合コンに行ったら隣りに元カレがいて、開始20分で持ち帰られました

一条珠綾

第1話

「カンパーイ」


 今日は、ビールが美味しい気温である七月中旬のフライデーナイトだ。仕事が終わった人々が弛緩した顔で酒を飲み交わす中、俺は元彼の横で合コンに参加していた。

 

 金曜日の夜はなんだか特別なことが起こりそうな予感がする。俺がわずかに抱いていた、きらめくネオンの中で新たな恋を見つけられるかもしれないという少しの高揚感は、元彼の顔を見た瞬間、またたく間に萎んだ。


 何を言っているか分からないと思うが、俺は男で、横に座るこいつは元彼だ。ちょうど二ヶ月前に別れた元彼は、いつも通りまばゆいばかりに輝いている。


 今日は四対四の合コンだと聞いていたが、正面に座る女の子達は、一人残らず、元彼が気になっているようだ。隣りに座っているからこそ、好意を含んだ目線が少し外れた角度から飛んでくるのが分かる。


「灰谷くん」


 一番可愛いロングヘアの女の子が元彼の名前を呼ぶ。

 

 やめてくれ。思わずそう叫びそうになり、乾杯すらしていないのに、手元に運ばれてきたビールに口をつける。そうでもしないと、みっともない感情でこの場を台無しにしそうだと思ったからだ。



 この合コンが開催される四日前、幹事である俺の同僚から、「メンバーが足りないからどうか」と誘われた。傷心中だった俺が瞬間的に「行きたい」と返事をしたのが悪かったのだろうか。まだ癒えていない失恋の傷をまざまざと感じることになってしまった。


 失恋の傷は新たな恋で塞ごう、なんてよく言われるが、塞ぐもなにもまだ血がだらだら流れ続けているんだから、新たな恋だってすぐに剥がれてどこかへ行ってしまう。


 俺だって、この恋にこんなにハマるなんて想像もしていなかった。今年で三十一歳になる俺は、パートナーを作る適齢期ではあるのだろうが、誰かのそばにずっといるという将来はまだまだぼんやりとしている。モテる方でもないし、このまま一生ひとりかもと半ば開き直っていた時に、革命でも起きたのかと思うくらい衝撃的な恋だった。


 あいつと付き合って休日に一緒にいられる安心感とか、仕事帰りに「ただいま」「おかえり」を言える嬉しさだとかを知って、どうにも人恋しくなってしまったのだ。


 けれど、俺は結局、その人恋しさより、自分が傷つかない方を選んだ。約二ヶ月前、俺は人生で初めてできた恋人を自分から振ったのだ。そして、その振った恋人が、いま横に座る灰谷樹だ。


びっくりしてぐるぐると考え込んでしまったが、今日の合コンは世間一般では当たりだろう。幹事の店選びのセンスも良く、こぎれいなイタリアンは雰囲気がいいし、食事が美味しそうだから、酒も進むだろう。目の前にいる女性たちは、ふわふわと可愛らしく、性格も良さそうだった。


 ただ、四人とも、誰に気があるかわかりやすく、俺の隣に座るあいつをチラチラとみている。


元カレである灰谷樹は、俺が働く町工場のお得意様である大手文具メーカーで働く営業マンだ。すっと通った鼻梁と形の良い唇、ブラウンがかった髪が、店の明かりに透けている。いわゆるイケメンだ。背も高く、百八十センチはあるだろう。声は低音ボイスながら芯が通っており、聞き取りやすい。


 一度、営業なのに黒髪じゃなくていいのか聞いたが、少しくらい崩れていた方が話しやすいと思ってもらえるんだと笑っていた。そういうところも好きだった。


(相変わらずイケメンだよなあ)


