4 違和感事象

 黄色の絵の具がぼたっと垂れたみたいに点々と垂れ繋がる道。花びらが舞いおちる道。

 それはまるで秘密の道に繋がる通路のようにも思えて、でも童話をだれかに読まれているようで道理の分からない場所でもあった。


 次の瞬間、花はきえみぞれが降り注ぎ。只々海のような質感の紅ぐろい地面が広がっていた。


「お前、灯りは持っていないのか!」

 野太くなまった男の声が聞こえてきた。慌ててそちらに視線を向けると武骨そうな人とヒョロい人が見えた。だけどあまりに暗く遠くおおよその体格しか分からない。


「どこにもそんなものはありません!」

 若い男特有の声が聞こえた。先ほどと別の声だ。恐らく声の場所から考えるにヒョロい人だろう。


「我らは誇り高き武士! どんな困難でも挫けず信念を貫いてみせよ!」

「じ、地面が! いや水が上がってきます!」


 動こうと駆け寄ろうとするも動けない。身体が固まったように。遠い、けど動けば間に合うかもしれない。なのに――


(助けられないッ!)


「おい、岸まで逃げるぞ!」

「岸など何処にもありません!」

「なくても泳げば行ける! 根性見せれ、漢なら!」

「ダメです! 本当にありません! あり得ません! こんな景色!」

 戸惑うヒョロい男。きっと彼は見えている。夜目がきくのか。一体何があり得ないというのか何に対しての言葉なのかはまぁここからじゃ何も分からない。


「くっ、そんな莫迦な。ここまでというのか⋯⋯。」


 足も手も――ダメだ。動かない。声も――出ない。動いて! そう思うもそのまま声も出せず動くことも出来ないまま彼らの言う通り水位が上がってきたのが足に伝わった。

(ッ溺れる!)


 藻掻くことすら許されず、只々息が苦しく出来なくなっていき、意識が徐々に暗く遠のいていく感覚がする。海も紅ぐろい。


 ん? この海、感触が海じゃないね。これは海よりもう少しドロッとしている。けれど、誰にも伝えられることは出来ない。身体が鉛のようとかもなく、ただ本当に動かないからだ。

 息が出来なくなり首もギュッと締め付けられていくのを錯覚にも覚えた。息も吸おうにも吸えないような苦しさ。でも何処か脳がぼーっとしてしまう。


 そんな儘なる事すらできない思考の中、ふと彼らが思い浮かんだ。憎しみと同時に大好きな彼らが。

 そうだ⋯⋯、まだ何にも伝えていない。莫迦で道理の分からない彼らに。


 彼らもまた、生きている。自分らもまた、生きている。伝えよう。もしも伝えても分からない、己のことしか頭にないというのならその時は――憎しみと両立した愛で怒るしかあるまいよ。

 何をやってやらかしているのかさえも分かっていないというのなら⋯⋯余計にね。


 そんな莫迦なことを考えつつも無様にも足掻いて、足掻いてたしかに微かだけどみえた揺らめく光は仄かに暖かかった。暗い、けどもう大丈夫だろう。なにもみえな、くても――。


 ⚠⚠⚠



「すぅー、すぅー、すぅー、すぅー。」


 必死に息を吸い込もうとするのが何だか他人のように思えた。あ、自分はこんなにも生きたかったのだろうなと。ッ、途端に不安になってきて首に手を当てた。


(息がある。生きている⋯⋯。生きているんだよね。――それにしてもなんで、なんで息が苦しく?)


「はぁあああ。」

 肺に十分溜まり有り余ってしまった空気を吐いた。頬に暖かいものがつたる感触。思わず触ると濡れてる。水。


(あ、涙か。)


 ふと水溜りに身を佇んでいることに気付いた。なんだろう、これ。気にはなるけどひとまず状況を整理しよう。

 最後に確か、電車で急に景色が傾いて。その後、今のが起きて助けられなかっ――、いや待てよ。あの人たちの言っていた内容、少し引っかかる。


「西田先輩!」

 え、とその声の方を振り向こうとするも視界がまっくらになった。


(ぐ、何かがぶち当たった。痛い。)


 下を見るとなだらかな肩に少しばかりかかる程の黒い毛先が見え、直ぐ気付く。あ、これ後輩だ⋯⋯って。

 球が腹目掛けてぶん投げられたのかと思ったけど茉莉さんか。にしてもそれくらいのぶち当たり具合だったね。


「い、生きてる⋯⋯。良かったぁ。」

 生きてるということは死んでたのかな、自分。そう思うも本当に安堵している後輩に何も聞けず。ここで聞いたら空気の読めない奴とか思われかねない。――いややっぱり聞こう。


「死んでたの? 自分」

「はい、多分死にかけてました。」


(⋯⋯。ん? たぶん死にかけ、てた?)

 思わず脳も身体も思考も動かないほどの衝撃が全身を走る感覚がした。


「時間がかかりますし、今から起きたことを語ります。」




 私は電車にて西田先輩が倒れたと思うと少しチカつく電車内で手首から垂れ出る血に不安を募らせました。その不安もつかの間、上から事象の死体が降ってきて。そっちに目を奪われました。

 ふとこんなことが頭を過ったんです。もしかしてこの手首の血は、事象に受けた傷じゃないか、と。


 不意に西田先輩を見ると先輩の周りにはどんどん水が広がり水たまりを作っていました。


 もしかして――もう一体の事象?


