わたしのバッドエンド、あなたが終わらせてくれますか?~トウキョウダンジョンの物語魔法使いは、運命に呪われし物語たちを救済する~

救舟希望

第1話 運命の始まり

 夢を見ていた。


 真っ黒な煙を吐き出す工場群を背にしたスラムのような街並みを、一人とぼとぼと歩いている夢だ。


 僕、星野ほしのつづるは日本の片田舎に住む15歳の少年であり、そんな僕にとって周囲に広がるのはまったく見た事がない種類の街並みだ。


 なぜこんなところにいるのか、なんて事も考えられないぼうっとした意識で、僕はどことなく嫌な雰囲気の街を彷徨う。


 と、そこで突然、遠くから狼の雄叫びのようなものが聞こえてくる。

 急に恐怖に駆られた僕は、聞こえた方角の反対側へと足早に荒れ果てた路地裏を走りだした。


「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……!」


 息を切らして駆けるうちに周囲の景色は変わっていき、次第に廃墟のようなビル群が左右に建ち並んでくる。道路も到底道とは言えないくらい荒れ果ててきていて、鉄骨や割れたコンクリート片のようなものがあちこちに落ちてすごく進みにくい。


 そこで、再び本能を脅かすような雄叫びが、先ほどより近くから響いてきた。


 恐怖が再燃した僕は、そんな道を両手両足を動かしながら障害物を超えて進んでいく。廃墟から突き出した柱に頭をぶつけたり、横になった自動販売機を越える時に転びそうになったりしながら、必死に少しでも姿なき獣から離れようとする。


 左右から廃墟の巨大な柱や鉄骨などが突き出した視界は狭く暗い。あちこちにゴミや瓦礫が散乱していて、「終末」なんて単語がふと脳裏をよぎる。


 しばらくそんな状態で進んでいると――急に、視界が開けた。


 どうやら広場のようなところに出たらしい。よく見ると入り口近くには鳥居があった。ここは神社になっているようだ。


 鳥居の先は石畳の通路が続き、その奥に木造の大きな社が立っている。一般的な神社なら存在するはずの御手水の設備などはなく、通路と社だけ、というシンプルな構造だ。


 鳥居をくぐってみたところで、狼がいないかいったん後ろを振り返る。幸い獣らしき姿はなく一安心したところで、前を振り返る――

 ――と、先ほどまで何もなかった目の前に、突如一人の少女が現れていた。


「……?」


 至近距離できょとんと首をかしげて見せた少女は、桜のような色で染められたシンプルなミニワンピースを纏い、その上に真っ白なローブを羽織っている。ローブを着るのは現代日本では魔導師のみに許された特権だ。そして、少女のローブの胸元についている魔導師の身分を示すバッジは、僕の知らない真っ白な天使を象ったもので、どことなく、少女がとても高貴な身分の存在である事を感じさせる。


 少女は髪も淡い桜色に白のメッシュが入った可愛らしい色をしている。ふわふわとウェーブして雲のように広がった形をしたミディアムヘア。そこについた真っ赤なハート型の髪飾りが、鮮烈な印象を抱かせる。


 だがその下のかんばせは、もっと鮮やかだった。理想を象った人形のように綺麗な形の小さな輪郭に、くりくりとした可愛らしい二重の瞳ときゅっと締まった唇が乗っている。そして少女が何より特別であったのは、その瞳の輝きだった。

 少女の瞳は、どんな宝石にも存在しないような、としか表現できない複雑な輝き方をしていた。青と赤と緑を感じたかと思えば、次の瞬間には黄と藍と紫を感じる。刻々と変化するその色合いの表情は、永遠に見つめていたいと思えるほどの魔性の美しさを誇っていた。


 昔の日本は黒髪黒瞳が大多数を占めていたが、トウキョウダンジョンが約100年前に東京二十三区を埋め尽くすような巨塔として現れて以降、世界中から移民が集まってきた事と、強い魔力を帯びた人間の髪色や瞳の色はその性質で変化していきそれは遺伝する場合も多い事から、現代ではカラフルな色の髪や瞳が一般的になっている――なんて中学校の教科書の記述をふと思い出した。

 だが少女のその美の精髄を極めつくしたような瞳の色は、流石に現代でも極めて珍しい。というか、僕は見た事がなかった。


 背後に迫る獣の事も完全に忘れて、ただ少女に見惚れる。


 なんて綺麗なんだ。


 美しい。


 可憐すぎる。


 ぼうっと吸い込まれるように少女を見つめ続ける僕を、少女はじっと観察するように動かず見つめていた。


 そして少女が口を開く。


「キミはわたしの――」


 最後に何を言ったのかは聞き取れなかった。


 少女が話しながらふわりと泳ぐように空へと浮き上がり――そのまま僕の唇にキスをしたからだ。


「……っ!!?!?」


 目を見開き驚く僕に対し、少女はしばらく唇と唇が触れ合うだけの浅いキス――だが僕にとっては心臓が興奮の血潮を全身に送るのがありありと感じられるほど鮮烈なキス――を続けた。


 と、その時突如、ある天啓が脳を駆け巡る。


 それは古びた魔導書のような本のイメージから始まった。


 突如脳内を占有したその本のイメージは、僕の思い通りにページを動かし読むことが出来て、さらにその内容を書き足したりすることもできるのだと、直観で理解できた。


≪物語魔法≫


 そんな文字列が本の表紙に描かれているのが、見なくても読み取れる。


 これはなんだ……?


