第40話:かろうじて拾った命の証を
◆◇────・ ⚔ ・────◇◆
「え? 俺たちって、一緒の場所に行くんじゃないのか?」
思わず聞き返した言葉に、ソレは静かに首を振る。
「……いや、影響を最小限にするためって、そんなこと俺たちに言われても」
俺たちが止めるのも聞かず、真っ先に光の渦に飛び込んだ中学生の姿は、もう無い。
「……本当に、役目を果たせば、支那で戦う戦友の元に帰してもらえるのだな?」
旧日本軍の軍人らしい男は、直立不動で敬礼をしてから、自ら光の渦に歩いて行った。
「い、いやだ……! 俺はただの建築士だぞ? カオスと戦う? そんなこと、できるわけが……」
頭を抱えて震えている男を見下ろしながら、俺は背中に背負った木刀をつかんだ。
ここまできたらやるしかないだろう。死ぬと決まったわけじゃないんだ。
赤い唇が、にぃっと、笑みを浮かべる。
なぜか某漫画の、とあるノートを取り戻した主人公が邪悪な笑みを浮かべたシーンが、そのときのモノローグが、脳裏に浮かんだ。
◆◇────・ ⚔ ・────◇◆
目を覚ますと、天井があった。
見慣れた自分の部屋の白い天井じゃない。
宿の天井でもない。
唐突に、あのボロボロの服をまとった奴──べノンといったか。あいつが、うねる刃の短剣を構えて突進してくる姿が脳裏に甦ってくる!
「……そうだ、あいつ! あいつは──あいでぇッ⁉︎」
起きあがろうとして、左腕に凄まじい痛みを感じて悲鳴を上げる!
腕には、白い布が巻き付けられていた。ただし、その腕が普段の三倍くらい太い。動かすと激痛が走る!
「な、なんだこれ……」
右の指でチョンと触ると、電気が走るようなビリッとした痛み!
「うくぅうううううっ……! な、なんだこの痛み……!」
腕を押さえながら歯を食いしばる。だけど力が入らない。酷い倦怠感で、動くのも億劫だったけれど、とにかく体を引きずるようにしてベッドから抜け出した。
小さな窓から差し込む明かりは清々しく、窓の向こうには鬱蒼とした木々が見える。どうやら、森の中の小屋のようだ。
……ますます意味が分からない。俺は確かに、奴に刺されたんだ。革の盾を貫通するあの刃が、俺の左腕を貫いた。骨が軋むあの感触は、二度と体験したくない。
今さら気づいたんだけど、なぜか身体中、あちこちに包帯のような布が巻かれている。そして、全身がギシギシと軋むような痛み。
全身のあちこちを布で巻かれている──それが分かるのはつまり、俺、今、服を着ていない。だけど、オムツみたいなものを穿いている。もちろん、そんな物を穿いた記憶なんてカケラもない。
──オムツを穿いてるって、なんでだ?
軋む体をなだめすかすようにして、なんとか脱いでみる。
脱ぐというより、ぐるぐると巻かれた布を解くが、特に何かあるわけでもなかった。
──うん、大丈夫。元気だ。
体はこんなボロボロそうなのに、無意味に元気な自分に苦笑いしながら、俺はベッドに腰掛けようとした。
その時、ガチャガチャ、と音がしたかと思ったら、部屋のドアが開いた。反射的に立ち上がってそちらを向くと、人が入ってきた。
「あらぁ。もう立てるの?」
大きなフリルのついたロングエプロンを身につけた、飴色の長い髪をした、おっとりとした雰囲気の女性が、そこにいた。
「ふふ、見つけた時には死体同然だったっていうのに、随分と元気そうね。若いって素敵だわぁ」
小首をかしげるようにして頬に片手を当て、じっとこちら──股間あたりを見つめて、微笑んでみせる。
言われて、視線を落とし、無駄に元気っぷりを発揮している自分の生理現象を再確認し、我ながら情けない悲鳴を上げてシーツを手に取ろうとしたとき、全身を襲う痛みが直撃。羞恥と激痛に悶絶したのだった。
再びベッドに横になった俺は、温かい、不思議な味の湯で満たされているカップを渡された。上半身を起こしてそれをちびちびと飲みながら、話を始めた。
「ふぅん、トーノォ・カズゥマくんっていうのね?」
「カズマです」
「そうなのね。ふふ、わたしはプトゥリィダス。リィダって呼んでくれるとうれしいわぁ」
「リィダさん……ですか」
「ふふ、よろしくねぇ」
リィダさんは柔らかに微笑む。
「聞いたことのない家名なんだけれど、カズマくんの家って、どこの貴族のご子息なのかしら?」
「貴族?」
……そういえば、シェリィにも同じことを聞かれたっけ。いや、貴族じゃないんだけど。ごく平凡な一般家庭だ。そう答えると、リィダさんの微笑みが、何やら意味深なものに変わったように感じた。
「ふぅん……。平凡、ねぇ?」
リィダさんはじっと俺を見つめたあと、窓の外に目をやった。
「平凡な男のコが、どうしてあんなことに?」
「……あんな?」
「そう。……ひょっとして、自分がどんな状態でこの家に来ることになったのか、身に覚えがないのかしら?」
身に覚えならある。十分にありすぎる。だけど、べノンとかいう奴に短剣で左腕を突き刺されて崖から落ちた瞬間から、記憶がない。俺は一体、どうなっていたんだろう。
ただ、あのあと、俺はどうやってここに来たんだ?
