彼と彼女の小さな秘密

幸まる

秘密

今日は金曜日。

仕事帰りに買い物をして、あなたの部屋へ。


今日のメニューは、あなたの好きな煮込みハンバーグよ。

そう言ったら、あなたは子供みたいに笑って喜んだ。


三パック入りの絹ごし豆腐を冷蔵庫から一パックだけ取り出すと、銀色のボウルに入れて、潰しながらパン粉としっかり混ぜ合わせる。

ここでしっかりと混ぜておかないと、豆腐感が出てしまうから気を付けて。

合い挽き肉に、卵、塩コショウ、臭み消しにナツメグと隠し味の麺つゆ。

玉ねぎの微塵切りは、涙が出るのを堪えて頑張って切りました!

偉いわ、私。


ここで登場するのは、おろし金と人参。


人参が嫌いなあなたの為に、こっそりすりおろして混ぜ込むの。

嫌いなものを無理に食べさせなくてもって思うかしら。

だって、初めてハンバーグを作ってあげた時、グラッセにして添えたら残したんだもの。

わざわざ面取りして、綺麗に仕上げたツヤツヤのかわいいグラッセ。

まだ付き合いたての頃で、とってもドキドキして作ったのに、一つも口にしてくれなくてショックだったのよ。


だから、すりおろして混ぜ込んでやることにしたの。

こっそりとね。

秘密よ。


よく練って、成形したらフライパンへ。

片面を焼いて、ひっくり返す時はタネが柔らかいから気を付けて。

反対側にも焼き目が付いたら、弱火にして、酒、水、ケチャップとソース、醤油を少々。

甘めが好きなあなたの為に、みりんを足して蓋をする。


クツクツと音を立てて煮込まれるハンバーグ。

この香り、お腹が空いてくるでしょう?




◇ ◇




テーブルを拭いて、お箸とコップを準備する。

台所から漂う香りに、思わず大きく息を吸ったら、お腹がグゥと鳴ってしまった。


毎週末は、一緒にゆっくり夕食を。

今日のメニューはきみが得意な煮込みハンバーグ。

肉汁がジュワッと出てくる肉々しいハンバーグは、もちろん大好きだ。

でもきみが作る煮込みハンバーグは、柔らかくて、優しい味がする。

ちゃんと肉の味がするのに、どうしてこんなに違うのかと聞いたら、お豆腐が入ってるのと嬉しそうに笑ってた。


でも、知っているよ。

入っているのは、豆腐だけじゃないよね。

俺の苦手な人参も、こっそり忍ばせているでしょう?


きみはバレていないと思っているみたいだけど、人間は嫌いなものには意外と敏感なものだよ。

オレンジ色の小さな小さな粒が、ハンバーグの中に見え隠れするのに、気付かないと思った?


まあ、人参の味はしないし、悪戯が成功したみたいに嬉しそうなきみの笑顔に免じて、気付いていないフリをしておくよ。

だってその顔、大好きなんだ。

嬉しくて堪らないって、そんな顔。

ああ、きみは俺のことが好きなんだなぁって、分かるんだ。


……あ、まずい、頬が緩みすぎだ。

引き締めろ。

まだ、今日は普通にしてなきゃ。

ソワソワしてるのを気取られては駄目なんだぞ。


大事な日は来週だ。

指輪は買った。

レストランも予約した。

ロマンティックなプロポーズに憧れるきみの為に、フロアスタッフに花束を隠しておいてもらうようにも頼んでもある。


だから今日は、さり気なく、いつも通りに過ごさなきゃならない。




◇ ◇




「ごちそうさま。今日も美味かった!」


彼が両手をしっかり合わせて言うと、彼女はローテーブルの上に並ぶ、きれいに完食された皿を見て、目を細めて笑った。

嬉しそうに。

楽しそうに。

そして、どこか、満足そうに。


「良かった。ありがとう」


作ったのは彼女なのに、食べてくれて“ありがとう”と言って笑う。

その響きは柔らかく、堪らなく彼の胸を温める。



何気ない瞬間に、気持ちはぐんと高まるものだ。


「結婚しよう」



不意に彼女の手を握り、彼が言った。

言ってから、驚きに笑顔を消した彼女を見て、ハッとして手を離す。

思わず、口から出てしまったのだ。


「あっ、違う、今のナシ! いや、違わないんだけど、プロポーズは来週しようと思ってて! あっ! えっと……」

「…………来週、プロポーズしてくれるつもりだったの?」

「う、えっと……」


しどろもどろで、焦って顔を青くしたり赤くしたりしていた彼は、大汗を掻きながらがっくりと肩を落とした。


「はい……。ごめん、もっとちゃんと、来週ロマンティックなプロポーズをするつもりだったんだ」


完全に失敗した、という風に項垂れる彼の手を、彼女はそっと握った。


「十分素敵なプロポーズだと思うんだけど、返事は来週までしてはいけないの?」

「今聞きたい!」


がばりと顔を上げて即答した彼を、彼女は、しっかりと正面から見返した。


「結婚、したいです」


彼女の顔には、彼の大好きな笑顔が戻っていて。

いや、もっと輝くような笑顔で。

彼の表情はやっと緩んで、彼女を引き寄せて抱きしめた。


「嬉しい」

「私も、嬉しい」



本当は、もうずっと前からそう言って欲しいと願っていたことを、彼女は言わずに胸に仕舞っておく。

これもまた、小さな秘密。




日常に散らばる小さな小さな秘密は、時には気付かれ、時には隠されたまま、人生に織り込まれていく。


今日という日に、仄かな彩りを添えて。

いつか思い出となって、懐かしく紐解かれるその日まで。




《 終 》

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