 こんなに連続で発生した件は珍しく、私は戸惑いながら民間人に先輩から離れるよう呼びかけをしました。

 先輩にゆっくりと近づき、事象に対処しようと試みました。ですが、先輩は忽然と姿を消しました。


 直ぐに事象課に連絡と車掌に知らせ、緊急停止を試みました。ですが、電気系統のトラブルが発生し、電車内にはパニックが広がりました。何とか近くの駅にて緊急停止をし電車が止まるや否や、直ぐに我先にと降りる人でごった返しになりました。私も一度電車を降り、近くで事象課が来るのを待ちました。


 すると、公雪隊の人間が一人話しかけてきました。もう一人は誰だろうと思っていると、クソ隊の人間でした。

 係の代わりに隊だなんだと曰わった連中です。隊は、統率と国民を守る意志だというのに。


 それから、私がいる隊は甘いですね。責任を感じ捜したいと、痕跡を見つけたいと思った私の要望を聞いてくれたんですから。


 周りに人がいなくなってから、3人で電車に乗り込みました。事が起きたのは電車のドアが閉まり、不気味な絵を見つけた時でした。


 その絵は、海と滑空中の赤飛魚の特徴を見事に捉えて描かれているものでした。一人が、クソ隊の隊員が声を上げました。


「これ、なんだ?」と。


 近寄って見てみるとまるで何かの膜のようなぶよぶよと少し白みのある球体がありました。コンタクトみたいだなんて場違いにも思っていると――絵と目が合いました。


 絵の赤飛魚がニタリと目と口角をつり上げていたんです。海も変な紋様と化して。次の瞬間。


 足元にぶにっとした感触が残ったかと思って足元を見ると、紅い液体が辺りを満たしていました。紅い液体はぶにっとしました。

 ふと絵を見ると海だった部分が紅ぐろくなっていました。それは海じゃありませんでした。文字でした。


 私は待っているの。と海を使い盛大に描かれた文字でした。横には不自然に拭い取られた絵の具の跡もありました。


 地面が揺れ動きました。私はふと待っているという文字がもしも――と思い、絵に向かって駆け出しました。ここで違ったとしても行かなかったら絶対後悔すると分かっていたからです。


「おい! 何をするつもりだ!」

 そう言った公雪隊の人の制止も聞かず揺れ動く地面を感覚がおかしくなりつつ走り、走って。途端に紅い水じゃなくドロッとしたものが上がってきました。それでも私は走りました。悔いのないように。


 私が絵に手を伸ばそうとすると――、紅い水位が突如として上がり黒い髪の毛が目前に揺れているのが見えました。ふと周りを見渡すと他にも肉片や、骨、頭蓋骨やら何やらまで。


 これは――と思い大急ぎで絵を手に取りました。すると水位が突如として下がり床に少しだけ叩きつけられました。お尻が痛かったです。


「何を考えているんだ!」

 そう公雪隊の人に怒られるも、クソ隊の人が庇ってくれました。

「この子が動かなかったら僕たち、今頃どこにいると思う?」と。

「⋯⋯すまない。考えが至らず。」

 そう頭を下げて謝ってくれました。クソ隊の人はというと床を見てウロウロしています。


「お、あった。」

 クソ隊の人は先ほどの膜を拾い、私が持っていた絵に当てました。すると何故か、絵は元に戻っていました。彼は手品でも使ったんだろうかと今も不思議です。


 そして水たまりが現れて西田先輩も戻って来たというわけです。つまり、全て元通りと言うわけです。


 でも彼、クソ隊の人はこう言いました。

「いいや、まだ終わっちゃいない。この事象は近いうちにまた起こるな。ま、何にもしなければだけど。」




 そう語ってくれたはいいけど、そのクソ隊の人って――あいつだよね? うぐ、借りを作ってしまった。情けないことに。


「ありがとう、教えてくれて。ところで最初に言ってた時間かかるって何のこと?」

「床の採取と普通の絵に戻りはしたけど回収しなきゃだろ? 特に事象なんざあちこち行くんだからよ。な? 西田」

 そう言ってビニールまみれの恰好になり大きいビニール片手に電車の貫通ドアから出てきた共犯者がいた。う、今一番会いたくない顔だよ。


「そうだね、こん先輩。」

「知り合いですか?」

「うん。に入ったんだってね?」にやりと笑って言ってやった。


「ぐ、わざとか?」

「勿論。」

 したり顔で返してやった。胃が痛いのか疲れているのか何だか本当に参った顔をしている。ま、あそこの略してクソ隊は元気一杯、破茶滅茶だからな。無理もないか。


「ところで西田先輩。立てますか? ここそろそろ離れましょう。」

「うん、勿論立て――ん?」

 あれ、おかしい。身体に全然力が入らない。立とうと力を入れるも、そもそも手に力が入らない。


「よし、僕がおぶろうか? 今は先輩だからよ。」

「いいえ、西田先輩は私がおぶるので結構です。」

 なんか少し毛嫌いした顔で茉莉さんが自分を背負った。どうしたんだろう?


「西田先輩。手、絶対離さないんで。西田先輩は安心してて下さい。」

「う、うん。」

 後輩が意外と力持ちだ。それくらい事象と戦うのに一生懸命な証でもある。一体どれだけ訓練すればここまで逞しくなるだろうか。


(これが強く守りたいという意志の背中か⋯⋯。)


 それにしてもこの違和感。解かなければ対処もとれずにまた事象に呑み込まれ自分は今度こそ死んでしまう。勿論、どうにかするけども。


 違和感は――、あの武骨な人のなまり、ヒョロい人は何に対しあり得ないと言ったのか、笑っている絵、文字と紋様、「私は待っているの」という文字、紅黒い海じゃないと思うも海の質感を持つ地面。ドロッとした水。


(然し、まるでほどいて辿り着いてみせろとでも言うような事象だね。今回の事象は。)

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止まり解いて事象、彼らもまた。 芒硝 繊 @Rsknii7_myouya

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