 ああ、それにしても柔らかい唇だ……


 キスとはこんなにも心地いい幸福感と、素晴らしい生の実感を生み出すものなのか……


 ぐるぐるとした思考の中で、訳が分からなくなった僕の意識は、気づけば暗転し――





「……っ!」


 気づけばいつもの見慣れた部屋のベッドで、一人目を覚ましたのだった。


 しばし、呆然とベッドの上で目を見開いていた。が、やがて我に返ったように起き上がり、顔を洗いに洗面所に向かうことにする。


 ――なんだったんだ? 今の夢は?


 いつもならすぐに記憶から消えていくはずの夢が、まるで現実のように鮮明に思い出せる。


 少女の天使のように愛らしい髪、神秘を極めたような瞳、そして空を舞い降りる雪のように柔らかかった唇が、ありありと脳裏に焼き付いていた。


 そして最後に天啓のようにやってきた本のイメージは、一体――?


 そこに書かれていた文字は「――魔法」だったはずだが……そこだけが虚空のように記憶から欠落していた。あそこに書かれていた文字はなんだった?


 そんな疑問たちをぐるぐると脳内で回したまま、僕はリビングで母親と朝食を食べ、部屋に戻り制服に着替える。母と何を話したのかはまるで覚えていなかった。


 少し時間が余って現実に意識が返ってきた僕は、なんとなく部屋を眺めまわす。大量の小説や漫画、アニメグッズなどが置かれた壁一面の本棚を見て、それだけでなんとなく気分が良くなった。

 僕はいわゆる物語中毒者だ。特に恋愛や冒険小説といったジャンルが好きで、そうしたものに憧れを持っている。トウキョウダンジョンができる前の時代は空想の産物だったという魔法という存在も、噂に聞くトウキョウダンジョン内の学校ではしっかり習う対象に入っているという。こうした魔法を活用してオリジナルのダンジョンや異世界などを冒険する小説は、冒険小説と呼ばれ人気のあるジャンルである。僕も子供の頃に出会って以来、冒険小説をこよなく愛している一人として育っている。


 本当なら、僕だって魔法が使ってみたいが、中学入学時の検査では僕に魔法の才能はなかった。もし才能がある事が分かればトウキョウダンジョン内へと連れていかれる事になるらしいが、選ばれた一握りの生徒達に置き去りにされた僕は、片田舎の公立中学で平凡な一般生徒として3年間を終えた。


 そんな事を思い出しながら、僕は今日から入学する事になっている高校へと向かったのだった。





 *****





 学校に着いてすぐ、あらかじめ配られていたファイルに書かれた通り、各種検査を受ける事になった。


 この検査はいわゆる健康診断に加え、体力測定や、知能測定、魔力測定など、総合的な人間の強度を測るような検査も含んでいる。


 検査会場の体育館には体操着に着替えた生徒達が集まっており、既に友達を作る事に成功した者たちが、どこかぎこちなさのあるコミュニケーションをしている様子がそこかしこに見られた。


 もちろんぼっちのままである陰キャの僕は、内容ごとにブースに分かれて行われている検査を一人黙々と進めていく。最初に健康診断が一通り行われ、その後体力測定、知能測定とそれぞれ1時間ずつほどかかる測定を終わらせた。


 最後に行われる魔力測定は、やはりドキドキとした。


 先にも言ったように、中学校では、僕には魔法の才能はないと判定されていた。


 だが、成長期に魔法の才能に目覚める物は、少ないがいると聞く。


 僕ももしかしたら、そんなラッキーな子供の一人かもしれないのだ。


 そう意気込んで魔力測定のブースに入ると――

 そこには移動式のテーブルを挟んで、黒いローブに青い鳥のバッジをつけた本物の魔導師の男が座っていた。


(……魔導師だ!)


