ただ愛されたかった

クロノヒョウ

第1話





 千秋はいつも明るくて素敵な女性だった。千秋目当てにサークルに入ってくる男もいるほど綺麗で人気者だった千秋。

 そんな千秋から『付き合ってみない』と言われた俺は二つ返事で千秋と付き合うことになった。最初は半信半疑だった。でも千秋はすぐに俺にその綺麗な体をあずけるようになった。

「君といるとなんだか落ちつく」

 二人でベッドに横になっていると千秋がぽつりとつぶやいた。いつも笑っている千秋は俺の前ではあまり笑顔を見せることがなかった。俺と一緒にいたって楽しくないだろうなと不安になった俺は千秋に聞いてみたことがあった。

「どうして俺なの」

 千秋にふさわしい男は他にいくらでもいる。カッコいいわけでもなく目立つこともない、大学ではよく本を読んでいるだけの普通の俺。千秋がなぜ俺を選んだのかずっと気になっていた。

「理由がいるの?」

 千秋はふふっと鼻で笑ってそう言っただけだった。

 結局どうして俺と付き合っているのかわからないまま月日は過ぎていった。

 千秋は家にいる時は本を読んでいることが多かった。だから俺たちはほとんど会話もなくお互いに本を読んで過ごしていた。

「読むのも好きだし、将来本も書きたいの」

 俺といるとずっと本を読んでいられると嬉しそうに言っていた千秋。

 みんなの前では明るくふるまっている千秋が俺の前では素でいてくれているような気がして俺は勝手に優越感にひたっていた。俺だけが知っている千秋。千秋のことが好きで好きで俺の心は千秋でいっぱいだった。

 講義を終えて千秋の家に帰って一緒に本を読み体を重ねる。そんな毎日が三ヶ月ほど続いた時だった。

「たまにはどこかに出かけない?」

 そう誘っても首を振るだけの千秋。俺だってたまには千秋とどこかに遊びに行きたい。デートもしたいし旅行にも行きたい。なにか物足りない。そんな不満が俺の中に現れだしていた。ずっと一緒にいて体も重ねているのになぜか不満なのだ。そもそも千秋は俺のことをどう思っているのか。千秋が何を考えているのかわからなかった俺は日に日にイライラが積もっていた。

「ねえ、俺といて楽しい?」

 いつものように体を重ねたあと、俺はたまらずそんなことを口に出してしまっていた。

「そう聞くってことは、君は楽しくないんだね」

 俺は一瞬鼓動が激しくなったのを感じた。核心を突かれた気がした。確かにそうだ。千秋のことは大好きなのに、楽しいとは思っていない自分がいた。

「私ね、お付き合いするたびに言われてきたの。『俺は人形と付き合ってるんじゃない』って」

 千秋はそう言いながら寝返りをうって俺に背中を向けた。

「これが本当の私。外では明るくふるまうけれど、本当はずっと家にいて本を読んでいたい。ただそうしていたいだけなのに、全部私が悪いみたいに言われてきた」

 俺は何も言えないでいた。俺自身もそう思っていたからだ。

「私は人形なんかじゃない。勝手にそう感じて勝手に怒って、みんな勝手に私のもとを去ってゆく」

 そうだ。千秋は何も悪くない。わかっているはずなのに俺の不満も止められないのだ。

「ごめん千秋。でも、俺だって千秋と」

「もういいよ。君なら私のことをわかってくれると思ってた。君ならありのままの私を愛してくれると思ってた。でももういい」

 千秋の声は震えていた。

「今までありがとう」

 背中を向けたままでそう言われた俺は、もうどうすることもできないのだと感じていた。

「わかった。俺のほうこそ、ありがとう」

 俺はベッドから出て千秋とお別れをした。

 今考えると千秋との時間は俺にとっては通り雨のようにあっという間の出来事だった気がした。ただ、その雨は俺の心の中に大きな水たまりを作っていた。

 恋人とどこかに遊びに行ったり一緒に楽しく過ごしたいと思うのは当たり前のはず。でも千秋みたいに自分の好きなことをして一緒に過ごしたかったという気持ちもわからないでもない。じゃあ俺はどうすればよかったのか。あのまま千秋とただ一緒に本を読んで体を重ねるだけでいればよかったのか。

 心の中の水たまりが乾くことのないまま月日は流れ、俺は大学も卒業し社会人になっていた。

 毎日満員電車に揺られ、職場と家を往復するせわしない日々。明日からの三連休に浮かれた俺は久しぶりに本屋に立ち寄り真新しい本を物色していた。

 その時目に止まったのは新人作家特集のコーナーだった。たまたま手に取った本を見て俺は胸が高鳴るのを感じた。


 『ただ愛されたかった』著者・千秋


 そう書かれた本をペラペラとめくり最後のページを読んだ俺はその場から動けなくなっていた。


 追伸

 『どうして俺なのかと聞いた君へ』

 『君のことが好きだったから。それ以外になにか理由がある?』


 溢れ出る涙で文字が見えなくなった俺はこっそり涙をぬぐいながらレジに行った。

 ああ、俺はあの頃ちゃんと愛されていたんだ。

 俺たちはお互いにただ愛されたかっただけなんだ。

 そう思うと心の中の水たまりが消えたような気がしていた。



           完





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