エピローグ

 決闘から一か月後。

 わたしとフェヴァン様の婚約が正式に発表された。

 決闘を受ける前からフェヴァン様の求婚を受け入れようと決めていたので、この結果には何ら不満はないが、一つだけ大きな問題がある。

 それは――


「お姉様、抗議が必要だと思うわ。何よこの新聞記事!」


 フェヴァン様との婚約が発表された翌日。

 わたしはゴシップ新聞の第一面の記事を睨みながらお姉様に言った。

 新聞の見出しはこうだ。


『力づくで自分と恋人の名誉を守った伯爵令嬢、無事、婚約す!』


 そこには、一か月前の決闘から今日にいたるまで、あることないことがまるで物語のように大袈裟につづられていた。

 決闘だって、わたしは申し込まれたから受けただけなのに、何故かわたしが恋人であるフェヴァン様の名誉を守るために立ち上がったみたいに書かれている。


 おかしい。

 絶対に、抗議すべきだ!


 なのに、わたしが間違って婚約破棄された時の記事には怒り狂っていたお姉様は、のほほんとお茶をすすった。


「あらいいじゃないの、ロマンチックで」

「どこがよ! なんかわたしが血の気の多い武闘派令嬢みたいに書かれてるじゃないの!」


 わたしは基本的に争いごとは嫌いだし目立つのも嫌いだ。

 お姉様みたいに血の気は多くないのに、こんな誤解はあんまりである。


「だからいいのよ。これであんたとフェヴァン様の仲を引っ掻き回そうなんて考える命知らずは現れなくなるもの。当然よね。フェヴァン様にちょっかいを出したらあんたに決闘を申し込まれてコテンパンにのされるんだから」

「そんなことはしないわよ!」

「でも、世間はそう思っているんだから、いいじゃないの」

「よくないわ!」


 どうしてこうなった、と頭を抱えたい。

 わたしは折りたたんだ新聞をバンッとダイニングテーブルの上にたたきつけた。


「ロビンソン、抗議してちょうだい!」


 お姉様がダメなら家令のロビンソンにお願いしようと思ったのに、彼はおかしそうに肩を震わせながら、一通の封筒を差し出してきた。


「新聞社に抗議するより、こちらへの返信の方が先ではありませんか?」

「……ぐぅ」


 見たくないものを差し出されてしまった。

 この手紙が届いたのは昨日。

 内容を確認したわたしは茫然として、ひとまずフェヴァン様に相談だと放置していたのである。


「差出人が差出人ですので、いつまでもお返事をお待たせできませんよ」

「わかっているわ。今日、フェヴァン様がお時間を取ってくれるって言うから相談してみる」


 手紙を受け取り、はあ、とわたしはため息だ。

 お姉様とマリオットの結婚が近いし、結婚すればここに住むので、新婚夫婦の邪魔にならないように適当なところで自分の身の振り方を考えなければとは思っていたけれど……これはなあ。


「とても名誉なことだとは思うけど、決めるのはあんたよ。タチアナ様にも相談した方がいいわね」


 お姉様がちらりとわたしの手元の手紙を見て言う。


「そうね」

「ま、タチアナ様なら諸手を上げて賛成するでしょうけどね」

「……そうね」


 そうなのだ。タチアナ様の耳に入ったら断れなくなる。だから先にフェヴァン様に相談したいのだ。

 わたしは食後のミルクティーをぐいっと一気飲みすると立ち上がった。


「アリー、支度を手伝ってくれない?」


 するとアリーは、エプロンのポケットからハンカチを取り出すとわざとらしく目元を拭った。


「お嬢様が自分から支度のお手伝いを頼むなんて……!」

「恋って偉大ねえ」


 お姉様まで茶々を入れる。

 ぶはっとロビンソンが噴き出して、わたしはムッとした。

 確かに、これまでのわたしはおしゃれには無関心だった。今もそれほど関心はない。だけど、フェヴァン様の婚約者になったのだから、最低限のおしゃれは必要だと思い改めただけだ。


「もういいわ、自分でするもの」

「いけませんお嬢様! お嬢様がご自分でお化粧したらお化けになります!」


 まったく失礼な侍女である。

 アリーに揶揄われながら二階に上がったわたしは、フェヴァン様が贈ってくださった緑色のドレスに身を包んだ。

 アリーに化粧と髪を任せて、ドレッサーの前に座ったわたしは赤いフレームの眼鏡をいじる。

 お姉様は「もう眼鏡はやめれば?」と言うのだけど、やっぱり眼鏡をはずす勇気はまだでない。それにこの眼鏡はフェヴァン様が買ってくれたものだから、なんとなく身に着けておきたかった。


