あなた以外宛のラヴレター

碧海にあ

あなた以外宛のラヴレター

 突然のお手紙失礼します。驚かせてしまっていたらすみません。尤も、手紙で驚くようなあなたではないでしょうが。

 打ち明けてしまいたいことがあるのです。誰にも伝えていないことです。私があなたに恋をしてから四年と半分の月日が過ぎました。私はもうこの想いを胸に留めておくことが辛いのです。ですからどうか私めが筆を持つことをお許しください。

 そしてこの手紙を見つけた方、もし読んで頂けるのなら、そのときはどうか私を嗤ってください。

 

 始まりは一四の頃でした。私の友人が、友人として私に紹介したクラスの女の子。それがあなたです。周りが見えなくなるほどの可愛さの子。綺麗に切り揃えられた前髪と、大きな澄んだ目が美しい子。第一の印象でした。私のような平凡の下の者には関わることも要らないようなあなたは、そのはずなのにどういう理由か段々に私のすぐ近くにいるようになっていたのです。学校へ行く道で、教室で、無尽蔵に人の散る体育館で。その間、あなたが私の隣にいた時間は親よりも長かったことでしょう。休日に出かけたり、行事には同じ部屋に眠ったり、毎日のように帰り道遠回りをしてみたりと多くの時を共にするうち、知らずして私は可愛いあなたが大切になっていたのです。馬鹿らしいと言われるでしょうか、私はあなたを愛していたのです。そしてそれはきっと俗に恋と呼ばれるものなのだと気が付きました。

 私たちは幾度も手紙を交換しました。私はまたあなたの美しく可愛らしい字が好きだった。綴られる優しく素直な言葉も。全てが愛しく、幸せな時間でした。友人である私たちはお互いに好きだと言い合えた。私だけは、いつの間にか大きく育ってしまった恋心を隠したままに。あなたが私にくれる好きと、私が抱える好きが違っていることには自覚がありました。それでも良かったのです。愚かな私には、恋愛に興味を示さないあなたに誰より好いてもらっている自信があったから。私の家で他県に引っ越しが決まるかも知れなかったと伝えたとき、あなたの見せたその泣きそうな表情と少し揺れたそうならなくて良かったと言う声に、私の心は震えて喜んだのです。また私と同じようにあなたに恋をした学友の男子から相談を受けることも何度かありました。しかしやんわりと助言を呈しつつ、私は私の心の優越感が染みるのをわかっていました。彼らの誰よりもあなたを好きで、一番近くにいたのは私だったから。誰よりもあなたを知っていた。好きな音楽も、嫌いな食べ物も、細く白い手首に隠された傷も。他の誰も知らないあなたを私だけが共有されていました。私だけがその全てを知って愛していました。そしてそのことをわかっていたから、私は安定した心でいることができました。

 けれど、いかなる安定も長くは続きません。中学校を卒業し、私達はそれぞれ違う処に進学が決まっていました。あなたに直接会える頻度が減る日々、ところがあなたは日が経つごとますますその美しさを増していくのです。かわいいあなた、素敵なあなた。あなたのその魅力にどれだけの人が惚れてしまうのでしょう。仕方のないことです。だって惹かれるなと言う方が無理な話なのですから。ですがそのことが怖くてならなかったのです。会えない時の中で、いつしか私はあなたの中の私の場所を見失ってしまいました。もしも私の知らない処であなたが誰かと一緒になってしまったら、ああきっと私はどうにかなってしまう。勿論知っていました。私があなたを正しく愛しているのなら、あなたの自由を望むべきなのです。あなたの信じた幸せを私も信じるべきなのです。知っていました。知っていたのです。けれども、どうやら私の愛は歪んでいるらしかった。私はあなたが離れていってしまうのをどうしても良しと思えませんでした。しかし同時にこの醜い感情が私は気に入らなかったのでした。

