おにぎり

香久山 ゆみ

おにぎり

 夏休みの一週間、僕はおばあちゃんの家で過ごすことになった。

 ママのお腹の中には、僕の弟か妹が入っていて、もうすぐ生まれるらしい。だから、僕のお世話をおばあちゃんに頼んだんだって。その一週間は、パパも仕事が忙しいという。

「僕、一人でお留守番できるよ」

 そう言ったのに、ママもパパも一人で留守番はさせられないという。それで、僕の思いなんてお構いなしに、おばあちゃんの家に行くことが決まった。

 月曜日の朝、おばあちゃんが車で迎えにきた。後部座席のチャイルドシートに乗せられて、眠くてもにゃもにゃしてる間に出発していた。まだママにお別れも言ってないのに! 目が覚めた時には高速道路を走っていた。僕は唇を噛んで泣きそうになるのを我慢した。

 赤い車は青空の下をブンブン走る。

 車中はずっとラジオが流れていて、古い曲が流れるたび、おばあちゃんもフンフン口遊む。僕はずっと寝たふりしていた。うちの車ならいつも、僕が好きなセンタイジャーの歌をかけてくれるのに。また悲しくなった。

 高速道路を下りて、三十分くらいしてから、ようやくおばあちゃんの家に到着した。

「あら、お孫さん?」

 車から降りると、隣の家のおばさんが、「こんにちは」と声を掛けてきた。もじもじしてると、「ほら、ご挨拶」とおばあちゃんに背中をぐいぐい押されて、小さな声で「こんにちは」を言った。せっかく挨拶してあげたのに、おばあちゃんも隣のおばさんも、僕のことなどそっちのけでぺちゃくちゃお喋りしている。

「しばらく孫を預かるのよ」

「あら、一週間も?」

「もうすぐ娘に赤ちゃんが生まれるから」

「それは、いいこと尽くしねえ」

 僕は、おばあちゃんの後ろに隠れて、そっとおばあちゃんの家を見上げた。古い木造の家で、なんだかどよーんと薄暗い気がする。

 僕はおばあちゃんの家が苦手だ。

 いつもはママとパパが一緒だから平気だし、年に二回しか来ないからちょっとくらい我慢している。けど、一週間も一人きりでおばあちゃんの家に泊まるなんて、最悪だ。

「さあ、お上がり」

 いつの間にかお喋りを終えたおばあちゃんに促されて、しぶしぶ家に入る。

 玄関で靴を脱いで、洗面所で手洗いうがいをして、仏壇の前に座って手を合わせる。

「まあ! お利口さんね。仏壇にご挨拶してくれて、優しい子」

 別に、いつも通りしてるだけだし。

 おばあちゃんは、仏壇に手を合わせることをおじいちゃんに挨拶することだと思っているけど、正直よく分からない。おじいちゃんは、僕が生まれた時にはもう死んでいたから、どんな人かも知らないし、仏壇に死んだ人がいるというのも分からない。皆がするからそうするだけなのに、こんなに喜ばれるなんて。

「何もないところだけど、ゆっくりしてね」

 すぐにお菓子とジュースを持ってくるから、と言って、僕を座布団の上に座らせて、おばあちゃんは台所へ行った。

 広い居間に一人きりで、そわそわする。南向きに大きな窓があるけれど、縁側の庇の陰になっているせいで、電気を点けても何だか少し暗い。別にお化けは信じていないけれど、仏壇があるのも怖い。いつもおばあちゃんの家に泊まる時は、この部屋の机を片付けて、布団を敷いてママとパパを並んで寝るけれど、今日は一人でここで寝るのかな。嫌だな。でも、パパママの代わりにおばあちゃんの横で寝るのも落着かない気がする。

 それに一週間どうしよう。何もない、っておばあちゃんは言ったけど、本当に何もない。

 幼稚園の友達は、田舎に遊びに行った時に、山でカブトムシを採ったり、川で魚釣りしたりしたって自慢していたけれど、おばあちゃんの家はそんな田舎じゃない。かといって、ショッピングモールやデパートがあるほど都会でもない。

 遊園地でも映画館でも、僕が「行きたい」と言えば、おばあちゃんは連れて行ってくれるかもしれない。けれど、パパやママとは行ってみたいけれど、おばあちゃんと一緒に遊園地に行ったって楽しいはずもない。

 ゲームでも持ってこればよかった。朝、寝惚けていたから何も持ってきていない。

 いつもなら、おばあちゃんの家に来た時には、ママとお絵かきしたり、パパと馬跳びしたり、皆で将棋盤でひょこまわりしたりする。だけど、おばあちゃんと二人きりだと何もすることがない。おばあちゃんはいつも、買い物して食事を作って、たまに僕らの遊びに参加するだけだ。つまんない。うちに帰りたい。

