五段目 専門書
『ことわざ・故事成語の成り立ち』という本の中に、「渡りに船」が載っていた。「川を渡りたいと思ったときに、丁度船が来た様子」と説明されていた。
ぼくは、すぐに隣を見る。知らなかったその言葉を、「超絶ビックチャンスってこと」と言ってくれたあの子は、今日もいない。
十一月の最後の日に、ぼくはブックタワーの五段目の本を全部読み終えた。専門書が並んだ棚だから、心配していたけれど、思ったよりも初心者向けの内容で、するする読むことができた。
でも、多分、それは一段目の絵本から、ステップアップして難しい本を読んできたおかげかもしれない。そして、それにはあの子のアドバイスもあって……。
最後の一冊を閉じて、一番下の棚に戻す。ブックタワーのすぐ隣の台の、コーヒーミルみたいな取っ手を掴んで、回してみたら、ブックタワーの真ん中を貫く銀の棒がぐるぐる動く。
一番下の棚が、ブックタワーの外側の銀の棒を、エレベーターみたいに登って、代わりに、絵本の棚が下に移動する。それから、専門書の棚が一番上に戻ったのを見てから、ぼくは取っ手を回すのをやめた。
もう一度、ブックタワーの前に立って、それを見上げる。この本は全部形見だから、あの子の本もどこかにあるのだろうか?
いつも急に現れて、言ってもいないぼくの名前を知っていたあの子。ぼくと同い年くらいなのに、この辺が校区の小学校で見かけないのも、あの子の正体が、六年前に亡くなった
元々は、新しいゲーム機が欲しくて始めたブックタワーの攻略だったけれど、もっと大切な願い事が、ぼくの中に芽生えていた。抽選会のお姉さんは、「人を生き返らせることはできない」と言っていたけれど、これくらいだったらと思って、ぼくは目を閉じ、手を組む。
お願いします、神様。泰人君を、成仏させてください。
そうして、ぼくが目を開けると——
「やっぱ、勘違いしているよな」
「わぁっ!」
目の前に、困ったような顔をした泰人君がいた。いきなりの登場に、ぼくは後ろへ転びそうになる。
「た、た、泰人君、どうして⁉」
「うん。まず、勘違いその一。俺は、里崎泰人じゃない」
「えっ」
「勘違いその二。里崎泰人は、死んでいない」
「え、待って、雑貨屋のおじいさんは、『急にいなくなった』って……」
驚きながら、そう尋ねてと、泰人君は不機嫌そうに口を曲げた。「婉曲表現が日本語のいいところだが、やりすぎるのも問題だな……」とか、ぶつぶつ言っている。
「あの爺さんが言っていたのは、そのまんまの意味だ。里崎泰人は、十二歳の冬、両親の離婚がきっかけで、母親とこの町を出た。商店街の誰にも言わずに出発したから、『急にいなくなった』って捉えらえたんだろう」
「あ、そうなんだ」
たくさん本を読んで、言葉の裏側も分かるようになったけれど、やっぱり難しい。もちろん、泰人君が生きているのは嬉しいけれど。
でも、そうなると当然、目の前の少年のことが気になってくる。ぼくは、こわごわ訊いてみた。
「君は、一体……?」
「俺は、ブックタワーの精霊だ」
にやりと笑って、決め台詞のように彼が言ったけれど、ぼくにはぴんと来なくて、目をぱちくりさせていた。
「日本式に言うと、九十九神。物が長い時間をかけて、霊的なパワーを持つ、あれだな。ブックタワーが出来てから、九十九年も経っていないけど、元の持ち主や遺族の悲しみが詰まった『形見の本』が、飛び級させたんだよ」
「えっと、それは分かったけど、なんで、泰人君と同じ見た目をしているの?」
「俺は元来、人の姿を持っていない。なんせ、本の集合体だからな。代わりに、このブックタワーによく来てくれた、印象的な奴の姿を真似しているんだ」
なんだか、分かるような、分からないような……。話を整理して、首を捻っている僕に、泰人君、じゃなくて、精霊君は「ただな、」と続ける。
「最近、力のほとんどを失ったから、誰か一人の前にしか姿を見せることはできないけど。でも、
「ん? 誰との約束?」
よく聞こえなかった部分のことを説明せずに、精霊君はトン、と軽やかに、石畳を蹴った。無重力空間みたいに、ふんわりと浮き上がり、ブックタワーの方へ吸い込まれていく。
「実はな、俺がこの姿で現れるのは、今回で最後だ」
「え? どうして?」
「彰次にも、あとから分かるよ」
段々と薄くなっていった精霊君が、最後ににっと笑うと、ブックタワーに溶けるように、その姿を消した。
ぼくははっとして、周りを見回してみる。誰も、精霊君の姿が見えていなかったようで、商店街の賑わいは、いつも通りだった。
……数日後、ぼくの家に荷物が届いた。ダメ元で応募した、新しいゲーム機の懸賞が当たっていたのだ。
ぼくはそれを持って、ブックタワーに行ったけれど、精霊君は僕の前には現れなかった。「一応叶えたけど、ゲームばっかしないで、本も読めよ」と、彼はすねていたのかもしれない。
〇
三月。ぼくはゲーム機で、遊んでいたけれど、たまにブックタワーに立ち寄っていた。
棚の中の本は、毎月変わるから、さすがに一か月で全部読むことはしないけれど、気になった本は手に取っている。でも、心のどこかで、あの子がまた来てくれないかな、って思っているのも本当だ。
ある日、学校帰りにブックタワーへ行ってみると、その前に人がいた。高校生くらいの知らないお兄さん。別に珍しいことでもないけれど、なんだかに気になる。
近づいてみて、すぐに分かった。メガネは掛けていないし、茶髪になっていたけれど、間違いなく、大きくなった「あの子」だった。
「泰人君?」
思わずそう言ってしまい、じっと棚を見ていた彼が、びっくりした表情でこちらを見た。
知らない小学生に、自分の名前を君付けで呼ばれて、すごくびっくりしたんだろう。人のよさそうな顔に、戸惑いを浮かべている。それでも、ぼくは続ける。
「どうしたの? 六年前に、引っ越したんじゃないの?」
「うん。でも、こっちの大学に受かったから、戻ってきたんだけど……。ええと、君は?」
「……変な話だけどね、ぼくは、十歳の頃の泰人君に会ったことがあるんだよ」
ぼくはにんまりしながら、そう言ってみた。その時の顔は、多分あの子と似ていると思う。
不思議そうにしている泰人君に、ぼくは十一月のブックタワーの攻略の話をし始めた。
ブックタワーを攻略せよ! 夢月七海 @yumetuki-773
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