オレはもう、逃げないと決断したから。

「──わっくんっ!」

「わっくん……って、オレのこと?」


 家で本を読んでいたときのことだった。

 たしか、小学二年生の頃だっただろうか。


「うんっ! やまとくんの漢字ね、『倭』って書いて『わ』とも読むらしいよっ! だからーー……わっくんっ!」

「……普通にやまとくんでもいいんじゃ?」

「他の人も『やまとくん』って呼んでるから……ヒヨリだけ呼べる特別な名前がほしいのっ!」


 思えばこの頃から日和はオレの特別になりたがっていたような気がする。そう考えると、小学五年生の頃の方がまだ控えめだっただろうが、幼すぎてその印象がなかったのだ。


「ははっ、そっか。漢字苦手なのに頑張って調べたんだもんな……うん、いいよ、わっくんで」

「ほんとっ!? ヒヨリ以外には呼ばせちゃダメだよっ!?」

「ははっ、多分いないと思うし、いいよ」

「わーいっ! やったーっ! わっくん、わっくん、わっくん……!」

「な、何回も呼ばれるとくすぐったいてば!」

「えっへへーっ! わっくん、わっくーんっ!!」

「もぉ……あっはは!」


 イタズラに笑う日和と恥ずかしながらも笑うオレ。

 ……そっか、そんな感じで決まったんだっけ。


「倭、起立だ」

「……ッ!」


 軽く腰を小突かれて起立する。

 今は終業式で、校長先生の話が終わったところだった。



「──さっきはありがとな。ちょっとボーッとしてた」

「熱中症か? 心配だな……と、言いたいところだが、さっきの倭、ニヤニヤしてたぞ。どんな妄想してたんだー?」

「妄想って……ちょっと思い出してただけだよ。幼馴染との和やかな想い出を」

「へぇ……」


 幼馴染という言葉を出すと、敦己が驚いたように目を見開く。

 ああ、そっか。そういえば、ひょんなことから『幼馴染』の話題になったとき、少し語気を荒げてしまった時があったんだっけ。

 あのときは本当に申し訳なかったな。


「明日から村に帰れるから、そんなことを思い出していたんだよ」

「村に……そっか。倭、最近明るい顔になったもんな。色々わだかまりが解けたようでよかったよ」

「ああ、敦己たちには不快な思いをさせちまって本当に申し訳なかった」


 ……転入前の村の話を聞かれたときもオレは不機嫌な顔をしていて、この話をすること自体がタブーになっていた。


「不快だなんて……私は、倭に嫌なことを忘れてほしくてスポーツやバスケ部に誘っていたけれど、あまり力になれなくて申し訳ないくらいだ」

「……そうだったのか。いや、いっつも敦己が話しかけてくれて、1on1とかもやって、楽しかったよ」


 申し訳ないなんて思わなくていい。

 オレはあの村と、日和と向き合うのをやめて、現実から逃げて。此処ではない場所に行きたかった。

 だから、SOOにハマったのだ。

 敦己にどうこうできた問題ではないし、オレは彼女に助けられていた。


「へへ、そっか……って、これじゃ今生の別れみたいになってんな! また二学期も帰ってくるんだろ? 転校とかしないよな!?」

「ああ、しないよ……卒業するまではこっちにいる」


 日和と話し合った結果、そういう話になった。高校までと言い出したのは自分で、頷いたのが彼女……我慢してもらっているのは伝わっているが、オレもしっかりと今の生活に区切りをつけたい。

 ……我慢してもらっている分、明日からはちゃんと想いを直に伝えないとな。


「……へへ、そっか。じゃあそれまでは良い友達でいるよ」

「おいおい、卒業してからも友達だってオレは思ってるんだぞー?」

「……っ! そっか! って、こういうこと言うのもまだ早かったな!」

「ははっ、そうだな!」

「……それじゃ、部活行ってくるから! 良い夏休みを過ごせよー!」

「ああ、そっちもなー!」


 こうして、オレの夏休みが幕を開けた。



「──それでは、第342回、親羽峰村夏祭り! 皆様、お楽しみくださーいっ!!」


 時刻は18時30分。開会式最後のプログラム、村長挨拶。

 日和の元気な挨拶が終わるとともに盛大な拍手に包まれる。

 ……客の面々を見ると、なんだか見たことのある顔が多い。子供の頃は気づかなかったが、政治家やら起業家やらも家族を連れて参加しているようだった。

 ……こんな辺鄙な田舎に? やっぱりこの村はヤバいんだな。


「あっ! 私は隣にいる幼馴染と回っていますが、挨拶などは不要ですっ! 参加者の名簿は控えておりますので!」


 再び日和が喋り出した途端、空気がはち切れん程の拍手がピタリと止む。いや、正確には何名かの子供が拍手を続けていたが、その両親らしき人たちにより無理やり手を止められている。

 ……参加者の名簿を控えている?

