、そこで特別な治療を受けている事も。世界を救った勇者として、格別な治療を受けていた。父はそれを知った上で、私に「忘れなさい」と言った。「彼は、昔の男だ」
私は、「カチン」と来た。父の言葉に、彼を「過去」にする言葉に。心の底から「許せない」と思った。私は人間の、女の、動物の本能で、父の顔を殴った。
「直せ! 彼は、昔の男じゃない!」
「くっ」
「今の人だ。今の、これからの、未来の人だ!」
それを、それを、それを! 私は自分の怒りに従って、父の顔を殴りつづけた。「謝れ、謝れ、謝れ!」
父は、謝らなかった。私の拳に怯む、その表情だけを見せた。我に返った近衛兵達が、私達の所に駆け寄ってきた時も。私の暴言を聞いているだけで、私には自分の気持ちを返さなかった。父は玉座の上に座りなおすと、口の血を拭って、私の顔を見下ろした。「彼が世界を救ったのは、お前のためだ」
お前の世界を守る。お前が生きる未来を守るためだ。「彼の思いを無駄にしては、行けない。お前は、お前の立場で、お前の立ち位置で、お前の幸せを守らなきゃならない」
父は玉座の背もたれに寄り掛かって、額の上に右手を乗せた。そうする事で、自分の気持ちを落ち着かせるように。「男の覚悟を無駄にするな」
話はそこで、終わった。本当はもっと、父の意見をねじ伏せようと思ったけど。意見の中に「平行線」を感じた私は、父への挨拶はもちろん、周りへの礼節も忘れて、彼の居る病室に向かった。病室の中には彼、貴方が眠っていた。愛用の鎧を脱ぎ、枕元に自分の相棒を置いて。あの夜に見せた穏やかな笑みを浮かべていた。
私は、その顔にキスをした。起きていた頃には、恥ずかしかったキスを。何も迷いも、躊躇いもなく、貴方の唇にキスをした。私は貴方の頭を抱きしめ、その額にまたキスをした。「また、一緒に走りたい。貴方の隣に立って」
そう、願った私だけど。それが簡単に叶う筈はない。物語の中に書かれるような、そんなラブロマンスは起らないのだ。決められた事が、決められた通りに起る。式の日取りが決まり、双方の顔合わせが決まる。楽しくもない食事会に「出ろ」と言われる。地獄のような時間がただ、流れるだけだった。
私は一番苦手の作り笑いを浮かべて、聞きたくもない自慢話にうなずき、つまらない冗談に笑い、下世話な話題に「ケラケラ」と笑った。「私達が魔王を倒せたのは、アナタのお陰です。ありがとう」
相手は、それに喜んだ。普通なら「嘘」と分かる筈だが、彼には「それ」が「嘘」に見えない。お世辞の意味をそのまま受け入れ、上面の快楽に「いやぁ」と酔い痴れる。相手がどう言う意図で言っているかは、その頭には過ぎらない。「都合の良い女」と思っている。彼はそんな彼に呆れながらも、「彼の力に抗えない自分は、もっとダメだ」と思った。「みんなもきっと、喜んでいる」
旅の終わりに別れた、彼等も。そう考えた瞬間に何故か、怒鳴られた。テーブルの上を思い切り殴られて、目の前の彼に「うるさい!」と怒鳴った。彼は椅子の上から立ち上がると、私の隣に立って……殴った。王家の王女である私を、私の父が見ている前で、その頬を殴り飛ばした。
彼はそれで飛ばされた私の前に近付き、その胸倉を掴んで、私の目をじっと睨んだ。「君は、俺の妻だろう!」
だから? そう思った瞬間に「ハッ」とした。彼の本意を、その恐ろしい意図を。彼は様々な女性に手を出すが、それが余所に行くのは許せないのだ。女性が仲間の話をするのも、許せない。彼は「自分の物にした女」は徹底して、自分の管理下に置く人物だった。「浮気するんじゃない」
私は、その言葉に苦笑した。世間知らずのお坊ちゃんは、こんなにも我が侭な事に。自分の経験もあって、心の底から「情けない」と思ってしまった。こんな男と結婚する、自分自身の人生にも。私は「自分の人生は、本当に終わった」と思って、目の前の男に頭を下げた。「申し訳ありません」
相手は、それに満足した。実に単純、阿呆の極みだけど。自分に対する従順な態度が、心の底から嬉しいようだった。彼は私の手にキスをして、地面の上から立たせた。「式の時は、期待しているよ?」
私はまた、彼の言葉に苦笑した。そうする事で、彼の機嫌を取るように。私は「嘘」の仮面を作って、今回の食事会はもちろん、式の当日にも笑顔を浮かべつづけた。
彼との子供が出来たのは、それから二年後の事だった。王国の誰もが望んだ、男児。王家の直系血族。王位の継承権はまだ低い方だが、父の反応から察して、我が夫よりも即位は近いようだった。私は夫の女遊びに目を瞑る形で、自分の子供を、そして、愛する男を看つづけた。「夫は、最低だけど。子供は、可愛い。笑った顔が、天使に見える」
男は……貴方は、私の声に応えない。封印の代償なのか、あの頃と同じ顔で眠っている。枕元の武器は流石に手入れされているし、鎧も王宮の備品庫に移されているが、それ以外は彼がこの場所に寝かされた時とまったく同じだった。
私は彼の頭を撫でてて、その額にキスをした。血色の良い、青年の頬を。「羨ましい。私の旅はもう、終わっちゃった」
そう呟いてもやっぱり、目を瞑ったまま。間抜けな顔で、「スヤスヤ」と眠っている。私は、その顔から離れた。恐らくはもう、目覚めない顔を。私は、少女時代の思い出に背を向けた。「さようなら」
そして、「ありがとう」と。
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