第4話 3Kの洗礼
外灯もない山中の人気のない市道。
切り立った崖から数十メートル下の森の中、その死体は発見された。
「瞳子ちゃん」
流川が二重マスクの奥からもごもごと言った。
「3Kの意味、分かった?」
「……ぐ……はい……よくわかり……!」
言い終わる前に瞳子は現場を抜けると、現場に向かう流川の車の中で渡されたビニール袋を握りしめて走り出した。
鑑識のワゴン車の影で嘔吐する。
(臭い、汚い、危険。……嘗めてた。これほどとは!)
もちろん御遺体に対しての敬意がないわけではない。
しかし、森の中に遺棄されていたそれは、御遺体というよりもむしろ肉塊に近かった。
死後数日たったそれは、皮膚は赤黒くドロドロに溶け、一部は骨が露出し、一部は溜まったガスのためか内部から破裂していた。
胃の中のものを一通り吐き切ると、瞳子は蒼白の顔をしたまま現場に戻った。
「あはは。おかえり」
流川が笑いながら迎える。
「申し訳ありません」
「いやいや。大丈夫。特殊事件係の登竜門だから」
流川は、気を抜くとまだ吐き気が襲ってきそうな瞳子の背中をバンバンと叩いた。
「だからここに配属になった途端辞めていく奴もいるし、家からほぼ出られなくなった奴もいるし。あとは丸3ヶ月肉が食えなくなったのもいるし。なあ?霧崎ちゃん?」
流川が言うと、死体を見下ろしていた霧崎は、切れそうな鋭さの視線を投げかけてきた。
「ま。中には例外もいたけど」
流川が言った瞬間、死体が寝返りをうちこちらを向いた。
「ぎゃああああああ!!!」
瞳子が思わず流川の影に隠れる。
「おい―。鑑識がいいって言ってないのに勝手に御遺体を転がすなよ」
流川に言われて死体の後ろ側から顔を上げたのは、嶋だった。
「すみません」
「………!」
瞳子が嶋の手袋にベッタリと付着した死体の体液と蛆虫を見て口を押えたところで、
「お疲れ様です」
数人の作業着を着た男たちが近づいてきた。
「鑑識課の皆さん」
流川が瞳子に耳打ちをし、瞳子は軽く頭を下げた。
「衣服なし。所持品なし。年齢不明。性別不明。死因不明。解剖してみないと確かなことは言えませんが、少なくとも死後10日は過ぎているかと思います」
鑑識の中でも年配の男が、眉間に皺を寄せながら言った。
「山の麓に住む猟銃会の人間が、パトロール中に見つけたらしいです」
「パトロール?」
霧島がメモを取っていた手帳から視線を上げる。
「何でも最近、熊が人間を襲う事件が多発しているらしくて。先週も畑に出ていた高齢者が襲われ、猟銃会で一頭始末したらしいんですが」
「物騒な話だ」
佐久間は御遺体に手を合わせると、蛆虫の湧いた頬を見て目を細めた。
「じゃあ、そろそろいいですか?署に運びますので」
佐久間が頷くと、鑑識の男はあらかじめ準備していたブルーシートで死体を覆った。
「というかこれって、損傷が激しいだけで事件とは限らないのではないですか?」
瞳子が思ったことを口にすると、
「そんなの上部は関係ないんだよ。3Kが当てはまればそれで全部うちに仕事触れるんだから」
流川がため息をついた。
「そういえば思ったんですけど、臭い、汚いまでは理解できるんですけど、危険っていうのは?」
「それはぼちぼち」
どうやらこれ以上答えてくれなそうな流川から、死体に視線を移す。
「手足の関節部が脆くなってるから千切れないようにな」
鑑識の人間たちが身長に肉塊となった死体を担架に乗せていく。
「……年齢不明、性別不明、死因不明。あの状態まで傷んだ御遺体を解剖して、どれほどのことがわかるんでしょう。死因や身元まで判明すればいいですけど」
瞳子が手を合わせながら運ばれていく死体を眺めていると、
「んー。それは大丈夫じゃない?」
流川が頭を掻きながら言った。
「うちにはエースがいますから」
「エース?」
瞳子が見つめた流川の視線の先には、
「…………」
死体があった場所にしゃがみこみながら、静かにマスクをとる嶋の姿があった。
捜査五課の殺人鬼 清水祥太郎 @simishyo
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