 樹の横顔を見ていると、どうしても付き合っていた頃を思い出してしまう。


 俺は、しがない町工場で、文房具の中に入っている貴金属の製造をしている職人だ。異様に口下手な性格をしているため、学生の頃から、手に職ならぬ技術を身につけて働きたいと思っていた。卒業時に進路に悩んでいたのだが、たまたまこの町工場の社長と研究室の教授が知り合いで、とんとん拍子で入社できた。


 樹と知り合ったのは、今から二年前だ。樹の会社が新作のボールペンを出したいというプロジェクトを抱えていたので、開発メンバーとして、うちの会社から俺が選ばれたのだった。


 樹の会社が求める新作ボールペンは、従来のものよりしっかりと書き心地がよく、それでいて途中でインク詰まりを起こしたり、にじみが出たりすることがないようなものという、ハイレベルな製品だった。


 樹は、商品の品質に関して妥協する気が一切なかった。技術的に厳しい要求を突きつけられ、言い合うこともあった。俺は口下手で目つきが悪いせいで、若干遠巻きに見られることが多いが、樹は俺と四つも年下なのが分からないくらいしっかりと話し合ってくれた。


 何度も試作を重ね、失敗を繰り返し、商品を世に出せたのが、約一年とすこし前。技術が高く、値段も手頃なそのボールペンは、爆発的に売れ、樹も俺もすごく喜んだ。そして、大ヒット商品を生み出したお祝いとして2人で食事に行った時、樹から「恋人になってほしい」と告白された。


 告白のとき、整った顔が少し赤くなっていた。驚きのあまり返答を忘れてぽかんとしていた俺を見ながら、テーブルの上にのせていた俺の手をぎゅっと握られた時には、もうノックアウトされた。


 俺はゲイよりのバイで、男が恋愛対象になることが多かった。一緒に新商品を開発していた時から、つまりとっくの昔に樹のことが好きになっていた。ただ、人付き合いが苦手で、今までお付き合いというものをしてこなかった童貞処女の俺は、付き合ってもいっぱいいっぱいだった。


 樹はそんな俺にペースを合わせてくれて、手を繋いだのは付き合って三回目のデートの帰り、初キスは一ヶ月記念に乗った観覧車の中で、ちょっとディープなキスは二ヶ月記念日だった。どんな少女漫画かと思うほど、ロマンティックな恋愛を楽しませてくれた。


ただ、その先、そう、セックスは少し怖くて、尻にアレを入れるのはゾッとしてしまっていた。多分俺が受け身だろうし、なかなか踏ん切りがつかずに躊躇っていた。いい歳して、「セックスするのは、一年くらい付き合ってからがいい」って言ったら、「もちろん待つよ」と答えてくれたのも、いい思い出だ。この時間がずっと、できれば死ぬまで続けばいいのになあと緩んだ頭をしていた。


 しかし、物事はそんなに上手く続かず、ある日会社のパートさんとの立ち話で、樹が、樹の会社である文房具メーカーの跡取り息子ということを聞いてしまった。今は修行中で営業をやっているが、ゆくゆくは会社を継ぐ予定なのだという。


それを聞いて調べてみると、樹は文房具メーカーの社長である灰谷さんと苗字が一緒だった。ぼけっとしている自分の性格が恨めしい。また、パートさん曰く、商品をたくさん卸している大きい書店の娘さんとの縁談もまとまっているらしい。マジかーと思ったけど、やっぱりなという気持ちもあった。


 あんなにかっこいい男が俺だけのものになるなんて、やっぱりありえないことなのだ。


それを聞いたのが付き合って十一ヶ月になった頃。すぐさま別れようかとも思ったが、できるなら死ぬまで思いだせる思い出が欲しくて、踏ん切りがつかなかった。初めての恋人と過ごした日々は、無くなったら凍えて死んでしまうほど暖かかった。


