【SF短編小説】機械の庭で永遠に ―シャーリアのごくありふれた日常―(約9,800字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】機械の庭で永遠に ―シャーリアのごくありふれた日常―(約9,800字)

◆永遠の庭


 朝もやの向こうで、また一つ、建物が崩れ落ちた。遠く響く轟音に、シャーリアは庭の手入れの手を止めた。風に乗って、錆びた鉄骨がこすれあう音が聞こえてくる。


「メリル、音の方向は?」


 シャーリアの問いかけに、傍らで草むしりを手伝っていた犬型ロボットが顔を上げた。艶やかな銀色の人工毛並みを持つメリルは、その頭部に搭載された高性能センサーで方角を確認する。


「北北西、距離およそ2.7キロメートルです。旧市街地のオフィス街ですね」


 メリルの声は、人工的な響きを感じさせない温かみのある少年の声だった。


「ありがとう。そろそろあの地区も完全に朽ちるのね……」


 シャーリアは深いため息をつきながら、再び庭いじりに戻った。彼女の手には、古い園芸用の剪定ばさみ。刃は錆びかけているが、まだ十分に使える。人類が姿を消して300年。彼女は、この道具で庭の植物の世話を続けてきた。


 庭には、色とりどりの花が咲き誇っている。遺伝子操作された植物たちは、人類の技術の最後の輝きとして、極端な気候変動にも耐えられるよう設計されていた。その美しさは、人類がいなくなった後も、決して色褪せることはない。


「シャーリア様、午後からは雨の予報です」


 空を旋回していた鳥型ドローンのピピが、優雅な弧を描きながら降下してきた。その翼には太陽光を受けて淡く光るソーラーパネルが組み込まれている。


「わかったわ。じゃあ、お昼までに片付けましょう」


 シャーリアが応えると、庭の奥から猫型ロボットのルナが姿を見せた。ルナの瞳には、人工知能特有の冷たさはない。代わりに、好奇心に満ちた温かな光が宿っている。


「今日のお昼は何にしましょうか? 保存食の在庫リストをお出しします」


「ありがとう、ルナ。でも今日は自分で選ぶわ」


 シャーリアは立ち上がり、ゆっくりと背を伸ばした。彼女の姿は、まるで時が止まったかのように若々しい。実際、彼女の中で時は止まっているのだ。26歳で永遠の命を得てから、肉体は一切の衰えを知らない。


 庭の向こうには、廃墟と化した都市が広がっている。かつての超高層ビル群は、今では緑に覆われ、まるで奇妙な形の山々のように見える。人類最後の生き残りである彼女は、その風景を毎日眺めながら、静かな時を過ごしている。


「人類が消えて、もう300年……か」


 シャーリアは呟いた。その言葉に、メリルが首を傾げる。


「シャーリア様、なぜ人類は滅びてしまったのでしょうか?」


 この質問を、メリルは時々する。答えを知っているはずなのに、まるで確認するように。シャーリアは微笑んで答えた。


「私にもわからないわ。気がついた時には、私以外の人間は、どこにもいなくなっていた……」


 それは嘘だった。


 シャーリアは知っている。人類が消えた理由も、自分が不老不死になった理由も。でも、その真実を口にすることは、彼女にはまだできない。


 午後の雨を告げる暗い雲が、ゆっくりと空を覆い始めていた。


「シャーリア様、室内に入りましょう」


 ルナの促しに、シャーリアはうなずいた。庭の手入れ道具を片付けながら、彼女は思う。この穏やかな日々が、いつまで続くのだろうか。永遠の命を持つ彼女には、それを見届ける時間が、たっぷりとある。