 化粧が終わって眼鏡をかけると、わたしは馬車に乗り込んでルヴェシウス侯爵邸へ向かう。ルヴェシウス侯爵夫妻も、こんなわたしのことを快く迎え入れてくれて、いつでも遊びにおいでと言ってくださっていた。とても優しい素敵な方たちだ。

 ルヴェシウス侯爵邸の玄関前に馬車が停まると、馬車を降りる前にフェヴァン様が玄関の外に顔を出す。


「いらっしゃい、アドリーヌ」


 フェヴァン様の手を借りて馬車を降りると、出迎えてくれた侯爵夫人に挨拶をした。侯爵はお仕事で外出中だそうだ。フェヴァン様は今日はお休みである。

 フェヴァン様のお部屋に通されると、お茶とお菓子が運び込まれる。

 フェヴァン様が当然のようにわたしの隣に座った。距離が近くてドキドキする。


「それで、相談って?」

「実はこんなお手紙が昨日届いて……」


 わたしは持って来た封筒をフェヴァン様に渡した。


「読んでもいいの?」

「はい」


 頷けば、内容を確認したフェヴァン様が困った顔になる。


「なるほどねえ……」

「悪いお話ではないのですが、わたしに務まるかどうか……」

「アドリーヌだから頼んでいるんだろうけど、なるほど、侍女ではなくてこう来るか」


 フェヴァン様が目を通している手紙の差出人は、エリーヌ様である。

 来年の春、王太子オディロン殿下と結婚する予定のエリーヌ様から、なんと、わたしに専属の護衛にならないかと言うお誘いを受けたのだ。

 王太子妃になるエリーヌ様には専属の護衛が付けられるが、男性だと同行が難しい場面もある。

 そのため、女性の護衛を探していらっしゃったらしいのだが、騎士も魔法騎士も男性社会で女性はいない。そのため王妃殿下も騎士団や魔法騎士団に所属している方以外に、女性の護衛を雇っていた。


 王太子妃になるエリーヌ様も、何人か目星はつけていたはずだ。護衛も休みが必要なので、最低でも数人は必要になる。女性の場合は結婚して職を辞すことも珍しくないので、特に多めに雇うはずだ。

 エリーヌ様が求める人数にまだ達していなかったのか、わたしにお声がかかったのである。


 タチアナ様に話せば、ぜひ受けろと言われるのは目に見えていた。

 それでなくともセルリオン公爵派閥で王太子や王太子妃の周囲を固められるのを阻止しようとしているタチアナ様である。

 そこに自分の派閥の伯爵令嬢を潜り込ませることができるとならば、諸手を上げて賛成するのは目に見えていた。


 それにわたしは、フェヴァン様との婚約したため、将来的にはルヴェシウス侯爵家の派閥に入ることになる。タチアナ様との関係がそれで切れるわけではないので、わたしはルヴェシウス侯爵派閥に属しながらもドーベルニュ公爵派閥ともつながりがある立場となり、さらにここでエリーヌ様の専属護衛を務めればセルリオン公爵派閥とも近しい関係となるわけだ。

 わたしを通してそれぞれの派閥の思惑も探れるし、必要とあらば橋渡しも可能となる。逆を言えば、そういう立場になることを求められる。


 非常にややこしい立場になるので、わたしとしては遠慮願いたいが、こうしてエリーヌ様から直々に打診が入ったとなれば簡単にはお断りできない。


「アドリーヌが大変になるのは心配だけど……本音を言えば、受けてくれると嬉しいかな」

「そうですか……」


 やっぱりもろもろの利点を考えてフェヴァン様も受けろというよね、と肩を落とすと、彼は手紙をテーブルの上に置いてわたしの肩に腕を回した。


「だって、エリーヌ様の専属護衛になるということは、城で会うことも増えるだろう? 王太子夫妻が一緒に行動するときは同じ空間にいるはずだし。会う機会が増えるのはいいことだよ」


 ……そっち⁉


「休みの日しか会えないのが残念だったんだ。仕事場でも会えるようになったら嬉しい」


 肩を引き寄せられて、ちゅっとこめかみに口付けられる。

 婚約してから、フェヴァン様は遠慮と言うものがなくなった。まあ、以前から距離は近い方だったのだが。

 フェヴァン様の手が、するりと眼鏡を奪っていく。

 眼鏡が奪われた直後にどうなるか知っているわたしはつい身構えたが、もちろん、身がまえたくらいでフェヴァン様は止まらない。

 頬に手を添えられて、かすめるような口づけが落ちた。


「アドリーヌは、俺とたくさん一緒にいたくない?」


 吐息がかかるほどの距離でささやかれれば、わたしに否とは言えない。

 ずるい、と思いながらも、答えは一つしかなくて――


「わたしも……一緒にいたいです……」




 こうしてわたしは、来年の春に王太子妃の専属護衛になることになった。







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婚約していないのに婚約破棄された私のその後 狭山ひびき @mimi0604

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