 別れても、思い出して、それを一生あたためて生きていけるような思い出を作りたいと思った。


そして、その願いを叶えるには、セックスしかないと思った。まあなんだかんだ綺麗事言ったけど、ぶっちゃけ樹とセックスがしてみたかった。


奇しくも交際一年記念日は、俺の誕生日の前日だった。そうして、一年記念日に樹のマンションのベッドの上で初セックスをした。二人で愛を囁きながら抱き合う時間は、本当に幸せだったけれど、その翌日、俺の誕生日の朝に、俺から別れを告げた。


 理由は適当に考えて、告白された時から本当は迷っていた、性格が合わない気がする、セックスもよくなかった、など散々ひどいことを言ってしまった気がする。


 樹の口から、婚約者の女性のことを聞くのは嫌だった。だから、自分から終わらせた。俺は、臆病な卑怯者だ。けれど、樹から「女性と結婚するから別れてほしい」なんてことを言われたら、きっと涙が止まらない。自分がこんなに我がままなやつだとは知らなかった。樹と付き合うと、自分の知らない一面がたくさん出てきた。


 そして、一方的に別れ話を告げて、樹の顔も見ないまま、彼のマンションを飛び出した。自分のマンションへ帰るために乗っていた電車の中で、スマホから連絡先を消した。相手からの連絡も来ないようにブロックした。一度でも連絡が来たら、また、これまでよりずっと好きになってしまうと思ったからだ。最低な誕生日で、それをしたのが自分だと思うと、全てを投げ出したくなった。


 自分で決めたことなのに、しばらくはめちゃくちゃ落ち込んだ。それでも暮らしていくには働かなければならない。幸いにも職人という仕事は、集中力が必要で、バネや芯先を集中して作っている時は別れた後の荒んだ気持ちを忘れることができた。


 樹は時折、うちの会社に営業に来ていたようだが、俺はずっと奥の作業スペースに籠もっていたから、会うことはなかった。あいつが社長になれば、うちみたいな町工場まで来ることはなくなるだろう。樹の会社はお得意様なので、結婚の知らせは耳に入るかもしれないが、少しずつ忘れていきたいと思った。


—------


 そう思ったからこそ、別れてから二ヶ月たって、合コンに参加したのに。店に入った瞬間、樹の顔を見て、衝撃が走った。樹が合コンに来ていたって、俺には何も言う資格はない。新しい恋人を作りたいのかと思うと、胸がチクリと痛むけれど、それを顔に出すことはできない。


 でも、婚約者がいるのに合コンに来ちゃダメだろ。もしかして破談になったのか。


 絶望と卑怯な期待が入り混じり、動揺する自分を気づかれていないかと思い、隣にいる樹を盗み見ると、やっぱりカッコ良くて胸がキュンとなる。乙女か。


 仕事終わりで、緩めたネクタイから見える男らしい首筋に、ゴクリと喉がなる。あの夜を思い出しそうだ。


 樹は、何か狙うように、俺がちびちびとビールを飲む姿を、目をすがめながら見ている。女の子の方ではなく、俺のいる方に顔を向けている。というか、もはや体までこちらを向きそうだ。女の子の方を見たほうがいいんじゃないかなと思いつつも、気まずさが募る。ようやくなされた乾杯の音頭の後、すぐさま話しかけられた。


「康治、久しぶりだね」

「…あ、うん」


 口下手すぎる俺は、話を広げることもできずに、樹の話しに乗るしかない。


「康治が合コンに来るって聞いて、来ちゃった。彼女ほしいの?」

「…まあ、そうだな」

 

 樹の眼差しに一瞬だけ苛立ちが映ったような気がした。商品開発で議論が白熱した時によく感じていた雰囲気が醸し出される。けれど、樹は一瞬でその雰囲気を霧散させた。


「……いつも作業服なのに、今日はスーツなんだね。…よく似合ってて、可愛い」

「…?!…おう、ありがと」


 最後にさらりと可愛いと言われて、動揺してしまった。樹に可愛いと言われると、蕩けそうになるからやめてくれ。


「羽山さんと灰谷くんはお知り合い?」


 そうやって、俺達が会話と呼べるか分からないコミュニケーションをしていると、樹の目の前に座っていた女性から声をかけられた。思わず、意識を前に向けると、目の前に座っている女性陣が、灰谷との会話のきっかけを掴みたそうにしていた。樹は俺に向けていた顔を女性陣に向ける。