 その男は黒髪を長髪にしてさらさらと伸ばし、美男子風の整った顔つきをしているが、表情は不機嫌そうで近寄りがたかった。苛立った目つきで、ブースに入ってきた僕を睨んでいる。


 魔導師に憧れている僕は、そんな魔導師に心地いい緊張を感じるが――


「なにをのろのろとしている。さっさと座れ」


 次の瞬間、暴言とまではいかないがフレンドリーではない言葉を投げかけられ、面食らう。だが力と権力を併せ持つ魔導師に逆らうのは怖かったので、大人しく座った。長い物には巻かれる小市民的なところがある僕に、選択肢はなかった。


「右手を出せ」


 中学で一度魔力検査を経験していた僕は、前回と同じく右手を手のひらを上にして机の上に出す。


「これを持て」


 渡されたのは、魔石で作られた宝珠の一種。透き通った水晶のような素材で作られたその宝珠は、握った者の魔力に応じて色を変える性質を持つという。


 火なら赤、水なら青、風なら緑、土なら黄色。


 珍しい上位属性として光の白色と闇の黒色というのもある。


 その他、それに当てはまらないユニークな希少属性は他の色を示す場合があるらしい。とはいえ、仮に魔法に目覚めていたとしても流石にそれは望みすぎだろう。現実にそんな「自分だけが特別」なんて事、物語みたいな事が、そうそう起こるわけがないんだ。


 僕は物語中毒であるがゆえに、現実が物語のように綺麗で劇的なものではないと知っている。現実の僕は、どうせ宝珠を何色にも染められず、この退屈な片田舎で、高校三年間を地味に過ごしていくのだろう。そんな事は分かっている。でも、それでも、一抹の希望にすがるように、僕は置かれた宝珠を右手で握る。


「力を込めろ」


 男の指示に従い、ぎゅっと宝珠を握りしめる。


 最初、宝珠の色は、変わらなかったように思えた。


 ああ、やっぱり――。


 落胆と、微かな安心が、心に漂いだす。


 だが、次の瞬間、宝珠の中で、赤色の帯が揺らめいた。


「……っ!」


 まさか、と思った。


 この僕に、本当に魔法の才能が……?


 だが次の瞬間、僕はさらに驚かされる事になる。


 赤色の帯はゆらゆらと消えたかと思うと青色の帯に変わり、それは緑と黄色、白と黒と、揺らめきとともに色をふわふわ変え続ける。


 まったく聞いた事のない宝珠の反応だ。


 見ていた魔導師の男も、目を見開き、その反応を一心に見つめている。


「これは、希少属性……! それも未知の属性か……!」


 不機嫌で沈んだ印象の男が、打って変わって興奮したように机に手をついて立ち上がり、宝珠を食らいつくように見つめていた。


 その瞳に浮かんだ炎はどこか野心と残虐さを帯びていて――


「ダンジョン法第11条2項に基づき、星野綴、貴様をトウキョウダンジョン第一層〈灼熱工場〉の〈最下層民〉として即日拉致、移送する」


 僕はその言葉を聞いた瞬間なんらかの魔法で昏倒させられ意識を失い――


 気づけば目覚めた船上で、工場廃液でカラフルに輝く東京湾と、その先にそびえる巨大なトウキョウダンジョンを見つめていたのだった――





 *****





 ダンジョンの中に都市が出来て、そのうち都市が複数出来て、いつの間にか暮らすダンジョンの階層で身分すらも決まる世界になった。そんな現代の東京は、迷宮都市トウキョウとして世界に名を馳せている。


 1950年代、旧東京二十三区を丸々覆い尽くすように突如現れた巨大すぎると言っていいほどに巨大な巨塔こそ、その代名詞でもあるトウキョウダンジョン――通称「巨塔」――である。


 これだけ巨大な空間が何十もの階層を持って現れた事は歴史上他に類を見ない事例であり、新たな概念である魔法科学とそこから産出される数多の魔法資源は、迷宮都市トウキョウの名を世界ナンバーワンの巨大都市として確かな物にした。


 発展著しいまま一世紀が経過した迷宮都市トウキョウには、世界中から移民が押し寄せてきていた。


 トウキョウでは、そんな新しくやってきた移民やトウキョウ外からやってきた少年少女たちは、特別な場合を除き、最下層民と呼ばれる身分からその人生をスタートさせる事になっている。


 トウキョウダンジョン第一層「灼熱工場」――またの別名を「養豚場」。


 この豚というのは、魔法もろくに使えない人間、つまりは奴隷を意味する暗喩であり、トウキョウダンジョン第一層ではいくつもの魔法工場や魔法実験場が立ち並び、そうした奴隷達が日々労働の名のもと消費されている。生活環境は劣悪で、狭苦しい寮に押し込められ、文字通り豚の餌のような食事を喰らって過ごす日々は、まさにこの世に顕現した地獄そのもの。


 そんな「養豚場」に今、何も知らない一人の少年が辿り着いた。


 少年の名は星野ほしのつづる


 本来なら高校一年生として平穏な日常を過ごしていたはずの少年は、船上で一人静かに心の炎を燃やしていた。


 少年には夢があった。


 それは偉大な魔導師になって、憧れた物語のような大活躍をする事。


 魔導師候補という名の奴隷としてトウキョウに強制連行されてしまった今、残されたのは、文字通り己の身体一つのみ。


 そして少年には、誰も知らない未知の希少属性の才能が眠っているらしい――


 ここから、少年星野綴の、トウキョウダンジョンという未知の魔境での冒険物語が幕を開ける――

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