「お待たせ」

 おばあちゃんがお盆を持って戻ってきた。甘いオレンジジュースもスナック菓子も、うちでは健康志向のママが出してくれない物なので、これはちょっと嬉しい。することないからむしゃむしゃ食べていたけれど、一人でお菓子を食べるのも、すぐに飽きてしまった。

 おばあちゃんがテレビを見ている間、一人で家を探検したけれど、特に面白いものもなくて、一通り見て回るともう飽きた。

「晩ごはんはハンバーグとポテトサラダよ」

 おばあちゃんが言う。僕の好物だ。

「それでね、明日の朝ごはんはまだ決めていないんだけど、何か食べたいものはある?」

「……別にない」

 うちでは朝はいつもトーストで、ジャムを塗ったり玉子を載せたりする。でも、僕は別にトーストでもサンドイッチでも構わない。

「じゃあ、おにぎりと卵焼きとウインナーに、味噌汁にしましょう」

「えっ!」

 予想外の展開に僕は声を上げた。

「あら、だめ?」

「だめっていうか……」

 正直に答えるときっと傷付けてしまう。何と答えたらよいか分からなくて、もごもごする。けど、朝ごはんにおにぎりはダメだ。

「ああ、そうだった。ユウくん、私の握ったおにぎりが苦手なのよね」

「えっ?! ……なんで知ってるの?」

 おばあちゃんはあまり気にしていなさそうに言うが、ずばり当てられ、非常に気まずい。

「いいわよ、気にしなくって。あなたのママも小さい頃、おばあさんのおにぎりが苦手で、私の作ったおにぎりしか食べなかったもの」

「ええっ、そうなの?」

 ママに「小さい頃」があったことも想像できないし、いつも「好き嫌いしちゃだめ」と言うくせに、自分だって好き嫌いしてたんじゃないか。そう思うと、少し罪悪感も減った。けど、おばあちゃんが続けて言う。

「この一週間の私の目標は決まったわ」

「なに?」

 おばあちゃんなのに、目標を決めるなんて変なの。一体何するっていうんだろう。

「この一週間で、ユウくんに私のおにぎりを好きになってもらうように頑張るわ」

 ええー。最悪! って声を上げそうになったけれど、何とか堪えた。「けど、これはあくまでおばあちゃんの目標だから、ユウくんは無理しなくていいからね」、おばあちゃんはそう言った。やっぱり、おばあちゃんは苦手だ。

「一緒に買い物に行く?」

 と訊かれて、断った。僕がテレビを観ている間に、おばあちゃんは買い物をして帰ってきた。ほら、僕一人で留守番できたじゃん。ママにそう伝えてもらおうと、玄関までおばあちゃんを迎えに行く。

 おばあちゃんは小さな体で、両手に大きな買い物袋を抱えていた。

袋を一つ受け取り、台所へ運ぶ。けっこう重い。こんな荷物を二つも持って歩いたのか。

「いつもこんなに荷物多いの?」

「いつもはこんなに多くないよ。今日は二人分だからね。それに、明日の分も買ってきちゃった」

 そっか、いつもは袋一つなのに、僕が来たから袋がもう一つ増えたんだ。次に買い物に行く時には、僕も一緒について行って手伝うと言うと、おばあちゃんは「こんないい子だと、ママも助かるだろうね」と頭を撫でた。そうだ、弟か妹が増えたら、うちの買い物も一人分増えるんだ。帰ったら、もっとママのお手伝いをしようと決めた。

 ハンバーグもポテトサラダも、ママが作るのと同じ味がした。そう言うと、「私がママに作り方を教えたからね」とおばあちゃんは嬉しそうに言った。なるほど、そしたらおにぎりだって、ママと同じ物なのだから大丈夫かもしれない。……と少しだけ思ったけれど、やっぱりママ以外の人が握ったおにぎりは嫌だなと思った。

「ユウくんは、ママによく似てるわ」

「ママの小さい時なんて、想像つかないよ」

「あら、家中探検した時に、アルバム見なかった? ママの小さい頃の写真もあるわよ」

「見たい!」

 それで、その晩は二人で古いアルバムを見て過ごした。

 ママは本当に僕くらい小さい時があって、かわいかった。泣いてる写真も笑ってる写真もいっぱいあった。おばあちゃんは、一枚一枚についてエピソードを語ってくれた。結婚式の時の写真もあって、ママはお姫さまみたいですごくきれいだった。ママが小さい時は、おばあちゃんも若くて、今のママに少し似ているけど、やっぱりおばあちゃんだった。