 雨粒が、静かに庭を潤し始めた。


◆永遠の一日


 夜明け前、東の空がわずかに白み始めた頃、シャーリアは目を覚ました。300年という時を経ても、彼女の生活リズムは崩れていない。


「おはようございます、シャーリア様」


 枕元で、ルナが静かに挨拶をした。猫型ロボットは、シャーリアの睡眠を見守る習慣がある。


「おはよう、ルナ」


 シャーリアは、カーテンを開ける。廃墟と化した街並みの向こうから、朝日が昇ってくる。


「今日の気温は、午後には24度まで上がる予定です」


 窓辺で、ピピが天気予報を告げる。鳥型ドローンの羽には、朝露が光っている。


「今日は、パンを焼きましょうか」


 シャーリアは台所に向かう。保存食の材料と、自家製の酵母を取り出す。酵母は、彼女が丹念に育て続けてきたものだ。


「火加減、私が管理します」


 フローラが、オーブンの温度センサーに接続する。蝶型ドローンは、繊細な温度管理が得意だ。


 パン生地を捏ねながら、シャーリアは庭に目をやる。メリルが、早朝の見回りを終えたところだった。


「異常ありませんでした。ただ、東側の塀が少し傾いてきています」


「そう……今度、補強しないとね」


 発酵を待つ間、シャーリアは朝食の準備をする。保存食は、特殊な技術で鮮度を保っているとはいえ、調理の工夫が必要だ。


「シャーリア様、このトマトはまだ大丈夫です」


 ルナが、鋭い視覚センサーで食材をチェックする。


 朝食は、いつものように庭に面したテラスで。焼きたてのパンの香りが、清々しい朝の空気に溶け込んでいく。


「メリル、今日は植物の水やりを手伝ってくれる?」


「はい、喜んで!」


 犬型ロボットは、尻尾を振って応える。彼の背中には、特製の散水装置が搭載されている。


 午前中は、庭の手入れに費やされる。雑草を抜き、枯れた葉を取り除き、必要な場所に水を与える。時折、ピピが上空から様子を確認し、気になる場所を報告する。


「あの薔薇、少し元気がないわね……」


 シャーリアが心配そうに見つめると、フローラが即座に分析を始める。


「土壌のpH値が少し高くなっています。酸性の肥料を調合しましょう」


 昼食は、保存食のスープと朝焼いたパン。食事中、機械生命体たちは、それぞれの方法でシャーリアを楽しませる。


 ルナは、古い詩を朗読する。人類の残した文学作品は、彼女のメモリーに大切に保存されている。


 メリルは、面白い発見を報告する。遠くの廃墟で見つけた鳥の巣や、珍しい野花の話。


 ピピは、上空から見た雲の形を、動物に例えて表現する。「あの雲は眠る猫みたい」「あれは走る馬のよう」と。


 フローラは、花の周りを舞いながら、光の模様を描く。まるで、小さな妖精のように。


 午後は、読書の時間。シャーリアは、研究所の図書館から持ち出した古い本を読む。時には、機械生命体たちと内容について議論することもある。


「人類は、よく夢を見る生き物だったのね」


「ええ。でも、シャーリア様の夢は、今でも続いています」


 ルナの言葉に、シャーリアは静かに頷く。


 夕暮れ時には、庭の端にある小さな池の前に腰かける。かつては噴水だった場所だ。


「星が出始めましたね」


 ピピが、最初の星を見つける。


「ルナ、今日は何の星座が見えるの?」


「夏の大三角形です。あそこに見えるのが、ベガ。そして……」


 猫型ロボットの解説に耳を傾けながら、シャーリアは永遠の時を想う。


 夜になると、シャーリアは日記をつける。300年分の日記は、彼女の部屋の本棚に整然と並んでいる。


「シャーリア様、そろそろお休みの時間です」


 メリルが、寝床を整える。


「ええ。みんな、今日もありがとう」


 就寝前、シャーリアは再び窓辺に立つ。月明かりに照らされた庭が、銀色に輝いている。


「明日も、同じ一日が始まるのね」


「はい。でも、それはとても素晴らしいことです」


