第16話:そして新たな物語へ
翌る日の朝。宿屋の主人は大きな欠伸をしながら、新聞を読み進めていました。肉の都に関する様々なニュースが載る一面に、ふっと彼の視線が止まります。
カラン。軽快な音が客人の訪れを伝えます。見慣れたその顔に、宿屋の主人は口角を上げました。
「やぁ、肉屋の。景気が良さそうだな」
「宿屋の程じゃあないだろう」
肉屋の主人は苦笑しながら、膨らんだ皮袋を机に置きます。
「今回は勝てると思ったんだがね。まさかあの見切り品を連れていくとは」
「何を言っているんだい。どう見ても優男にしか考えられんだろう。あの影の濃さ。お前さんも、段々目利きが鈍くなってきたね」
皮袋からこぼれたのは、幾分かの都市通貨です。宿屋の主人は満足そうにそれを受け取り、肉屋の主人はその姿をため息混じりに見下ろします。
「大層甘く接したくせに。レンタル品のタブレット、あいつにあげたそうじゃないか」
「随分型落ちしていたからね、ゴミを処分したのと同然さ。そういうお前さんも、奴隷魔法の解除代金、血液程度で工面してやったんじゃないのかい」
「ああ、なかなか手にするのも珍しいものだったからな」
肉屋の主人の言葉に、宿屋の主人は興味を持ちます。
「あの男、一体何者だったんだ」
「随分前に、恐ろしい魔族が通り過ぎただろう。こないだの嵐とは桁違いの、まさに通り名の様なあの魔族が」
宿屋の主人は目を丸くします。
「あいつが? いや、あの男はどう見ても一般的な力しか持っていない。ならあいつの……?」
「ああ、落し子だろう。あの魔族は、この都の名前が霞むほど、多くに手を出してきたからな。その1人だったのさ」
「あの男がねぇ……言われてもなかなか信じられないな」
宿屋の主人は青年の背中を思い出します。
「母親の血が濃いのだろうよ。だからこそ強い力もなく、でも父親の影響もあり……どこに行くことも切り開くことも出来なくて、1人で旅をしていたんじゃあないのかね」
「成程なぁ。長年旅をしているようには見えていたが……あの血が流れているのなら、確かに永住することもままならない」
父である魔族のしでかしたことはとてつもなく大きな罪だったのでしょう。子である青年も、その影響を強く受けているようです。
「高く売れりゃあ良いが、大損になる可能性も否めない。上流階級の奴らが、あの眼や血をどう判断するかだな」
「あいつらの事だ、珍しさに飛びついてくるだろうよ。何せここは肉の都だからなぁ」
宿屋の主人の言葉に、肉屋の主人もふっと笑います。
「ああそうだな。確かにこの都は華々しく快楽に満ちている。しかし随分とここ最近は、旅人が来なくなったもんだな」
肉屋の主人はカウンターに持たれかけながら肘をつきます。
「ああ、上流階級の者たちもそう思っているんだろう。ほれ、ここにも記事として載っている。このままじゃあ、外交問題にも関わるだろうとさ」
新聞の記事を宿屋の主人が示します。そこには肉の都の文化が旅人たちに受け入れられず、外との交流がどんどん途絶えていることが記載されていました。
「なんとかしようと足掻いてるみたいがね。この間も川向いの貴族が友人を連れてきていたようだけど」
「都の魅力を伝えようと、肉質検査やショウウィンドウを見せたんだろう?冗談よせやい。あんなの外部が見たところで、気持ち悪いモノとしか考えないだろうに」
「そりゃあそうだ。しかしそれが、今の今まで上の奴らはわかんないままだったのさ」
2人は頷きながら、新聞に視線を落とします。経済の低迷を嘆くその記事に、どこか彼らは穏やかな表情を浮かべてました。
「随分と、硬い肉だったな」
宿屋の主人が呟きます。
「肉が肉を喰むとして、ここまで時間がかかるとはね」
肉屋の主人もそう溢します。
「この都は弱肉強食。生まれた時から役割が決まり、その役割に死んでいく。肉として生まれた以上、肉として死なねばならん。しかしそれを、いつまでも受け入れることなど出来はしまい」
「同じく、強き者が食らうとして、いつまでも強者であるとは限るまい。上流階級だろうがなんだろうが社会で生きていく以上、その立場はいつ揺るがされるかわからんからな」
宿屋の主人と肉屋の主人は視線を交わします。その瞳には、随分と重い影が潜んでいました。
「この都を出た旅人たちも、随分と伝書鳩になってくれたことだろう。あんな思いをさせられる場所だ、絶対近づくなと噂されてもおかしくない」
「近寄りがたい文化は、いつしか形を変えねばならぬ。それに上の奴らも、ようやく気付き始めたようだな」
ドアの外で、小鳥の囀りが聞こえます。外の風はもう随分と、穏やかに撫でるものとなっていました。
「そうしていつか、俺達も食われていくのだろうな。ただひたすらに、延命をし続けていただけで」
肉屋の主人が呟きます。
「ああ、きっと、ろくな食われ方じゃあないだろう。あの時に肉になっていればと思えるような悲痛で悲惨な最期かもな」
宿屋の主人が返します。
朝日がさぁ、と新聞紙を照らしました。その光を追っていると、不意に聞こえたドアベルに、2人は驚いて顔を向けます。
「おや」
「ほう」
同時に呟いたその先には、ボロボロの格好をした少年の姿がありました。
「あ、あの……嵐で足を怪我して……宿をお借りしたいのですが……」
少年の足からは血が滴り、自力で歩くのもやっとのようです。
「ははん、この都の宿を借りたいと」
「あの、お金ならちゃんと、持っていますので……」
少年が差し出したのは、共通通貨。その鈍い輝きに、肉屋の主人と宿屋の主人は笑いました。
「「残念だったねぇ、旅人さん。この都では共通通貨は使えないんだよ」」
驚き目を見開く少年。2人は三日月のように瞳を細くします。
「共通通貨を都市通貨に変えるには、あるものを取引しなくてはならなくてな。なぁに、難しいもんじゃあない。丁度ここに、話の通じる奴がいるもからな……」
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さぁ、と風が吹き抜ける丘。少女はそこから、初めて己の育った都の全体を見下ろします。
「……心残りがあったのかい」
荷車を止めた青年が、少女にそう問いかけます。
「いえ……とても広く感じていた都ですが、すごくすごく……小さいものだったんだなと思っただけです」
少女はそう言って、2つに結った髪の毛のリボンを押さえます。
「小さい村も大きな都市も、この先たくさん見ていくだろう。そのどこかで、君も君のなりたい自分を見つけられるに違いない」
「ええ……きっと、ここではないどこかで、何者かとして生きていけると思います」
暫くの間、少女は肉の都を眺めていましたが、やがて視線を外しました。
「もういいのかい」
青年の言葉に、少女は静かに頷きます。
「ええ、行きましょう」
少女の革靴は、肉の都から遠ざかります。
ギィギィ。車輪を軋ませながら、小さな荷車が道を行きます。嵐が過ぎた後の空はどこまでも澄み渡り、限りのない世界を示すかのように広がっているのでした。
素質のなかったおにくの話(長編版) 瀬野荘也 @s-sew
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