「どうやってここに、ですって? 決まってるじゃないの、わたしが拾ったのよ」
「拾った?」
「そう。谷川の岩に打ち上げられていたわ。大変だったのよぉ? 川からここまで引っ張ってくるのは」
リィダさんの話によると、この家の近くには川があって、そこの岩に乗り上げるようにして俺が倒れていたのだという。
「最初はすごい有様だったのよぉ? なにせ左腕は紫色になって丸太みたいに腫れ上がっていたし、川に流されていたからかしら、身体中、すり傷だらけで。最初は死体だと思ってたわぁ」
実に楽しそうに語るリィダさん。水晶玉のようなものを取り出すと、「ほら、見てご覧なさい」と言う。言われるままに覗き込んで、驚いた。
「これ……俺、なのか……?」
「そうよ? なかなかすごいでしょう」
すごいなんてもんじゃない。驚いた。
なにせ、俺の姿が映し出されているのだから。
「こ、これが俺なんですか? か、体が紫……あちこちひどく腫れて……!」
「え? そっちなの?」
「え?」
「え?」
二人で顔を見合わせた。
「……そっちって、俺が全身あちこちを紫色に腫れ上がらせているひどい有様のことですよね?」
「それをきれいに映してることを見てほしかったわぁ。動いてるのよ? 姿絵が!」
「……音声は無いんですか?」
「まあっ……!」
リィダさん、目を丸くして、そして子供みたいなふくれっ面をしてみせた。
「ひどいわぁ、絵姿を記録するだけでもすごいことなのに。なぁに、その当たり前みたいな顔は。おねぇさん、ちょっと傷つくわぁ。これだから法術の偉大さが分からない子供って嫌ねぇ」
そう言ってそっぽを向いてしまった。
「子供って……リィダさんこそ、歳はいくつなんですか」
「年上の女性に年齢を聞くなんて……本当にお行儀が悪い子ね」
さらにつんとしてみせる。
だってこっちは、高画質な動画配信サービスが当たり前の世界から来た異世界人だよ? そこに驚きなんてあるわけないじゃないか。おまけに人を子供扱いしておいて、自分が歳を聞かれたら頬を膨らませて拗ねてみせる姿に、思わず「子供かよ」と突っ込みそうになってしまった。
だけど話の流れからすると、毒で死にかけていたはずの俺をなんとかしたのはこの人のようだ。だったら、とりあえず今は機嫌をとっておいたほうがいいのかもしれない。
「あ、いや……失礼しました、すみません。さっきの動画も、あまりにも自分が生きてるのが不思議なありさまだったんで、つい……」
「つい?」
「いやあリィダさんはすごいなあ! これが法術のチカラかあ! ぼくにはとてもできない!」
「口調が棒読みなのは、なに?」
勘弁してくれよ!
「はい、あ~ん」
リィダさんは、麦のおかゆをひとさじずつ差し出してくる。
「ふふ、ゆっくり飲み込むのよ? お腹が空いてたまらないだろうけれど、一度に食べたら、命に関わるから」
「のどに詰まるってことですか?」
「ううん?」
彼女は穏やかな微笑みを浮かべながら言った。
「急にものを食べると、体が受け付けなくて吐いちゃうことがあるの。ひどいときには、それでのどを詰まらせて死んじゃうわ」
思わず手が止まる。なんか聞いたことがあるぞ、餓死寸前の人間に食べ物を与えると、かえって消化器官が痙攣を起こして命に関わるんだっけ……?
「え、俺、そんなに寝てたんですか?」
「そうねぇ……。九日間、寝ていたわ。今日でちょうど十日目だったのよ」
そんなにも⁉
俺は思わず声を上げてしまった。
「俺、その間ずっと飲まず食わずだったんですか?」
「まさか。食べることはできないけれど、
「あ……そうなんですね、すみません、ありがとうございました」
「あとは、
「……
一瞬、その意味が分からなかった。
だけど、俺が起きた時、股間を覆っていたオムツのような布の存在がよみがえってきて、徐々に顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかった。
おまけに、おかゆを差し出すリィダさんが悪戯っぽく微笑みながら続けた言葉が、俺の豆腐メンタルにとどめを刺した。
「若さなのかしら、それともかろうじて拾った命の証を残そうとする本能なのかしらねぇ」
「……どういう意味ですか?」
「体は毒と傷でひどいありさまだっていうのに、お世話をしてると、時々、ムクムクと元気に……」
ぎゃああああっ!
それ以上は言わないでくれっ!
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