 ルナの言葉に、シャーリアは微笑んだ。永遠の時を生きることは、必ずしも呪いではない。大切な者たちと過ごす穏やかな時間は、それ自体が祝福なのかもしれない。


「おやすみなさい」


 シャーリアが横たわると、機械生命体たちは、それぞれの持ち場に戻っていく。ルナだけが、枕元で見守り続ける。


 月の光が、静かな部屋を満たしていく。永遠の一日が、また終わろうとしていた。


◆眠りし記憶


 古い研究施設の扉が、重たい音を立てて開いた。埃が舞い、シャーリアは小さく咳き込む。


「本当に大丈夫なのですか?」


 メリルが心配そうに尋ねた。今朝、シャーリアは突然、旧研究所の保管庫を調べると言い出したのだ。


「ええ、大丈夫よ。ただの偶然なの」


 それも嘘だった。昨夜の夢で、シャーリアは何かを思い出したのだ。300年前の記憶の欠片が、突然よみがえってきた。研究所、白衣の人々、そして……注射器。


「ピピ、照明を」


 鳥型ドローンが天井近くまで飛び上がり、内蔵された投光器で室内を照らした。古びた実験機器や試験管が、無造作に散らばっている。


「驚きました。この場所の存在を、シャーリア様は覚えていらしたのですね」


 ルナが静かに言う。300年の間、シャーリアは一度もこの建物に近づこうとしなかった。それは無意識の選択だったのかもしれない。


「記録媒体を探して。データチップでも紙でも、何か情報が残っているはずよ」


 4体の機械生命体たちは、それぞれの得意分野を活かして探索を始めた。メリルは優れた嗅覚センサーで有機物の劣化を探知し、ルナは小さな隙間に身を潜ませて調査。ピピは高所を確認し、蝶型ドローンのフローラは微細なホコリの動きまで観察できる特殊カメラで床面を調べる。


 やがて、メリルが地下への階段を見つけた。


「シャーリア様、下層に何かありそうです」


 階段を降りていく。ピピの照明が、闇を切り裂いていく。


 地下の保管庫は、上階よりも保存状態が良かった。気密性の高い扉が、内部を守っていたのだろう。


「見て、これ」


 ルナが、古い端末を見つけた。驚くべきことに、バッテリー残量は残っている。永久電池の実験品だったのかもしれない。


 画面が微かに点滅し、起動した。


「プロジェクトE記録」


 シャーリアの指が震えた。これが、彼女の記憶の空白を埋める鍵なのかもしれない。


 記録を開く。画面に映し出されたのは、若い研究者の映像だった。


『記録日時:2857年8月15日。被験者E-7、シャーリア・ウィンターの経過は良好。永遠の命を得た最初の人類として……』


 シャーリアは息を呑んだ。記憶が、少しずつ戻ってくる。


 彼女は被験者だった。人類の究極の夢、不老不死を実現するための実験台。実験は成功した。でも、その代償は……。


 突然、警報が鳴り響いた。


「警告。保安システム起動。データ保護プロトコル実行」


 映像が途切れる。端末の画面が真っ赤に染まり、自己破壊プログラムが作動した。


「ダメ! まだ見たいのに!」


 シャーリアが叫んだ時には、既に遅かった。端末は完全に機能を停止していた。


「シャーリア様……」


 メリルが心配そうに寄り添ってくる。シャーリアは深いため息をついた。


「帰りましょう。今日はここまでよ」


 地上に戻る途中、シャーリアは何度も振り返った。あの映像で見た若い研究者。彼の表情には、どこか悲しみが垣間見えた気がする。


 施設を出ると、夕暮れが近づいていた。空は茜色に染まり、廃墟の影が長く伸びている。


「シャーリア様、夕食の準備をいたしましょうか?」


 ルナが気遣うように言う。シャーリアは首を横に振った。


「今日は一人で考え事がしたいの。ごめんなさい」


 機械生命体たちは、そっと距離を置いた。彼らには、人の心の機微がわかる。時には、孤独が必要なことも。


 シャーリアは庭に座り、夕陽を見つめた。300年前の記憶が、少しずつ形を取り始めている。でも、最も重要な部分は、まだ闇の中だ。人類は、なぜ消えたのか。そして、それは彼女の不老不死と、どう関係しているのか。