「そう。仲良かったんだけど、最近連絡が取れなくなってて」

「……っ!」


 これで、樹が俺と話すこともなくなるな、でも女性と樹が話しているところも見たくないなと思った瞬間、テーブルの下から樹の手が伸びてきて、同じくテーブルの下にあった俺の手をぎゅっと握られた。心臓が飛び出るかと思った。


「康治には、昨年出た新商品の開発を手伝ってもらってたんだ」


 樹は女性陣と話し始めた。そして、話しながら、俺の指と樹の指を絡めた。テーブルの下で、いわゆる恋人繋ぎをされ、混乱する。動けずにいる俺の手の甲を親指でさらりと撫でられると、樹に触れられているという興奮と、一瞬の快感で、びくっと体がはねる。


 やめてくれと思いつつも、樹と触れ合えていることがたまらなく嬉しい。ビールを持つ手で口元を隠しながら、樹の方をみやると、何でもないように女性陣の方を向きながら、話している。


 そのうち、俺の手の甲を親指で撫でていたのが終わったかと思うと、二人の間にあった手と手が俺の方に押されてきた。何がしたいのか不思議に思っていると、繋いだ手は俺のベルトの下で止まる。ぎょっとして、下を見ると、樹の手の甲が俺の方にあり、感じやすいところをぐっぐっと押された。


「…っぅ」


 いきなりすぎて少し声が出てしまったが、樹が何を考えているか分からず、ぱっと手を離して、テーブルの上に置く。樹は手が離れた瞬間、眉をピクリと動かしたが、握っていた手はするすると自分の方に戻していった。


「…おれ、トイレいってきます」


樹の手の甲で押されたあそこが少しまずいことになりそうで、一旦頭を冷やすことにした。始まって10分程度でトイレに行くなんて、女性陣には不思議に思われるだろうが、しょうがない。思いがけず樹と会ってしまったこともあって、冷静になりたかった。


俺はそそくさと席を立ち、トイレに向かう。樹が目で追いかけているのも知らずに。


—----------


 店の奥には、綺麗な洋式の個室トイレが一つあった。居酒屋のトイレらしく、照明が落としてあり、店内より少し薄暗い。ドアを開け、入ろうとした瞬間、後ろからドンッと押された。驚きのあまり慌てて振り向くと、樹が後ろ手でトイレの鍵を閉めていた。