「おばあちゃんも小さい時があったの?」と言うと、「あるわよ」と笑った。また今度見せてもらう約束をした。

 その晩は、おばあちゃんとお風呂に入って、おばあちゃんの布団に入れてもらって寝た。

 翌朝起きたら、布団の中におばあちゃんはいなかった。

 台所からコトコト音がする。

「おはよう。ちょうど朝食ができたところよ」

 台所を覗くとおばあちゃんがいた。僕も「おはよう」と挨拶して、食卓の椅子に座った。

 朝ごはんは、宣言通り、おにぎりだった。

 お味噌汁を飲んで、卵焼きとタコさんウインナーを食べて、やっぱりおばあちゃんのおにぎりは食べる気がしなくって、でもそんなこと言えないし、どうしようと思っていると、向かいに座るおばあちゃんと目が合った。おばあちゃんはニッと笑って、手を伸ばした。

「おにぎり、渡しな。ほい、これと交換ね」

 そう言って、茶碗によそったばかりの白ご飯と、僕のおにぎりを交換した。

「ユウくんのうちのおにぎりの中身も、梅干と鮭でしょ」

「うん」

 俯いたまま返事する。「うちも一緒よ」とおばあちゃんがおにぎりを頬張りながら言った。

 今日はおばあちゃんの買い物を手伝う気満々だったのに、昨日まとめて買い物したから、今日は出掛けないという。午前中に少しだけ近所を散歩して、公園の遊具を一通り触って、帰宅してからおばあちゃんが言った。

「ユウくん、悪いんだけど、おばあちゃん今から書道させてもらうね」

「え、なに?」

 聞くと、おばあちゃんは「書道」を習っていて、展覧会の締切りが迫っているから、今日中に作品を仕上げないといけないという。

「大人なのに、お稽古するの?」

「そうよ。書くのが好きだし、書けば書くほど上手になるから面白いの」

 テキパキと居間の机を片付けて、大きな紙を敷きながらおばあちゃんが答える。

「ユウくん、待っている間、テレビ観とく? それとも何か映画でも観る?」

「映画なんて観れないじゃん」

 放っておかれて少し不機嫌に答えると、おばあちゃんが手招きする。応接間の引き戸を開けると、そこには壁一面の棚があって、「DVD」や「ビデオテープ」が並んでいた。

「すごい。おばあちゃん、これ全部観たの?」

「もともとはおじいちゃんの趣味だったんだけどね。私も映画好きだから、おじいちゃんが死んだあとも集めてるの。ここにあるのは全部観たよ」

 ママが小さい頃によく観ていたというDVDを借りて、応接間の大きなテレビで観ることにした。ジャングルで動物達に育てられた少年が、色んな冒険をして成長する物語。面白くて、あっという間に二時間経った。

 映画を観終えて、居間を覗きにいくと、まだおばあちゃんが「書道」をしていた。紙の上にしゃがんで、えいやっと筆を動かすと、白い紙の上に黒い線が現れる。真っ直ぐだったり曲がったり、太かったり細かったり、黒い海みたいに色の濃いところもあれば掠れているところもある。全部、一本の筆から生まれてくる。なんて書いてあるかは全然分からないけど、じっと紙を見つめるおばあちゃんは何かかっこよかった。

 しばらくおばあちゃんの書道を黙って見ていると、何枚か書いてから、ようやく「ふう、できた」とおばあちゃんが筆を置いた。

「僕もそれが一番かっこいいと思った」

 と言うと、おばあちゃんは僕がいるのに今気付いたようで、瞬きしてからニッと笑った。

「ユウくん、分かってるじゃない」

 お片付けするおばあちゃんに、僕は言う。

「おばあちゃん、僕も一週間の目標ができた。あと五日だけど」

「なあに」

「おばあちゃんに書道を教えてもらって、僕もかっこいい字を書けるようになる」

 そう宣言した。

 夕食の前と後、早速おばあちゃんは僕に鉛筆でひらがなを教えてくれた。何度間違えても怒らず根気強く教えてくれたし、僕も自分で決めたことだから頑張って練習した。

 とても集中してとても疲れたので、その日はいつもより早くぐっすり眠った。

 翌日は昨日より早く起きたのに、もうおばあちゃんは布団にいなかった。台所へ行くと、ちょうど炊飯器がピーと鳴ってご飯が炊けたところだった。

「おはよう、おばあちゃん」

「ユウくん、おはよう。早いわね」

 おばあちゃんほどじゃないけどね、と思う。

「朝ごはんはこれから作るところなのよ。そうだ、ユウくん、おにぎり作ってくれない?」

「え?」

「二人で作った方が早いでしょ。ユウくん、うちでおにぎり作ったことある?」

「……作れるよ」

 作ったことはないけれど。

 手を洗って、おばあちゃんの横に立つ。おばあちゃんがやる通りに、濡れた手にぱっぱっと塩を振る。冷ましたごはんを手に取り、両手で握る。ママやおばあちゃんみたいに三角にしたいのに、上手くできない。仕方ないからまん丸にする。真ん中に指でずぼっと穴をあけて、おばあちゃんが種を取って包丁で叩いておいた梅干を一つまみ入れて、またごはんで穴を埋める。時間をかけてきれいな丸にしていたら、乾いた手にごはん粒がいっぱいくっついて、ボロボロになってしまった。仕方ないので、それはおばあちゃんに渡してもう一度挑戦する。あまり時間をかけすぎないように握ると、形は悪いけれどとりあえずおにぎりはできた。海苔を巻いて、お皿に載せる。おばあちゃんもその横に一つひょいと置く。さっき僕がパスしたごはん、きれいな三角おにぎりになっている。