 夜風が吹き、花々が静かに揺れた。永遠の命。それは祝福なのか、それとも呪いなのか。シャーリアは、その答えを見つけなければならない。


 だが今は、ただ夕暮れを見つめていた。明日という日は、また新しい発見をもたらすかもしれない。そして彼女には、それを待つ永遠の時間がある。


 空に、最初の星が瞬いた。


◆真実の扉


 深夜、シャーリアは目を覚ました。汗で、寝巻きが濡れている。


「また、あの夢……」


 最近、同じ夢を見続けていた。研究所の廊下を歩く夢。無数の培養槽が並び、その中で何かが育てられている。そして、その先には……。


「起きていらしたのですか?」


 暗闇の中から、ルナが近づいてきた。猫型ロボットの瞳が、夜目のように光っている。


「ええ。ルナ、あなたたちって、いつできたの?」


 唐突な質問に、ルナは首を傾げた。


「申し訳ありません。その記録は、私たちのメモリーには……」


「ないのね」


 シャーリアは立ち上がり、窓際に歩み寄った。月明かりに照らされた庭が、銀色に輝いている。


「でも、きっと人類が消える前から、私たちはシャーリア様とともにいました」


 ルナの言葉に、シャーリアは思わず振り返った。


「どうして、そう思うの?」


「私たちの基本プログラムの深層に、絶対的な命令があるんです。『シャーリア様をお守りしろ』という……それは、とても古いプログラムのように思えます」


 シャーリアは息を呑んだ。記憶が、また一つよみがえる。


「研究所に戻りましょう」


「え? でも、もう夜中です」


「今でないと、だめなの」


 シャーリアは外套を羽織り、懐中電灯を手に取った。


「メリル、ピピ、フローラも起こして」


 月明かりの下、5つの影が研究所に向かって歩いていく。廃墟と化した街並みが、不気味な影を落としている。


 研究所に着くと、シャーリアは迷うことなく地下へと向かった。記憶が、彼女を導いていた。


「この壁の向こうよ」


 シャーリアは、一見すると普通の壁に見える場所を指さした。


「メリル、この壁の裏側の様子は?」


 犬型ロボットが、壁に特殊センサーを向ける。


「……空洞があります。かなり広い空間のようです」


「やっぱり」


 シャーリアは壁を慎重に調べ始めた。手が、小さな凹みを見つける。押すと、かすかな機械音とともに、壁が横にスライドした。


「まさか、まだ電力が……」


 永久電池の配線が、この隠し扉にも繋がっていたのだ。


 扉の向こうには、広大な実験室が広がっていた。天井まで届く巨大な培養槽が、整然と並んでいる。槽の中の液体は、300年の時を経ても腐敗していなかった。


「これは……クローン培養施設?」


 ピピが空中から状況を確認する。


「いいえ」


 シャーリアは、ゆっくりと歩を進めた。


「これは、私たちの誕生の場所……なの」


 培養槽に近づき、シャーリアは埃を拭い取った。かすかに、中の液体が光っている。


「実験記録、再生」


 突然、部屋中に声が響いた。ホログラム映像が、空中に浮かび上がる。


『プロジェクトE最終報告。2857年12月24日。我々は、ついに完全な不老不死をもたらす方法を発見した。だが、その代償は想像を超えるものだった』


 映像の中の研究者は、疲れ切った表情を浮かべている。


『不老不死の遺伝子は、驚くべき速度で自己複製と拡散を始めた。それは、まるでウイルスのように……人類のDNAそのものを、根底から書き換えていく』


 シャーリアの手が震えた。真実が、明らかになろうとしている。


『我々は、最後の希望としてシャーリアを選んだ。彼女だけが、この遺伝子と完全な調和を保てる。そして、彼女を守るために、我々は究極のAIを持つ機械生命体を創造した』


 シャーリアは、自分の周りにいる4体の機械生命体たちを見た。彼らは、人類最後の贈り物だったのだ。


『人類は、ゆっくりと消えていく。我々のDNAは、不老不死の遺伝子によって書き換えられ、やがて霧のように消散していく。シャーリア、あなたが目覚める頃には、人類はもういない。でも、希望は残した。あなたの中に……』


