第41話:毒刃から生き延びた代償は
あの崖道の戦いのあと、リィダさんの話を信じるなら、俺は十日もの間、眠っていたとのことだった。
彼女は言った。生きようとする力が、毒に打ち勝ったのだと。それにしても、なんという悪運の強さだろうか。毒塗りの短剣の攻撃を喰らい、さらには川に流されて、それでも生きていただなんて。
もっとも、生きていたことには違いないけれど、十日も眠っていたってのは驚きだ。ドラマか何かの主人公みたいだ。あらためて、自分の頑丈さに感謝してしまう。
「それにしても、本当にすごいわねぇ。今度、解剖させてくれないかしらぁ?」
「嫌です」
「そうなの? 残念だわぁ」
リィダさんは、ぱっと見は二十代後半から三十代くらいの、ちょっと言動が子供っぽいところもあるけれど、おっとりとして優しそうな、少しばかりふくよか──特に胸が──な、オトナの女性に見える。なのに「解剖させてくれ」ってなんだよっ!
「……ところで、ここはどこなんですか?」
「森の中よ?」
いや、森の中は分かる。俺は川の中州に建てられた街バージスから、川に沿って峠越えの隊商の護衛任務で移動していた。川で流されたっていうなら、バージスの街の方に流されたはずだ。
「バージス? ずいぶんとまた……違うわよ?」
「違うって、どういうことですか?
「ここは山の中よ? だって、川なんて途中で分岐しているし。……そうねぇ、あなたの話に絡めるなら、バージスに向かう流れが東だとすれば、こっちは西向きの南ね。正反対、とは言わないけれど、どちらかというと逆方向に近いわぁ」
「ぎゃ、逆⁉︎」
予想と全く異なることを言われてしまって、俺は思わず声を上げてしまった。だって山はこっち側なんだから、ふもとの街の方に流れていくって思うだろ、普通!
「もしバージスの街まで流れていくようなことになっていたら、わたしが拾うこともなかったでしょうし、そうなったら間違いなく死んでいたわよ?」
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。たまたま川の分岐で、生き延びる方に流された幸運を感謝するしかないってことなのか。
「まあ、そういうことねぇ。これぞ女神様の恩寵かしらね? とりあえず命は拾えたのだし、しばらくゆっくりとしていきなさいね。やっと目を覚ましたとは言っても、体が良くなるのはまだまだ先の話なのだから」
リィダさんはそう言って、横になるように促す。言われるままに体を横たえると、ふかふかの布団をかけてくれた。
「ゆっくりおやすみなさい。せっかく助かった命、大切にしなくちゃね」
目を覚ました日の、次の朝。
体のあちこちはギシギシと悲鳴をあげていたけれど、気合を入れて起き上がる。
リィダさんは「体が良くなるまでいていいのよ?」と言ってくれたけど、いつまでも他人のベッドで寝ているわけにはいかないと思ったんだ。
左腕の腫れは、昨日起きた時よりはまだマシになっていた。けれど、マシというだけで「治った」というレベルには全く至っていないことが、グズグズに肉がただれて膿んでいる傷口を見てよく分かった。そりゃあ痛むわけだ。
包帯を取るのもすごく痛かったんだけれど、リィダさんが容赦なくかさぶたを「ベリッ」と音がする勢いで剥がしたんだ。その痛いことと言ったらなかったけど、それ以上に血と膿が混じった汁が飛び散った様子を見て、俺、血の気が引いてぶっ倒れそうになったんだ。
「ただの怪我じゃないの。毒の短剣の刺し傷よぉ? 骨まで削れていたくらいの。そんな怪我が、簡単に治るはずがないでしょう?」
そう言って、膿を絞り出すんだよ! ぎゅ~っと、雑巾でも絞るみたいに!
最初の三日間は、膿を垂れ流し続ける傷から、一日に何度も抜き続けていたんだそうだ。意識がなくて本当に良かった……!
ある程度、膿と血を絞り出したところで水をぶっかけて洗い流し、傷口を押し開くようにして確認される。
「うん、肉が盛り上がってきてるわね。もうだいじょうぶよ」
そう言いながら、さらに水で洗うリィダさん。いや、大丈夫じゃないよ! 痛いって、死ぬっ!
