祭り
風の入り込む隙間などない、温かな広い部屋。窓のカーテンは開かれており、照明の点いていない暗い部屋に、白銀の月明かりが差し込む。
窓際には簡素なベッドが置かれ、その上には少女が一人腰掛けていた。
夜闇に溶けそうな黒髪を三つ編みで一つにまとめ、左側に垂らしており、華奢な身体は飾り気のない黒いドレスに包まれている。
少女はその手に、何かを持っていた。人間の頭部くらいの大きさの何か──いや、人間の頭部そのもの、生首だ。
生首は少女に瓜二つの顔をし、少女とおそろいの髪型をしている。こちらは、三つ編みを右側に垂らしていた。
「リコリス、リコリス」
「なあに、イベリス」
少女はリコリス・グレンヴィル。
生首はイベリス・グレンヴィル。
リコリスが姉でイベリスが妹。とても仲の良い双子の姉妹だ。
「お昼にジュエルお嬢様に教えてもらったんだけど、今夜は街の方でお祭りがあるんでしょ?」
「……ええ、そうよ」
「今年はパレードも開かれるんだとか。面白そうだよね!」
「……そうね」
いつもより機嫌の良さそうなイベリスと違い、リコリスの顔には憂いが増していく。それは誰の目にも明らかなことであり、異変を察知したイベリスはすぐに笑みを引っ込め、気遣わしげにリコリスを見つめてきた。
「どうかしたの、リコリス」
「……何でもないの」
「何でもない顔じゃないよ、リコリス。あたしにも言えないこと? 教えてよ、どうかしたの?」
「……」
「リコリスったら!」
「……イベリスはお祭り、行きたかった?」
イベリスとしっかり目を合わせながら、リコリスは訊ねる。そんな問いは予想していなかったのか、イベリスはその丸みを帯びた瞳を見開き、小さな口を何度も開閉してから、やっと答えた。
「無理よ、あたし生首だもん。こんなあたしがお祭りに参加したら、皆びっくりしちゃうんだから」
「……生首じゃなかったら、行きたかった?」
思ったよりも沈んだ声が出たことに、リコリスは心の中で慌てたが、イベリスはそんな姉を気にしてはいないようで、目を伏せて黙った後、上目遣いにリコリスを見つめる。
「そりゃ、行けたら行きたいけどさ……その時は、リコリスも一緒だよね?」
今度はリコリスが目を見開く番だ。
「楽しいことも、辛いことも、リコリスと一緒じゃないと、あたしは嫌。あたし達は双子だもん。生まれた時から一緒だもん。あたしに身体があろうがなかろうが関係なく──あたし達はずっと一緒なの」
「……わたしだってそうだよ、イベリス」
生まれた時から、母の庇護下で同じ教育を受け、見せ物として売られた館では同じ理不尽に遭い、そうやって姉妹はずっと同じ時を過ごしてきた。
離れていた時間など、一緒に過ごした時間に比べればずっと少ない。
リコリスはそっと、イベリスを自分の胸元へと抱き寄せる。自分の心臓の音を聴かせる為に。
「心臓の鼓動、落ち着くね」
「温もりがね、落ち着くわ」
姉妹が館を出てから、数年が経つ。
悪しき記憶は薄れてきたが、完全に消え去ることは難しく、時折思い出しては苦しんでいた。
だが、今は。
相手の鼓動を耳にし、温もりを感じるこの一時は、どちらの顔も柔らかで──幸せそうだ。
邪魔することなどとてもできない状況、だったのだが、
「──わたくしよ!」
乱入者が現れてしまった。
部屋のドアを思いきり開けて、ずかずかと入り込んでくるのは、煌びやかな金色の髪を盛りに盛った、派手派手しい黄色のドレスを身に纏う少女。
姉妹に比べるとその顔には若干の幼さがある。造りはとても可愛らしいものの、意思の強さを感じる真紅の双眸が、か弱い・儚げ・脆いなどという言葉を、少女から最も縁遠いものにしていた。
姉妹の正面に立つと、手に持っていたらしい物を見せてくる。
「間に合ったわ!」
「あの、ジュエルお嬢様。これは何でしょうか?」
ジュエル・ヴィリアーズ。
あの日、姉妹へ怒鳴り込み、結果的に救うことになった苛烈な女吸血鬼、ジェム・ヴィリアーズの愛娘だ。
館を出た姉妹は、この少女のお世話係をしている。リコリスは日常のほとんどを、イベリスは昼寝や眠れない夜のお供を、それぞれ担っていた。
ジュエルが自信満々に姉妹に見せた物、それは──立派な赤いドレスを着せられた、首のない人形だった。
「こないだリコリスにね、イベリスのことが気になるからって、お祭りに行くのを断られてから、わたくし考えたの。どうしたら皆で楽しくお祭りに行けるのかしらって。それでわたくしね、ひらめいたの! イベリスが人前に出てもおかしくない見た目になればいいって。それがこれよ! ここにイベリスの頭を置くの! 大丈夫よ、転がらないように配慮して作らせたから!」
「……」
「……」
姉妹はそっと見つめ合う。
どうする? そう訊ねようとリコリスが口を開きかけ、イベリスの瞳が妙に輝いていることに気付き、口を噤んだ。
ふいにイベリスが頭部を自力で動かし始めたから、リコリスは慌てて彼女の顔をジュエルに向ける。
「いいの? 本当にいいの? ジュエルお嬢様」
「いいに決まってるわ! 貴女の為に、このわたくしが名のある職人に作らせたの! 貴女にぴったりになるように考えて設計されたんだから、貴女以外の頭なんて絶対置かせたくないわ!」
「……リコリス、あたし、あそこに置かれたい」
「決まりね。ほら、リコリス。これでわたくし達、皆でお祭りに行けるわ!」
「……もう」
リコリスは困ったように笑うと立ち上がり、慎重にイベリスを、人形の首の辺りに置いた。
「パレードまで、まだ時間があるわ。せっかくだからお化粧もしましょうよ」
「ジュエルお嬢様。わたし達、化粧の道具を何も持っていないです」
「わたくしのを貸すわ! せっかくリコリスもイベリスも愛らしい顔をしているんですもの、飾り立てないと勿体ないわ!」
イベリスごと人形をリコリスに渡し、ジュエルは足早にドアに向かう。
「ほらほら、わたくしの部屋に行きましょう!」
「……」
「ああなったら聞かないよ。行こう、リコリス」
「……ふふ、そうね」
軽やかな足取りで、リコリスはジュエルの後を追う。その顔に憂いはもうない。困ったような笑みにはほんのりと、期待が滲んでいた。
望まずに吸血鬼となり、読み姫と侍女などと呼ばれていた姉妹は、今、とても幸せだ。
生首の読み姫と吸血鬼の侍女 黒本聖南 @black_book
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