 そうして、僕とおばあちゃんは梅干と鮭でおにぎりを二個ずつ作った。僕が作り終えるまでに、おばあちゃんは魚を焼いて、味噌汁を作っていた。

「ユウくん。おにぎり一つ交換して、どっちが美味しいか勝負しない?」

 おばあちゃんがニヤリと笑う。受けて立つ。梅干のおにぎりを交換した。

 まず、自分の作った鮭おにぎりを食べる。しょっぱい! けど、初めてにしては上出来だと思う。ちょっとごはんから鮭がはみ出してるけど、けっこう美味しい。

 次に、おばあちゃんの梅おにぎりを食べる。ママの握るおにぎりよりも少しだけ小さいけれど、ママのと同じ味がする。

「ユウくん、自分の作った梅おにぎりも食べてごらん。すごく美味しいよ」

 そう言って、おばあちゃんは半分に割った梅おにぎりを渡してくれた。パクッと頬張ると、さっきの鮭よりも塩気はちょうどいい感じ。それに。

「僕のもママやおばあちゃんと同じ味がする」

「そりゃそうよ。私達の手はよく似てるもの」

 同じ材料だからって、おばあちゃんは言わないし、僕もそんな野暮は言わなかった。

「おばあちゃん、僕はもう一つ目標ができた。美味しいおにぎりを作れるようになる」

 それで、帰ったらママとパパに食べさせてあげるんだ。赤ちゃんもおにぎり食べるかな。

「いいわね。おばあちゃんも目標達成したから、新しい目標を作らなきゃね」

「そっか。おばあちゃん、昨日で書道の展覧会の作品完成したもんね」

「ああ、そうね。それも達成したわねえ」

 ふふふ、とおばあちゃんは笑った。僕は、残り四日間も朝はおにぎりがいいと注文した。

 おにぎり対決は引き分けと思っていたのに、次の日からおばあちゃんは本気を出してきた。

 僕がきれいな三角おにぎりを作ろうと奮闘している隣で、海苔を貼っておにぎりに顔を作ったり、海苔の代わりにふりかけを振ったおにぎりを作ったりしてくる。オムライスおにぎりは、ママの小さい頃に遠足とか特別な時だけ作って、ママのお気に入りだったんだって。僕が火を使っても大丈夫なくらい大きくなったら、教えてもらう約束をした。

 おばあちゃんは色んなおにぎりを作ってくれた。けど、僕のおにぎりを食べて「美味しい、美味しい」と言うから、結局決着はつかない。梅干と鮭のおにぎりは、おばあちゃんと同じくらい美味しく作れるようになった。

 書道の練習も頑張った。僕もおばあちゃんみたいに筆で書きたいとお願いして、一度だけ書いてみたけれど、字に見えない太くて大きな黒いかたまりにしかならず、全然思い通りに書けなくて、まずは鉛筆から特訓することにした。まだ、ひらがな全部は書けないけれど、書きたい文字は書けた。

 ――うまれて おめでとう おにいちゃんより――

 上出来と、おばあちゃんに褒められた。

 あっという間に、おばあちゃんの家での一週間は過ぎた。

 日曜日の夜、赤い車に乗り込んだ時、ちょうど赤ちゃんが生まれそうだと連絡があって、おばあちゃんと僕は病院へ向かった。

 生まれてきたのは、妹だった。妹が字を読めるようになるまでに、おばあちゃんみたいに書けるようになって、「お兄ちゃんかっこいい」と思ってもらうんだ。

 明日からはパパも育休でしばらく会社を休むということで、僕はおばあちゃんとさよならして、パパとうちに戻った。ママが退院するまで、パパと二人だったけど、僕がおにぎりを作ってあげると、パパはすごく喜んだ。

 ママと妹がうちに帰ってきて、しばらくバタバタしたし、ビミョーなこともあったけど、僕はお兄ちゃんだから泣かなかった。

 次におばあちゃんの家に行くのはお正月で、まだずいぶん先だから、手紙を書いた。

 ――おばあちゃん いっしょにえいがいこう おにぎりのおべんとつくるよ――

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