第10話 ブラックアイドスーザン
ママとヒゲが次第に穏やかな時間を過ごすようになり、私の気分も落ち着いた一方で、ダンボールは日を追うごとに増えていった。ひとつ、ふたつ、みっつ…重ねられたダンボールの影が広場を覆い、いつもの明るさが消えていくようだった。
これは、タクの箱。ここには、私の修行相手の魚さん。これには私のお気に入りの匂いを閉じ込めた毛布がしまってある。あれ、この箱はなんか覚えのない匂いがする。
私は何かが起きつつあることを分かっていたけど、積み上がる一つひとつの段ボールに何が詰められているのかを確認することに一生懸命だった。
そして、お日さまがキラキラと長い時間輝いたある日、突然段ボールはどこかへ姿を消し、家は空っぽになった。廊下にも広場にもエサ場にも、何もない。タクの部屋、そしてきーちゃんの部屋を覗いてみるけれど、二人も空っぽの場所に寝そべって小さな機械をいじっていた。チーちゃんの城は、紙切れで溢れかえっていて、あまり変わった様子がない。あの子は、この異常事態に気付いていないんじゃないか?
「クッキー、どこに行くの?何してるの?こっちにおいで。」
きーちゃんの呼びかけには応じず、私はママとヒゲの寝床に向かってトボトボと歩いた。
大切なものがみんな段ボールに連れ去られてしまい、私の安らぎはガラガラと崩れていった。私の家のはずだけど、なんとなく私がいてはいけないような気持ちが濃くなってくる。目を閉じて、深く息を吸って吐くと、そこにあるはずのないプルメリアの香りを思い出す。まさか、ね。
「さ、クッキーも準備はできたかな?そろそろ行くよ。みんな一緒だよ、安心してね。」
ママはいつもより早口だった。風呂場からサッと現れると同時に、私の手足を握り、紐のついた布を着せた。その後、ヒゲが私を抱き上げて、いつしかのガタガタする乗り物に連れていった。車内にはすでに数え切れないほどの荷物が積まれ、タクが黙ってぼんやりと外を眺めている。
視線の先では、きーちゃんが不思議な儀式に励んでいた。笑ったり泣いたりしながら、同じくらいの背格好の子たちの手を握ったり、お互いに手を振ったりしている。より近くで観察しようと、私はタクの膝上に陣取った。
タク、何を見ているの?ねー、これからみんなでどこに行くの?
タクは私に一切返事をせず、視線を遠く外に向けたまま、私の背中をそっと何度も撫でた。まるで私のことが見えないし、私の声が聞こえないみたいだった。どこかぼんやりしていて、心ここにあらずといった様子である。
ねー、ここにクッキーいるけど?さっきから大丈夫?
タクに声をかけている最中、機械音と共に扉が開いて、儀式を終えたきーちゃんが席につく準備を始めた。鼻と口の両方で息をしていて、私にはきーちゃんの感情の揺れがよく聞こえる。
「あんた達、忘れ物はない?ちゃんとチェックしてね。クッキーとチーちゃん、しっかり見ててよ。」
そのママの掛け声には誰一人応じず、きーちゃんが紐で自身の体を縛り付けると、ヒゲはおもむろに乗り物をガタガタさせた。しばらくの間、ダンボールの揺れる音だけが、車内に響く。
ねー、なんか静かだね。歌おうか?
ねー、どこに行くんだろう?
私の呼びかけに対する返事はなく、代わりにタクときーちゃんは交互にぎゅっと私を抱きしめ、そして「クッキー」と何度も呟き、額から鼻の間を何度も優しく撫でた。
それから、昼と夜が何度入れ替わったのだろう。数えるのが難しくなってきたころに、「とーちゃーく」とヒゲが大声をあげた。それを聞いて、ママもタクもきーちゃんも一斉に深い息を吐きだす。
ドアを開けた隙間から、強い熱気が滑り込んでくる。続いて、湿った土の匂い、そしてセミやバッタの声。真っ先に目に飛び込んできたのは、道路脇に咲き誇る、鮮やかな黄色い花びらと濃い茶色の中心部。
私たちは、新たなドアを開けた。見たことのないカーペットと、どこか新しい木の香りが混じり合った空間が広がっている。少し冷たくて、全てが整ったような匂い。
薄暗い冷たい床の奥には、階段が広がっていた。私が慎重にあたりを探っていると、早くも上から声が弾けた。「クッキー、おいで!」「ほら、クッキー、三階もあるよ!お部屋がいっぱい!」
そう、毎日が冒険だ。
それでも、どんなに刺激が溢れていても、今日も私はたくさんの「クッキー」に包まれている。ママ、タク、きーちゃん、ヒゲ、そしてチーちゃんと共に生きている。それがきっと明日も続くと思うだけで、不思議と、体の芯からふんわりとした温かさが込み上げてくるの。
クッキー すずのすけ @TaffyChai
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