HSPとASDの恋愛末路
雨間一晴
HSPとASDの恋愛末路
「もう電車で帰る!!」
都内の小さなビジネスホテルに、彼女の声が嫌に響いた。
今の自分の態度ではこうなると分かっていた。
嘘じゃない、思ったとおりだ。嫌になる。
分かっていながら自分で地雷を踏み抜いた。
力強く、自分の足が壊れるほどに。
いつも踏まないように細心の注意を払って会話をしていた。
まるで企業面接のようで、心から笑って話すこともなくなっていた。
もう疲れた。何度も思っていた、本当に疲れた。
彼女が怒っている理由は明白で、驚くほどに馬鹿馬鹿しい。
レンタルルームでたこ焼きパーティーをするという急な提案を、素っ気なく却下してしまったからだ。
子どもが台風で、ディズニーに行けなかったときぐらい怒るのだから、たこ焼きパーティーは何よりも大事なのだろう、もちろん寝不足で調子悪そうにしている彼氏よりもだ。
思い通りにならない彼氏なんか、きっと道端に落ちてるポップコーンぐらい価値がないものなのだろう。
初めて思い通りにならないと怒る彼女の背中を見ながら、これで解放されるかもしれないと、あの自殺前と同じ気持ちになる中で、いくつもの考えと選択肢が浮かんでくる……
謝れば怒られる。それを彼女は望んでいる。謝る自分が思い浮かんだ。
謝らなければ拒絶される。それを自分は望んでいる。泣く彼女が思い浮かんだ
選択肢によって分岐するノベルゲームだなと思いながら、荷物を片付け始める彼女から目を反らし、狭く灰色に濁った天井を見つめた。
今、たった今、数秒の間にどちらかを選ばなければならない。
別れるのか、別れないのか。
今なら好きな方を選べる。
はぁ、疲れたなあ。
徒労感が表情を脱力させた。
目尻と頬が地面に腐り落ちるように重くなり、全てを諦めた処刑前のような表情で少しだけ目を閉じた。
これがノベルゲームなら、最初からハッピーエンドなんてない。2人とも幸せになる結末は用意されていない。何となく分かっていたはずだ。
これはクソゲーかもと気付いていながら買ってしまった自分の愚かさが、瞼を重くさせ眉間に力が入り、歯から軋む音が漏れ、相手を気遣い舌打ちを飲み込んだ。
それでも何とか続けようと課金を続けたソシャゲのように、考え直すようブレーキをかける考えが瞬時に浮かぶ。
『ちゃんと話し合えば分かってくれるかも』
『障害者に次の彼女ができる保証なんてないんだ、もったいないだろ。また婚活するのか?』
『好きな部分もあるんだろ?』
『とりあえずもう少し我慢して様子を見てみよう』
それに対抗する考えが、激しい怒りと共に、心を無理矢理に傷付けながら溢れ出てくる。
『いつまで様子を見ればいいんだ、もういいだろ。話し合っても何も変わらなかった。そもそも理解してもらえないし伝わらない、軽い冗談も理解できずに怒るような人に、思いは届かない、変わらない、変えられないんだ。何が悪いのか分からないと言ってただろ、分かり合うのは無理なんだよ。お前はもう分かってるだろ。今後もずっと我慢して相手に合わせていくのか?』
『彼女が怒っている理由は?初めて俺が感情を殺さずに眠そうにしているから?そこに正当性や思いやりは?昨日深夜3時まで桃鉄を粘ったのは相手なのに?オブラートに包むことができず、常に周囲に怒ったり愚痴を吐き出すような相手だろ、これが男友達なら縁を切っていると気付いたんだろ?』
『急に提案したレンタルルームでたこ焼きパーティーが素っ気なく却下されたから怒ってる?じゃあ謝って9000円払ってレンタルルーム借りて、たこ焼き焼いて、眠い中桃鉄の続きをやったら正解なのか?そして2時間運転して送る、それで自分は幸せになるのか?昨日一緒に決めた予定と違うだろ、一生そうやって相手に合わせるのか?今まで全額払ってきて、その価値はあったのか?質の悪いパパ活のようだと思っただろ。お金を出して怒られる。お金を出して文句を言われる。お金を出して嫌な思いをする。そんな関係を大事にしている理由は残っているのか?』
『まず電車で帰ってくれたら何時に帰れるなと思ったのが本音だろ、一刻も早く楽になりたいんだろ』