 ……そもそも、何故オレまで壇上に立っているのか?


 考えれば怖いことは今でもあるが、村長である日和を支えるのなら見て見ぬフリはできないだろう。これから少しずつ知識を蓄えていけばいい。

 ……それに、昨日の夜オレの写真がビッシリと貼りまくられた部屋で日和に抱きしめられながら寝たことに比べたらまだマシだと思う。

 少しずつ枚数を減らしていこうな。


「それじゃ、行こっか!」

「ああっ!」



「──ふぅ、やっぱり屋内は涼しいねっ!」

「ああ、生き返った気分になるぜ」


 たこ焼きや唐揚げ、焼き鳥などを買った後、公民館の中で食事をすることにした。


「ふー、ふー……はい、あーんっ!」

「ん……美味しい」


 半分に切られたたこ焼きを日和から差し出される。

 周りに人がいるのが気にならないでもないが、浴衣姿もバッチリ似合っている日和にこんな事をされて嬉しい気持ちもあり。

 パクリと口に含んだ。


「えっへへ、じゃあ、次は日和が食べる番っ! たっくさんふーふーしてくれると嬉しいなぁっ!」

「ああ、猫舌だもんな……ふー、ふー、ふー、ふーっ! はい、あーん」

「あーん……うんっ、美味しいっ!」


 モグモグと幸せそうにたこ焼きを咀嚼する日和を見ていると、とてもじゃないが強大な権力を持っているようには見えない。


「……」

「わっくん? ……えへへ」


 オレが手を伸ばすと何かを察したようで頭を下げる日和……背丈は大きくなっても普通の可愛い女の子だ。


「……日和、これ食べたらちょっと行きたい場所があるんだけど」

「んー? わかったぁー! ヒヨリはわっくんとなら何処にでも行くよーっ!」


 セットした髪を乱さないようにソッと撫でながら提案してみる。

 それに対してヒヨリは目を細めながらさも当然のように二つ返事で答えた。

 ……まずはあそこに許可を取りに行かないと。



「──おう、ヒヨリ嬢ちゃんにヤマト坊ちゃん!」

「お久しぶりです。あのときも少し話しましたけど、こうやって落ち着いてお話しするのは久しぶりですね」

「あっはっは! だから敬語なんてやめてくれよヤマト坊ちゃん! 今まで通りでいいっての!」

「いえ、父からも八百屋のおじさんにだけは礼儀正しくするように言われているので……それに」


 豪快に笑う八百屋のおじさんに対して首を横に振る。

 何度も父さんの味方になってくれて、日和のことを助けてくれた恩人にはやはり敬意を表したい……敬語で話さないからって敬意を抱いていないわけではないが。


「はぁー、やっぱり敬語で話すわっくんもカッコいいなぁー……」

「こんな調子なので」

「あっはっはっ! ならしょうがねぇなぁ!」

「おじさんはどうしてこんな離れた場所で出店やって……って、これ、小さい頃も聞いた気がしますね」

「ああ、そうだなっ! 家から近いからだ! それに、冷やしきゅうりの一本漬けなんてわざわざ祭りで食わねえだろ!」

「いやいや、オレはおじさんのところの野菜、祭りでも食べたいですよ! 二本ください」

「はいよー、まいどありー!」


 200円を渡すと串に刺されたちょうどいい塩梅の大きさのきゅうりを二本渡される。

 ……都会のよりも良心的な値段だな。


「……それで、一つお願いがあるんですけど」

「昔も言ったけど、ウチの山なら自由に入ってくれて構わねぇよ……けど、ヒヨリ嬢ちゃんはいいのかい?」

「……うん、わっくんが行きたいって言うなら!」


 おじさんの山の近くで日和の家族は亡くなった……本来なら近づけたくないところだが、それでも。


「……あっはっは、そうかいっ! それじゃ、気をつけて行ってきな!」

「ええ、行ってきます」

「行ってきまーすっ!!」



「──なっつかしいねー! よく二人でカブトムシを捕りまくってたよねっ!」


 その声色はいつも通りの元気な……ように聞こえるが、どこか違和感があって。