「康治、酔っちゃった?」


ビールをほんのちょっとしか飲んでないのに酔うはずがない。でも、樹がにこりと笑って聞いてくると、酔ったように熱が上がる。


 樹が笑うところは付き合っていたときから見ていたが、今日のの笑顔はどこか凄みがあって、色っぽい。


「…おまえ、ここトイレだぞ」

「知ってるよー」

「連れションでもしたいのか」


 樹は妙なテンションで俺に話しかける。けれど、俺の返事を聞いて、一瞬キョトンとした一樹は、すぐさま笑顔になり、こう言った。


「いいね。じゃあ、康治の手伝ってあげよっか」


 そう言うなり、俺の身体を洋式トイレがある方にくるりと回転させ、後ろから抱きついてきた。と思いきや、スーツのチャックを開けようとしている。


「はっ!? なに、やめろ…っ! 」

「んー。あれ? さっき、少し反応してたのに、戻っちゃってる」


 慌てて、俺の股間を擦り上げる手を掴んで止める。が、その手を後ろに取られてしまった。


「ね。康治、今日なんで合コンなんてきたの?」


 背中に樹が密着している。耳元でそっと囁かれて、身体の芯に熱がともる。素直に恋人が欲しかったからと言いそうになったが、何故か背筋がゾッとしたので、やめておく。


「ぁっ…。 …なんか飲みたい気分だったから…手、やめろって」

「ふーん。飲みたいだけ? じゃあ、今日は俺のマンションで飲み直せばいいよね? 」

「…? …この後か? 」

「ううん。いまから」

「それはダメだろ。瀬川が困るぞ」


 何を言っているのか分からないが、合コンを抜けるつもりなのだろうと思ったが、それだと幹事の瀬川が困る。そう伝えたところ、樹はひょうひょうとのたまった。


「瀬川さんには、もう言ってあるよ。むしろ、三十分したら、俺の会社の後輩が二人くることになってるし」

「は? じゃあ男が六人になるじゃねーか」

「もー!康治は鈍い!そこが可愛いんだけど」


 可愛いと言われ、少し頬を染めてしまったのは、惚れた弱みで許して欲しい。


「とにかく、いまから俺の家に行こ!」


 そう言われて、半分くらいまで下ろされていた俺のズボンのチャックをさっとあげられた。何がなんだか分からないままに丸め込まれて、タクシーに乗りこみ、二カ月前まで通っていた樹のマンションへ向かうことになった。(席においてあった俺のかばんは樹が持ってきてくれていた。なぜだ)


 タクシーではトイレの中での出来事が嘘のようで、この前開発した商品の売れ行きや商品を購入した客からの声を話した。こうやって開発している時が楽しかったなあとしみじみ思った。別れても友人として付き合っていけたらいいのかもしれない。


 友人として付き合って行けば、奥さんのことや、これから生まれるであろう子どものことを聞いても、胸が痛まなくなる日が来るかもしれない。…何年かかるかは分からないが。


 途中、樹がコンビニに寄りたいといって、降りて行った。袋を見るとビールを買ってきていて、どうやら宅飲みをするようだ。


 その瞬間、重大なことに気が付いてしまった。


 …もしも、樹のマンションに、婚約者の女性がいたらどうしよう。むしろ、結婚報告されたらどうしよう。いつかは穏やかに友人として付き合えたらいいが、今日の今日は心の準備が追いつかない。


「…なあ。やっぱりおまえの家じゃないとダメか」

「俺の家に来るのはいや? 」


 なぜかひやりとする声で聞かれ、言葉に詰まる。


「…そういうわけじゃない」

「ならいいでしょ。…もしかして、誰かに操でも立ててるの」


 樹の声が少し硬くなる。樹の機嫌が悪くなるときの合図だ。そうこうしているうちに、樹のマンションに着いた。


 樹のマンションは都心にある三LDKで、初めて来た時は文房具メーカーって結構稼いでるんだと思ったが、跡取り息子なら納得だ。


 これまでと違うことは、エレベーターの中が気まずい沈黙で満たされていることだ。これまでは、付き合っていたころはエレベーターに入った途端、手を繋いでいたから。


 変わってしまった二人の関係にほんの少し心を痛めつつも、着いてしまったものはしょうがないと、腹をくくって、樹の後に続いて、玄関に入った瞬間だった。


「…おじゃましま、ッ!!」


 肩をつかまれて、急に壁に押し付けられたと思ったら、樹の唇が降ってきた。喰らいつくように、口内の粘膜を舐められる。クチュというこもった音が耳に響く。最初こそびっくりしたものの、樹と触れ合えて、ドキドキしてしまう。

 

 訳が分からないのに、この唇を俺から引き剥がすことはできなかった。俺からも必死に舌を合わせると、樹は一層興奮したように舌を潜らせてきた。


 長いキスが終わり、ふとリビングに続くドアをみるが、明かりはついていない。今日は誰もいないようだ。それにほっとし、樹を見ると、熱っぽい視線で見つめられる。


 このままじゃ流されると本能的に感じた。こっちはまだ未練たらたらなんだ。でも、婚約者と二股かけられるのも嫌だ。そう思った俺は、この状況を打開するために、口を開いた。