『今までのデート終わり、車で1人になったあと、何回怒りで叫んだんだ。普段滅多に怒らない君が怒る時点で合ってない、もういいだろ』
『その人と結婚したいか?それで君は幸せになれるのか?』
目を閉じても嫌に眩しい気がして、色々な考えがこみ上げて目を開けたくなかった。
別れるか別れないかの判断は、天使と悪魔のささやきなんかではなく、髪の毛を毟りながら血みどろで殴り合っているようで。
どちらも泣いていて、辛そうで、見てられなかった。
「はあ、帰ろう。送るよ。お互い疲れているみたいだから帰って休もう」
相手の機嫌を取り戻すための、心配する表情も作れず、それでも別れを切り出せない自分にも嫌気がさした。涙も流れなかった。
「いい!電車で帰る!」
「いや、雨も降ってるし、送るよ」
抜け殻のように体が軽いまま、何とか説得し続けて一緒に車に乗った。
会話もないまま濡れた肩が冷たかった。
「じゃあ近くの駅まで送って!今調べる!」
「……」
きっと何事もなかったように、2時間後に笑ってバイバイすることはできる。
今日のお詫びで今まで通りデートすることもできるだろう。
そのまま結婚することもできるだろう。
雨が打ち付けるホテルの狭い駐車場で、車のハンドルを見ていた。
自分の車なのに居心地が悪くて、窮屈で、ただ嫌だった。
「別れよう」
「……え」
「ごめん、本当にごめん」
「もういい、電車で帰る」
「いや、最後かもしれないから、ちゃんと話して帰ろう。もう最後かもしれないから」
「……うん」
色々話そうと思ってた。
上手く行かずに謝ろうとも思ってた。
でも、不思議と言葉は出てこなくて。
車内で泣く君の声だけが雨と一緒に響いていた。
「急に本当ごめん。前に言ったけど、ほら俺、HSPっぽいからさ、繊細で色々なこと考えすぎちゃうからさ。ごめん、俺が敏感すぎるだけで、もっと上手くやれればよかったんだけど」
「……ううん」
「あー、その本当、絶対俺なんかより良い彼氏できるから、俺なんか障害あるし、ポンコツだからさ」
もっと責められると思っていた。
静かに泣いている君が何だか不思議だった。
そして冷静に客観的に他人事のように、この状況を治めようとしている自分も不思議だった。
怒ることもできず、まるで振られた友人を慰めるような自分が薄っぺらくて嫌だった。
「これで最後か、寂しくなるな。ここまで運転するのは本当に楽しかったんだよ、もう来れないのは寂しいな」
多分初めてだった。相手がどう思うかとか、自分が言われたら嫌かもとかのフィルターをかけないで、一方的に言葉が出ていた。
泣く彼女を何故か慰めながら、あっという間に彼女の家に着いてしまった。
「本当ごめんね。絶対幸せになってね。俺なんかより良い人いるから大丈夫だって」
「……うん、今までごめんね、今までありがとう」
泣きながら振り返ることもなく歩く彼女。
最後だろう後ろ姿を見て、何も気持ちは動かなかった。
思いの他あっけない終わりに涙も出なかった。
嫌われるようにして別れるべきだったかもしれない、でもそんな余裕はなかった。ただただ、ずっと精一杯だった。
もっと気持ちが楽になると思っていた。
それから直ぐ彼女から来た長いメッセージに、同様に感謝と謝罪で返信した。
お互い幸せになろう、気を遣わず婚活してほしいからブロックするね、俺なんか忘れて頑張ってと言ってブロックした。
そんな断りもいらないのに、ブロックして連絡先を消して少し力が抜けた気がした。
付き合ってからたったの半年だけど色々なことがあった。
嫌なことばかりではなかったけれど、これでよかったんだと思う。
1人になった車内で細い溜息を震えながら吐き出した。
ナビを入れると帰りは渋滞で4時間かかるらしい。
そんなことはどうでもよかった。
ゆっくりと走り出した車に、痛いほど雨が強く打ち付けられている。
次こそ幸せになろう。そう思ったら、やっと涙が出てきて止まらなくなった。
HSPとASDの恋愛末路 雨間一晴 @AmemaHitoharu
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