むしょくとうめい

羽川明

むしょくとうめい

 会社をクビになって、どのくらいたったろうか。

 何もない冬に絶望して、やることがない春をさまよって、逃げ場のない夏を苦しんで、また、冬が来てしまった。

 俺は今、本当の意味で何者でもない。

 ずっとずっと、辞めたかった会社だ。

 それでも、今は続けていられたら良かったと思う自分がいる。

 どうしてだろう。わからない。

「あ」

 気づいて、手を顔の前にかざす。

 手のひらが半分透けていた。

 まただ。

 無職になってから、どうしてか俺の体は端から色が抜け落ちていっているらしかった。

 一日に二、三度、こうして手足が半透明になる。

 時間も頻度もだんだん増えてきて、最近では指先が完全に透明になってしまった。

 原因はわからない。

 何者でもない無職の俺は、色彩を持つことすら許されないのだろうか。

 は、がお似合いなのか。

 笑えないジョークだ。

 携帯が震える。

 リマインダーが面接の時間を告げた。

 正社員でも契約社員でもない。バイトの面接だ、さすがに受かるだろう。

 甲まで透けた足に靴を履かせ、自転車を漕ぐ。

 向かうは最寄りのスーパーだった。

「落ちたら行きづらくなるな」

 行きづらくなるし、生きづらくなる。

 それでも、行くしかなかった。

「あぁ?」

 前方の道が横並びになって歩くおばさん集団に塞がれていた。

 自転車のベルを鳴らす。どいてくれない。

 しつこく激しく鳴らし続けると、ようやくどいた。

「ったく、邪魔クセェな」

 おばさん集団は、どうしてか驚いた顔をしていた。直前までベルの音に気づかなかったのだろうか。

 スーパーに着く。面接の時間まで三十分以上ある。まだまだ余裕だった。

 時間を潰そう。正面からスーパーに入って、店内を適当にうろつくことにする。

「あ、店長だ」

 生鮮食品のコーナーに店長がいた。

 バイトを応募した時の電話の相手だ。面接もきっとこの人だろう。声くらいかけておくか。

「てんちょー」

 反応がない。歩み寄りながら手を振る。

「てんちょー」

 やっぱり反応がない。魚の切り身を並べるのに夢中だ。

「店長?」

「ん? あぁ、えぇっと、バイトに応募してくれた子、だよね」

「はい」

 手を伸ばせば余裕で届く距離だ。そこまで近づいて、やっと気づいてもらえた。

 どうもおかしい。

 手を確認すると、透明化はおさまっている。関係なさそうだった。

 考えすぎだろうか。


 面接の時間になった。

 履歴書を出すと、会社を辞めた理由や、その後の空白期間についてつっこまれた。当たり前か。どちらも適当に濁して、やる気があることと、シフトの融通が効くことをアピールした。

 結果は後日電話で知らせると言われ、面接はそうそうに終わった。

 多分落ちた、そのくらい馬鹿な俺にもわかった。 

 帰り道、自転車をこぐ気になれず、押して帰っていると、腕まで透けていることに気づいた。

「は?」

 手の指はほとんどかすんでいて、手首もかろうじて輪郭がわかる程度だった。

 また色が抜け落ちている。それも、さっきより急激に悪化している。

「うわっ」

 目の前すれすれを車が突っ切った。自転車の前輪がぶつかり、派手に転倒する。

 車は目もくれずに走り去って行く。これじゃひき逃げだ。

「畜生……畜生っ!!」

 ざらざらのアスファルトに拳を打ち付ける。最悪な気分だった。

 やはり、何かがおかしい。色が抜け落ちてきてるだけじゃない。

 俺の存在感さえ、かすんでいるのかもしれない。

 頬を水滴が伝う。雨は降っていない。涙だ。

「なんでだよ……なんで……」

 このまま、何者でも、何色でも無くなってしまうのだろうか。

 曇っていた空から雨粒が降り落ち、すぐに大雨に変わった。

 ずぶ濡れになりながら自転車を押して帰る。

 バイトは受かりそうにない。母さんになんて言おうか。

「は? はぁ?」

 家が見えてきたころ、気づいた。

 雨が肌の上で跳ねない。すり抜けて、そのまま地面に落ちて行く。

「ふざけんなよっ」

 自転車のハンドルを殴りつける。拳がジンジンと痛んだ。

 次の瞬間、握りしめていたそのハンドルが、手からするりと抜け落ちた。

 手のひらが、いや、手首まで、輪郭がほとんどわからないまでに透け始めていた。

 体の色が急速に抜けていっている。

 おかしい。おかしい。おかしい。

「こんなのっ!!」

 喉が潰れたように、声が出なくなった。

 二の腕まで半透明になっている。下半身の方は、ほとんど跡形もなかった。

「ふざけんなよ!! 俺は、俺は、ここに、」

 確かに、ここいいる。

 はずだった。


 とうとう、すべての色が雨に流されてドブの中に消えた。

 何者でも、何色でもなくなってしまったは、その日行方不明になった。



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