「…とりあえず、リビング行くぞ」


 樹の胸を軽く押して、俺はリビングの扉を開ける。久しぶりにやって来た樹の部屋は、何も変わっていなかった。むしろ、俺が気に入っていたクッションやスリッパもそのままだった。樹の匂いがして、ドキドキする。


 付き合っていた頃と変わらないリビングの様子を見て、入り口で立ち止まっていると、樹が後ろから抱きしめてきた。


「…ねぇ。康治って、ほんと焦らし上手だね」

「なにが。それよりも、何で俺をここに連れて来たんだ。ちゃんと話し合おう。飲みながらでもいいから」


 付き合っていたころの定位置のソファに腰かけて、樹が買ってきたビールをテーブルに置く。ふかふかで寝れそうなくらい広いソファは、おそらくオーダーメイドだ。身体に馴染む固さが心地いい。


 しぶしぶといった様子で、隣に腰かけた樹は、俺の腰をさらっとなでて、ビールを手に取った。そして、重い溜息をついて、俺と自分の分のビールのプルタブを開けてくれた。


「あのままベッドにゴーしなかった俺を称えて、あらためてカンパーイ」

「? ...それより、瀬川は本当にだいじょうぶなのか」

「だいじょーぶ。むしろ、今日の合コンは俺が言い出したから」

「は?どういうことだ」

「康治は俺が誘ってもきてくれなかっただろうし。さっき、ちゃんと話そうって言ってたよね?…やっぱり別れようって話しがしたいってこと?」

「まあ、そうだな…。別れてるわけだしキスはダメだと思う」


 ここまでのこのこと着いて来てしまった俺が言えることではないが、婚約者がいるやつとは付き合えないだろう。誰も幸せになれない。


 そう答えると、チッという舌打ちが聞こえた。その瞬間、腕をつかまれ、ソファの上で樹に押し倒された。


 おい、おまえ家についてからそればっかじゃないか、狙ってた女性をお持ち帰りした男でももう少し丁寧に進めるぞ、という心の声は発せられることなく、俺の喉の奥に消えていく。


 こういう強引な樹は初めてで、それにもまたキュンとした俺に突っ込みを入れるしかない。そんな俺とは対照的に、一生から悲し気な目で見つめられて、戸惑う。


「なんで、別れたいの?」

「…別れた日に言っただろ。それがすべてだ」

「ふーん。まだそういうこと言うんだ?」


 樹の手が俺の身体を這い、ベルトを取られて、シャツのボタンが外されていく。


「なんだっけ? 告白されたとき雰囲気に流された、一年付き合って分かったけど性格が合わない気がする、セックスも気持ちよくなかった、だっけ?」


 冷たい声に反して、熱い指が俺の皮膚をなぞる。シャツがはだけて、下に来ていたインナーがたくし上げられる。


 淡く色づいた乳首は、初めての時も十分快楽をひろった。樹に触れられるところは全部気持ちよかった。きゅっとつままれると、じわっとした何かがひろがる。


「…っん」


 俺がその隙をついて、樹が下に手を伸ばしてくる。スーツの上から揉むように撫でられ、布を隔てたもどかしさに肌があわだつ。そうしていると、また唇を重ねられて、深く舌を挿れられる。


「…今野さんに何か言われたんじゃないの」


 やっと離れた口から出た言葉をを聞いて、ビクッと体が跳ねる。今野さんは、樹の婚約者のことを教えてくれたパートのおばちゃんだ。


「ちがう…!俺は何も知らないっ」

 