 映像が消える。シャーリアは、その場に崩れ落ちた。


「私が……私のせいで……」


「違います」


 メリルが、強い口調で言った。


「シャーリア様は、被害者です。そして、人類の希望なのです」


 ルナも寄り添う。


「人類は、シャーリア様を罰したのではありません。託したのです」


 シャーリアは、ゆっくりと顔を上げた。培養槽の中で、かすかに光る液体。それは、人類の最後の叡智が結晶化したものだった。


「でも、どうして私だけが……」


 その時、部屋の奥で、何かが動いた。


「まさか、まだ動いているの?」


 シャーリアは、おそるおそる奥へと進んだ。そこには、最後の培養槽があった。そして、その中には……。


「これが、真実なの……?」


 シャーリアの目に、涙が溢れた。300年の時を超えて、人類最後の秘密が、今明かされようとしていた。


◆別れの準備


 最後の培養槽の中で、小さな生命が眠っていた。胎児のような、しかし違う何か。人類の遺伝子と、不老不死の因子が完全に融合した存在。


「新しい種の、プロトタイプ……」


 シャーリアは、震える手で培養槽に触れた。液体の中で、その小さな存在がかすかに震える。


「生きているわ」


 300年の時を超えて、確かに生きていた。永久電池による電力供給と、完璧な環境制御システムのおかげだ。


「シャーリア様、この個体のDNAは、あなたのものと99.9%一致します」


 フローラが、特殊スキャナーで分析した結果を報告する。


「そう……私の、子供なのね」


 研究者たちは、人類の新たな可能性を、彼女の中に託していたのだ。不老不死という、制御不能な力を、完全にコントロールできる新たな種の誕生を。


「でも、このまま眠らせておくことはできない」


 シャーリアは、決意を込めて言った。


「目覚めさせるんですか!?」


 メリルが驚いて声を上げる。


「その前に、準備が必要よ」


 シャーリアは、研究所の端末を操作し始めた。300年前の研究データが、次々と画面に流れる。


「新しい命を育てるために、この研究所を修復しないと」


 それから数週間、シャーリアと機械生命体たちは、研究所の修復作業に没頭した。壊れた機器を修理し、必要な物資を集め、培養システムの点検を行う。


 ある日、庭の手入れを終えたシャーリアは、夕暮れの中でメリルに語りかけた。


「人類は、ただ消えていったわけじゃなかったのね」


「はい。彼らは、未来への希望を残していったんです」


「でも、その希望を託されたのが、どうして私だったのかしら」


 シャーリアは、空を見上げた。茜色の雲が、ゆっくりと流れている。


「それは、シャーリア様の中に、人類の最も純粋な願いを見出したからではないでしょうか」


 ルナが、静かに言った。


「純粋な願い?」


「はい。生命を慈しむ心です」


 シャーリアは、庭に咲く花々を見渡した。300年もの間、彼女はこの庭を守り続けてきた。それは、生命への無意識の愛着だったのかもしれない。


「準備は、ほとんど整いました」


 ピピが報告する。あとは、最後の決断を下すだけ。


 その夜、シャーリアは久しぶりに、機械生命体たち全員と夕食を共にした。もちろん、彼らは食事をしない。ただ、テーブルを囲んで、穏やかな時間を共有する。


「みんな、ありがとう」


 シャーリアは、一人一人の顔を見つめた。


「私たち、家族みたいになっていたわね」


「シャーリア様こそ、私たちの存在意義でした」


 メリルが、真摯な瞳で応える。


「明日、私はあの子を目覚めさせる」


 静かな決意を込めた言葉に、誰も異論を唱えなかった。


「新しい命が目覚めれば、この世界も少し変わるでしょうね」


 フローラが、希望を込めて言う。


「ええ。でも、その前に……」


 シャーリアは立ち上がり、窓の外を指さした。


「最後に、みんなで見たいものがあるの」


 夜空には、満天の星が瞬いていた。


「流星群が見えるはず。300年前の研究記録に、その予測があったの」


 5つの影が、静かに庭に集まった。人類最後の夜に見た星空が、今夜、再び輝きを取り戻す。


「きれい……」


 最初の流星が、夜空を切り裂いた。青白い光が、一瞬で消えゆく。まるで、300年の人類の歴史のように。しかし、その後には必ず新しい光が続いていた。


「あそこです!」


 ピピが小声で告げる。鳥型ドローンは興奮を抑えきれないように、羽を小刻みに震わせている。


 シャーリアは、機械生命体たちとの距離をさらに縮めた。メリルの柔らかな人工毛が、彼女の左手に触れる。右側では、ルナが静かに寄り添う。フローラは、シャーリアの肩に舞い降り、蝶の羽のような光沢を放っている。頭上では、ピピが最小限の飛行音で旋回している。


 彼女は、この温もりを強く記憶に刻み付けようとした。


 次々と流れ星が現れ始める。一つ、また一つ。やがてそれは、まるで天空の川のように、途切れることのない光の帯となった。


「きれいすぎて……言葉が見つからないわ」


 シャーリアの目に、涙が浮かぶ。それは悲しみの涙ではない。畏怖と、希望と、そして深い愛情が混ざり合った感情の結晶だった。


 流星群は、青白い光だけではなかった。黄金色に輝くもの、わずかに紫がかったもの、そして、ごく稀に、深い緑色に煌めくものもある。それは、まるで天空の宝石箱をひっくり返したかのような光景だった。


