告白

おもいこみひと

告白

七月下旬、一学期最後の帰り道。


「クラゲって、綺麗よね」


 遠くに漁船を望む海原を右手に、堤防の上を歩く彼女は神妙に呟いた。長い黒髪と、短めのスカートが潮風になびく。


「そうかな。僕は、クラゲにあまりいい思い出はないけど」


 普通に道を歩く僕は彼女を見上げることはせず、ぶっきらぼうに答えてしまう。


「そっか」


 彼女はこちらに飛び降りて、僕の少し前を歩く。しばらくは、波の音、海鳥の声、そして、二人の足音のみ。僕は汗を拭いつつ、彼女の後を追った。


 彼女の隣に並び立つと、整った色白の顔に少し、影が差していることに気付く。思えば、いつも底抜けに明るい彼女が、今日はどこかおかしかった。


 海を背に、少し坂を上ったところでたまらず声をかける。


「大丈夫? 少し休もうか」


「……アイス奢ってくれるなら」


 彼女は少し頬を膨らませ、屋根のあるバス停のベンチに腰を下ろす。僕はその向かいにある駄菓子屋でソーダ味の棒アイスを二本買い、彼女の隣に座った。


「ありがと」


 彼女は僕からアイスをひったくると、少し距離を取って封を開ける。ここでようやく、彼女は体調が悪いのではなく、機嫌が悪いといのだということに気が付いた。


「僕、何かした?」


 アイスをかじる彼女は、まったくこちらを見ようとしない。目の前の雑木林から聞こえるセミの合唱が、バス停の静寂をかき消していた。


 僕は彼女から目をそらすように、すかすかの時刻表に目をやり、アイスをかじる。もっとも、僕も彼女もここから歩いて帰れる距離に家はあるのだが。


「あんたさ、大学はどうする?」


 声の方に目をやると、彼女はアイスを食べ終えていた。まだ目を合わせようとはしてくれず、揺れる木漏れ日に視線を落としている。


「前も言ったろ。東京の私立大学に行くって」


「うん。あまりの告白にびっくりしたのは、今でも覚えてる。あんた、そういうの柄じゃないだろうって」


 明るいが、どこか暗く含みのある口調だ。しかし、僕には全く心当たりがない。無頓着さには自覚があるので、汗とともに段々と焦りが出てくる。


「君は、どうするの?」


 そういえば、彼女の進路は聞いたことがなかった。もっとも、彼女は僕より賢いので、大抵の大学には行けると思うが。


「私は、ここに残る。残らないといけない」


「ここって?」


 思わず聞き返してしまった。セミの合唱が、けたたましさを増していく。


「この、港町のこと。私、大学行けないんだ」


 え。そう、声に出てしまった。ひどく間抜けな顔をしていたと思う。嫌な汗が首筋を辿った。


「ごめん、私、先帰るね」


 彼女は終ぞこちら見ずに、足早に去っていく。僕は食べかけのアイスをその辺に放り投げ、彼女の後を追おうとした。


「ついてこないで!」


 まるで見透かしたかのように、一喝する彼女。そよ風が、セミの鳴き声が、一斉に止んだ。


 再び、彼女は歩き出す。根性なしの僕は、これ以上彼女の後を追うことはできなかった。


 それからというもの、僕を置いていく彼女が目に焼き付いて、離れなかった。怖くて、彼女の家にも行けなかった。


***


 放心状態で迎えた八月中旬の夜、電話で彼女に呼び出された。アイスを食べたバス停に向かうと、純白のワンピースを身にまとった彼女が、街灯の光の中にぼんやりと浮かんでいた。


「来て」


 彼女は微笑みながら少し先を行く。会話なくただ通学路の坂道を下り、いつも登下校で通る海岸に辿り着く。


 彼女は堤防に海の方を向いて座り、僕にもそうするよう促す。僕は訳が分からなないまま、彼女の言う通りにした。それから、しばらく二人して満月が浮かぶ黒い海を、ただぼんやりと眺める。


「……ごめん」


「いや、僕の方こそ、ごめん」


 そこからまたしばらく、二人して黙ったまま。満月が、さざ波でゆらゆらと揺れている。


「ねえ」


 そして、彼女は言いにくそうに視線を落とす。


「私、許婚いるんだよね」


 息を呑む。あまりの告白に、目の前が白黒する。胸がこれまでになく苦しく、彼女の顔を見られなくなった。あの日の彼女の不自然さに合点がいき、彼女の苦しみを察せなかった自分を呪う。


「全く、何であんたが泣くの?」


 そんな僕を、彼女は少し呆れながらも、優しく抱きしめた。どうやら、僕は泣いていたらしい。


 しばらくして僕が泣き止むと、彼女は腕をほどいて微笑みかける。


 沈黙の中、海がさざめく。


ー海月、綺麗だね


 そんなこと、僕に言えるはずもなかった。

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告白 おもいこみひと @omoikomihito

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