「……おじさんのあの口ぶりだと全く訪れてないようだったな」

「……うん。やっぱり、さ」

「そうだよな……っと!!」


 何か黒い物体がこちらに向かって飛んでくる!

 オレは避けようとするが、その物体に大きな角が生えていることに気づいて。

 浴衣の袖でソレをキャッチした。


「わっ!! っはは! わっくんすごーいっ!! 早速一匹目じゃーんっ!」

「ああ……デッケーカブトムシだな」


 カブトムシは袖にしがみついてジッとしている。木だとでも思っているのだろうか? いや、流石にそんなわけないか。


「ヒヨリが捕まえた中で一番大きかったヤツよりも大きいかもねー?」

「それはどうかな……? お前が捕まえたのはもっと大きかったと思うぜ」

「えーっ? それはわっくんの記憶違いなんじゃないのー?」

「……ははっ、それもそうだな」


 記憶に深いあのカブトムシは8cmほど、このカブトムシは7cmいかないくらいで到底及ばないのだが。日和は覚えていなかったようだ。


「……ちなみに日和、カブトムシの数対決で一番オレが多く捕ってたのは」

「ヒヨリが6匹でわっくんが14匹!」

「そっちは覚えてんのな……」

「負けてるんだもんっ! 悔しいから覚えてるよっ!」

「……そっか」


 負けた記憶、悔しかった記憶は詳細に覚えているが、勝った記憶や嬉しい記憶の輪郭は朧げになる……少なくともオレと日和はそうだったようで。

 辛い記憶は脳裏にこびりついて離れないものだ。


「……わっくん? 逃がしちゃっていいの?」

「……ああ」


 オレは浴衣の袖にくっついているカブトムシを持ち上げ、近くの木へと逃す。


「……え、わっ!?」

「……辛い記憶も悲しい記憶もあると思うけど、一緒に幸せな記憶で埋めていこう。薄れるのなら、何度でも重ねて」

「……ん」


 日和の背中に腕を回して、力を込める。

 頭を撫でると、日和もオレの背中に腕を回して。


「高校卒業まで待ってくれるって言ってくれて、ありがとな」

「……うん、日和、たくさん待ったもん。ソレが少し延びるくらいなら、我慢できるよ」

「そうだよな……でも、これからは、離れていても会えるから。会うたびに指輪を見て笑おう」

「……うんっ」


 腕の力を緩め、日和と見つめ合う。


「もちろん、この夏休み中も、幸せな想い出をたっくさん作っていくぞ!」

「うん……っ! んー」

「……。ははっ」


 涙ぐんで頷いた日和が目を閉じて、口をすぼめる。


「……ん」


 日和の涙を拭った後。

 オレは顔を近づけて、その唇に己のソレを重ねた。

 ……ほんのりと酸っぱい味がする。


「……えへへっ」

「ははっ」


 再び見つめ合って笑った後、オレたちは再び抱きしめ合う。

 日和の体温、汗で湿った髪、汗の匂い……それに、唇の感触。

 その全てが幸せな想い出となって。

 オレたちはソレを幾重にも重ねていくのだろう。


「……わっくん」

「……ん?」

「もう一回やって?」

「ああ、もちろん」


 ──村を捨てて日和と向き合わずに逃げた事実は消えないけれど。

 ここからまた、幸せを作っていこう。オレたちは幸せになれる。


 オレはもう、逃げないと決断したから。

 自分の意思で村に帰る。







──────

これにて本作品は完結いたしました。

星、応援、小説のフォロー等励みになっておりました。

ありがとうございました!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

村を捨てVRMMOに没頭したオレを幼馴染は逃してくれなかった〜ヤンデレと化した幼馴染と未知のダンジョン攻略……え? 突破してもしなくても村に連れ戻されるの?〜 未録屋 辰砂 @June63

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