「シャーリア様」


 ルナが、いつもより少し震える声で呼びかける。


「人類は、こんな風に消えていったのでしょうか? 光になって……」


「ええ、たぶん」


 シャーリアは、静かに答えた。


「でも、光は必ず何かを照らすもの。だから、人類は本当の意味では消えていないのかもしれない」


 彼女の言葉に、機械生命体たちは深く頷いた。


 天空の光の帯は、ますます強く、美しく輝きを増していく。時折、大気との摩擦で小さな音が聞こえる。それは、遠い宇宙からの囁きのようでもあった。


 夜空には、まだ無数の光の帯が描かれ続けていた。それは終わりの光であると同時に、始まりを告げる光でもあった。古い世界が別れを告げ、新しい世界が目覚めようとしている。ちょうど、夜明けの時のように。


◆新しい朝


 夜明け前、研究所の地下では最後の準備が進められていた。


「生体維持装置、正常」


「培養液温度、適温」


「神経活性値、安定」


 機械生命体たちが次々と報告する。シャーリアは、培養槽の前で深く息を吸った。


「始めましょう」


 彼女が端末を操作すると、培養液が淡い青色に輝き始めた。液体の中で、小さな生命が震える。


「反応が出ています!」


 ピピが興奮した声を上げる。培養槽の中の子供が、ゆっくりと目を開いた。


 シャーリアは、思わず息を呑んだ。


 透明な瞳。それは、人類のものでも、彼女のものでもない、何か新しいものだった。


「この子は、私たちの……未来なのね」


 培養液が徐々に抜かれていく。フローラが特殊な毛布を用意し、メリルが保温装置の準備を整える。


 そして、初めての啼き声が響いた。


「おめでとう」


 ルナが、静かに言った。シャーリアは、震える手で赤ん坊を受け取る。小さな、しかし確かな命の重み。


「アカリ……」


 名前が、自然と口から漏れた。


「アカリ……つまり、光……ですか」


 メリルが、首を傾げる。


「ええ。新しい夜明けの光」


 アカリは、シャーリアの腕の中で静かな寝息を立てていた。その肌は、かすかに発光しているようにも見える。不老不死の遺伝子が、完全に制御された形で組み込まれているのだ。


「シャーリア様、この子の成長速度は通常の人類の約2倍になると予測されます」


 フローラが分析結果を報告する。


「そう……それなら、私にもできるわ。母親として、この子を育てることが」


 永遠の命を持つ彼女だからこそ、急速に成長するアカリに寄り添うことができる。それは、研究者たちの計算だったのかもしれない。


 地上に戻ると、既に夜が明けていた。


「庭に、連れていきましょう」


 シャーリアは、アカリを抱いたまま、花々の間を歩いた。朝露が、きらきらと輝いている。


「不思議ね。300年もの間、私はただ待っていた。でも、何を待っていたのかはわからなかった」


 アカリが、小さな手を伸ばす。まるで、花に触れたいかのように。


「今なら、わかるわ。私は、この瞬間を待っていたの」


 遠くで、建物が崩れる音が聞こえた。しかし、それはもう悲しい音ではない。古いものが去り、新しいものが生まれる。それが、世界の摂理なのだから。


「みんな。これからも、私たち家族のことを、よろしくね」


 機械生命体たちは、それぞれの方法で返事をした。メリルは尻尾を振り、ルナは優雅にお辞儀をし、ピピは空を舞い、フローラは花びらのように光を放った。


 シャーリアは、アカリを優しく抱き締めながら、つぶやいた。


「人類は、消えてなんかいなかったのね。ただ、形を変えただけ」


 新しい種の誕生。それは終わりではなく、始まりだった。シャーリアの永遠の時間に、新たな意味が生まれた瞬間。


 アカリが、初めて笑顔を見せた。


 その小さな微笑みの中に、人類の過去と、新しい種の未来が、確かに息づいていた。


 朝日が昇り、新しい一日が始まっていく。シャーリアの庭に、また一つ、花が咲いた。それは、彼女が300年の時を超えて守り育ててきた庭の、最も愛おしい花だった。


 永遠の命。それはもう、呪いでも祝福でもない。


 それは、新しい世界を育むための、確かな時間なのだ。


 シャーリアは、微笑んだ。


 これが、彼女の物語の、本当の始まりだった。


(了)

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