始終悶絶し絶叫していた俺など全く意に介さず、傷口を拭き、薬を塗り込み、拭いて白布を巻いていく様子は、実に手慣れたものだった。
地獄のような時間が過ぎて、痛みもだいぶマシになって落ち着いてきたころ、昼前のお茶を淹れてくれたリィダさんに聞いてみた。
「こんな深い森の中で、どうして一人で暮らしているんですか?」
「あら、それを聞いちゃう?」
いたずらっぽい笑みを浮かべたリィダさんだけど、つまり聞かれたくないってことなんだろう。慌てて頭を下げて謝った。
誰にだって、理由があるからその行動をとっている。リィダさんが人里離れた深い森の中で、たった一人で暮らしているのは、つまり何か理由があって、人目を避けているってことに違いない。
俺自身、そのおかげで命を救われたのだ。必要以上の詮索をするのはマナー違反だろう。
「それはもちろん、楽しいからよ?」
予想と反する答えに、つんのめりそうになる。
「楽しい……ですか?」
「そうよ?」
ころころと笑うリィダさん。
「だって、飽きないわ。この森はね、宝物でいっぱいなの」
「宝物?」
「ええ、そうよ。宝物で満たされているのよ」
思わず首をかしげてしまう。宝物? 金や銀、宝石類が採掘できるということなんだろうか。でもそれなら、「宝物」とは言わない気がする。宝物っていうのは、希少価値が出るように加工されたものだと思うからだ。
「それは、どんなものなんですか?」
「ふふ、さあ、どんなものかしらねぇ?」
意味深に微笑むリィダさんは、「宝物」がなんなのか、はぐらかすだけで教えてくれる様子はない。まあ、たまたま流れ着いただけの怪我人というだけの俺に、「宝物」を教える義理が彼女にあるわけがないから、それ以上聞くのはやめておいた。
腕の怪我は、数日で膿出しをせずに済むようになったけれど、怪我はなかなか治らなかった。まっすぐに突き刺されたはずなのに、まるで爆発したみたいに肉がえぐれているのは、毒によって腐ってしまったからだという。
「だいじょうぶよ。もう腐ったところはなくなったから。肉が盛り上がってきているし、怪我の方は問題ないわ」
そう言ったリィダさんは、だけど少し、視線をそらした。
「ただ、全身に回った毒の影響は大きいわ。肉が腐るほどでないにしても、体中が傷ついているから。人生のお休み期間だと思って、しばらく休んでいきなさいね」
「しばらくってどれくらいですか?」
「そうねえ……」
しばらく小首をかしげるようにしてから彼女が出した答えは、「ひと月ほど」だった。
「ひと月……ですか?」
「そうねぇ。あなたの体の強さにもよるけれど、少なくともひと月はみておいたほうがいいわぁ。腕の傷はともかく、体の中の話だから」
……そんなに時間がかかるなんて! これからさらに一ヶ月も音信不通なんて、絶対に死んだとみなされるに決まってる。デュクスの方はギルドに行けば会えるだろうから、特に問題はない。けれど、シェリィはもう、会えないだろう。彼女も、一ヶ月以上行方不明になっていた男に義理立てする必要はないんだから。
……だけど、この世界で、日本のような高度な救急医療なんて望めそうにない。膿を絞り出す、という時点で、抗生物質という考え方がないのは明白だからだ。今回、リィダさんのようなある程度医療知識がある人に拾われたのは、本当にラッキーだったんだ。だったら、この世界で少しでも健康的に生きていくためにも、彼女の治療をきちんと受け続けた方がいいんだろう。
……けれど、シェリィとは結局、あの夜以来のぐだぐだをぜんぶスッキリできた感覚はなかった。毒の刃から生き延びることができたのはうれしいけれど、その代償として、スッキリしないままに彼女と縁が切れてしまったのは、心残りに感じた。
ブレイブブレード!~俺は一握りの勇気と一振りの木刀で世界を変える!もふケモ娘と挑む異世界革命~ 狐月 耀藍 @kitunetuki_youran
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