 聞きたくない。やめてくれ。そんな思いで、樹から逃れようともがく。


「…ふーん。まだそんなこというんだ」


 樹は、そんな俺の抵抗を軽くいなして、俺の下肢をピンポイントでこすり上げる。最近、気分が乗らず、自分で処理できていなかったせいか、すぐに身体の熱が上がってしまう。


「いつき、やめろッ…!」

「もう固いね。スーツ着たままだとやばいんじゃない? 精液ついたやつ、クリーニングだすの? 」

「やめッ…や、ァ」

「なんで別れたか素直に教えたくれたら、やめる」


 なにがしたいんだ、こいつは。そんなにも婚約者がいることを確かめさせたいのか。無理やり引き出される快楽と切ない心が反応して、うっすら瞳に水分が溜まる。


 このままイクのはいやだ。けれど、樹の手は止まらず、俺は白旗をあげた。


「くそっ…! 俺は、おまえとずっと一緒にいたかった…!でも、お前がちゃんとした人とこんやくしてるってきいて、おれじゃダメだと思ったんだ」


 最後のほうはぐずぐずで、少し鼻声になってしまった。樹はそんな俺を見て、俺の目をまっすぐ見て言った。


「じゃあ、別れたくない。俺、婚約者なんていないもん」

「は?」

「今野さんには、結婚を考えるくらい大事な恋人がいますって言っただけ」

「あ?」


 樹の言葉を聞いて、婚約者でも結婚を考えるくらい大事な恋人でも同じことだろうがと思って、キレ気味になってしまった。


 樹は苦笑して、俺の頬に軽くキスを落としてから、話しはじめた。


「そう答えたのは、康治と付き合ってるとき。…ここまで言って分かんない? 俺は、康治のことを言ったんだけど。そうしたら、なぜか尾ひれがついて、河野書店の娘さんと婚約したことになってたけど。今野さんの想像力の豊かさ、なめてたよ」

「そんな…」

「それに、俺、康治とヤるまで1年も我慢したんだよ。えらくない?それだけ、康治が大事だったし、ずっと一緒にいれると思ったから待てた。どれだけ我慢したと思ってるの」


 目の前の樹は俺が望んだ言葉ばかり吐く。もしかして、自分では知らない内に合コンで酔っ払って、これは夢なのだろうか。


「…うそだ」

「ほんとだよ」


 瞳に水分を浮かべたまま、しかめっつらした俺を、樹は愛しいものを見る目で見てく

る。


 樹は重要なことほど、ちゃんとストレートに伝えてくれるやつだ。だからこそ、働いていて楽しかったし、恋人として信頼してた。そして、今野さんは、確かに話を盛る。


「ごめんね。康治が辛い思いしてたこと、気づいてあげられなくて」

「…っ!」


 その言葉で、俺の涙腺は決壊した。本当は樹の隣にいるのは俺がよかった。その気持ちだけで、樹を傷つけた。それなのに、目の前の優しい男は俺を許してくれている。俺だってごめん、その気持ちが溢れて、俺は目の前にある身体に抱きつくしかできない。


「俺も悪かった…。それが、ほんとなら、続き、したい」


 樹の頭をかき抱いて、匂いを嗅いで、発情した犬のように身体を擦り付ける。樹がグッと息をのみ、たまらなくなったかのように、性急に手を伸ばしてくる。


「…セックスが気持ちよくなかったって、ぜったい撤回させるから」


 そこ、根に持ってたんだな。


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 二人でドロドロに溶けながら、「すき」と「また付き合いたい」を言わされて、そのまま気を失うように眠ってしまった翌日、目が覚めたら、樹の顔が目の前にあった。お互いすっぱだかのままだったが、さっぱりしており、同じくさっぱりした樹に抱きしめられている。


 寝顔が穏やかで、また付き合うことができた幸せをかみしめる。


 合コン開始20分で持ち帰られたけど、恋人になら問題なしだ。



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合コンに行ったら隣りに元カレがいて、開始20分で持ち帰られました 一条珠綾 @ichijo_miaya

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