 私はどうにかしてこの清潔でない愛を正しいものに変えようと、出鱈目な努力に奔りました。正しい愛のためには恋を捨てることが必要だったのです。私は、私が他の誰かに恋をすれば良いと思いました。そうすればあなたへのこの歪んだ恋心を忘れられると思ったからです。しかしこれは上手く行きませんでした。あなた以外に恋をする方法など、私の心は疾うに忘れてしまっていたのです。私は困った挙句よく知りもしない相手と情を重ねてみたりしました。ですが、これも上手くは行きませんでした。あなたは私の中で絶対的なその椅子に座り続けているのです。私を慰みものにした相手の家から帰る間にも、私はあなたを想っていました。ああ気持ち悪い。汚らわしい。私はただ徒に自らの花を散らしたまででした。綺麗なあなたと穢れていく一方の私。あなたが私に触れてくれる度、癒やしを感じるのと同時に、己の不潔さを眼前に突き付けられるのでした。酷く惨めな気分でした。そして、あなたの傍にいることが怖くなりました。汚い私が近くに寄ってはいけないと。あなたが私の近くにいることで汚れてしまっては堪ったものではない。思っても、それでもあなたに会うことを喜ぶのですから、やはり私の愛は正しくなどないのです。より一層あなたから離れなければならないことになりました。だのに酷い人。あなたは私の心を掴んで決して離さない。どれだけ忘れようとしてもあなたへの恋心は募るばかりなのです。どうしようもならないのです。アヴェ・マリアの祈りを唱えたとて、きっともう聖母が穢れた私のために祈ることはないでしょう。それもそのはず。私はこの拗れた恋心をもって最早あなたを信仰すらしていたのです。私は美しいあなたの盲目信者でありました。それがあなたのためならば、如何なる罪にも手を染められましょう。誰かの命さえ奪いましょう。私自身の命であればもっと容易く……。この狂った信者は世の誰よりも不純に信仰を行っていました。そして誰よりも傲慢にその対象に恋をしていました。両の想いを秘めたまま、私はあなたによって救われ、またあなたによって長く苦しめられているのでした。

 或いは、私が男であればことは今より単純だったのかも知れません。そうしたらあなたの私を見る目は違っていたことでしょう。こんなにも近づくことにはならなかったでしょう。そうしたら、女の私よりずっと気楽に想いを伝えられたのではなかろうか。ああいっそ。いっそのこと、私があなたのことを無理矢理に奸してしまえば。他でもないあなたにこっ酷く嫌われてしまえたら。そうできたら、楽だったのかも知れない。そんなことすら考えるのでした。そうして私はまたこのようなグロテスクな思考を嫌って、この忌々しいものの首を締めてやろうかと思うのです。そう。すべて終わらせてしまえばいい。けれどもそんなこと決してできはしないのです。私が命を絶てばあなたは泣く。自分のことを置いて私を気にかけるような優しいあなたですから。私は何度も頭を過るこの最も簡単な選択肢を諦めなければならない。どれだけ走っても苦しみは私を追いかけ続けて来る。いやでももしかすると、私が走るから苦しいのでしょうか。自身が抱える感情一つ取ってもそれが何なのかもう私にはわからないのです。ただ、この心が斯くあるべきという姿を全く見失ってなおあなたに惹かれ続けていることを自覚するのみでした。

 今日も私はあの頃と変わらず、男の子からの恋愛相談を受けるのです。しかしあの頃とは違って酷く恐れながら苛々としながら、必死になって余裕ぶった態度で返事を返しています。彼は一体どういうつもりでこの私に声を掛けているのでしょう。今やあなたと顔を合わせる回数は彼のほうが余程多いというのに! 誰の陰謀というわけでもないこの境遇に私は一人勝手に頭を抱えるのでした。もうどうとでもなればいいのに。彼があなたの恋心を攫って行けばいいのに。彼でなくても構わない。あなたが私以外の誰かと一緒になってここから見えないどこか遠くへ行ってくれれば、私はその先でのあなたの幸せを願えるでしょうか。私はきっとおかしくなってしまうけれど、楽になれるかもしれない。このどうとも言えない近さで宙ぶらりんになっているのが辛いのだ。きっとそうだ。あなたが私を忘れてしまえばいい。そんな妄想を思いながら、ですが結局そうなったってこの心が消えないことを、だいたいあなたが私を忘れることなど当分は叶わないことを、頭でわかっているのでした。

 畢竟私は何もかも諦めてこのどろどろとした感情と共存していくよりほかないのです。誰にも、殊にあなたには、私の内に秘めた大きなこれが見え透いてしまわぬよう取り繕いながら笑います。それが良い。汚い私があなたを想う気持ちを持つならば、此の位せねばならない。これが私の本当なのです。どれだけ考えても変わらないのなら、隠しておくより他ないのだから。

 

 ですからどうか、愛しいあなた。どうか、どうかあなたにだけは、この手紙が見つかりませんように。

 あなただけは私のこの醜い胸の内に気付かないでください。そしてその綺麗な顔で笑う姿を私に見せていて。結局あなたのくれるものならば、私にはなんだって愛しいのです。縦令それが、私をどれだけ苦しめるものだとしても。


 長々と大変失礼致しました。あなたのいる未来を独り夢見、あなたの幸せを願い続けております。

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