間人逆真

憑弥山イタク

真逆人間

 生きたい!

 1秒でも長く生きていたい!


 七夕、笹に飾られた短冊のうち1枚に、サインペンでそう書かれていた。ペンの先が潰れるほどに強く書いたのだろう、短冊の字は1文字進むごとに掠れていき、最後の「たい」あたりは殆ど書けていない。

 その字は子供の字だが、一流の書道家が命を込めたような、力強く逞しい字に見えた。

 小児科病棟に飾られた笹の中で、一際目立つその短冊は、まるで、唐突に目を留めた私達を鼓舞するかのような言葉にさえ思えた。


「ごろう君の短冊ですね……」


 小児科医を務める若い男性が、私の隣で立ち止まり言った。どうやら「ごろう君」というのは、件の短冊を書いた少年の名である。

 いい短冊ですね。私がそう言うと、小児科医は苦い顔を見せ、「ついてきてください」と私を誘導した。

 私は無言のまま、小児科医の後へ続く。歩いた末に辿り着いた病室には、「ながしま ごろう」と書かれており、私は即座に、「この中にあの少年がいるのか」と理解した。

 ただ、少しばかり、私は怖い。

 何故ならその少年は、これから私が面会をする患者なのだから。


「心の準備は宜しいですか?」


 小児科医の確認に、私は無言で頷いた。そしてその直後、病室のドアが開き、私は遂に「ごろう君」と対面した。


「生かして! ゆっくり! 生かして!」


 まるで、獣の雄叫びだった。いつから叫んでいるのかは知らないが、ベッドに拘束された少年ごろう君は、乾いた喉で、今にも喉を破りそうな声で叫び続ける。

 ごろう君の顔を見てみると、その顔は、ただの少年の顔ではない。昔、テレビで見たことのあるような。まるで焼野原となった戦地に立ち尽くす少年のような、感情の感じられない、無表情にも満たない人形に似た顔であった。


「ごろう君、今日はごろう君にお客さんが来てくれたんだよ」

「ようこそ! ようこそ!」


 目はこちらを向き、口元は大きく動いている。しかしごろう君はベッドに拘束されている為か、全く体が動いていない。歓迎してくれているのだろうが、その顔と声からは、決して歓迎の気持ちは感じられない。


「あ、あの……先生?」

「はい? ……ああ、すみません。言ってませんでしたね。ごろう君は、。前と言えば後ろ、上と言えば下……ようこそ、と言えば……帰れ、です」


 私は、即座に察した。

 精神科医である私が、何故小児科に呼ばれたのかを。


「生きたい!! 生かして!!」


 思考と発言が逆転してしまう病。ごろう君を苦しませるこの病を、この小児科医はだと判断したのだろう。


「生きたい!! 生きたい!!」


 しかし、私はごろう君に謝りたい。

 ごろう君の病を治す術を、私は知らない。

 「生きたい」と叫ぶこの少年の心を癒す術を、私は、全く知らないのだ。


 生きたい!

 1秒でも長く生きていたい!


 ごろう君の短冊の意味を理解して、私は、思わず涙を流した。短冊に綴ってまで、ごろう君は……。



 死にたい!

 1秒でも早く死にたい!


かして! きたい!」


 ごろう君……私は、何をしたらいいの?

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間人逆真 憑弥山イタク @Itaku_Tsukimiyama

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