夕刻の時計塔

加賀倉 創作【書く精】

夕刻の時計塔

——とある二国の国境沿いの町。


 それなりににぎわいのあるその町には、高く大きな、時計塔があった。


 時計塔の外観は、先端が錐形になった四角柱オベリスク。塔自体の材質は、やや黒みがかった赤煉瓦れんが。頂上に近いところにある丸く大きな文字盤は白色をしているが、塔が建てられてから随分と経っているせいか、砂埃すなぼこりでやや黄ばんでいる。


 そして、その時計塔に……


 毎日、悪戯いたずらをはたらく、一人の青年がいた。


 ドレッドヘアーの青年。

 青年はいつも、器用に時計塔によじ登っては、町を見渡し、鳥瞰ちょうかん的に偉ぶる。そしてあろうことか、人々の生活の律動りつどうを支える時計塔の、太く長い針を、無理やり引っ張ったり蹴ったりして動かし、時刻を戻してしまう。


 だが、ただ時計の針が戻るだけ、ではない。


 不思議なことに……


 のだ。


 時が戻ると、町の人々の営みは、無にする。


 苦労して運んだ重い石は、運び直さなければならない。せっかく走って移動したのに、もう一度息を切らさなければならない。皿に盛られていたはずの料理は、食材を切るところから始まり、竿に綺麗に干されていた洗濯物は、バスケットの中でくしゃくしゃ、となるのである。


 青年にとって、困る人々を見て面白がることは、もはや日課になっていた。


 そして人々は、はた迷惑な時計塔の青年のことが……


 大嫌い、だった。




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——ある日の夕刻。


 茜色あかねいろの空には、その上弦じょうげんの月が、南中なんちゅうしている。


 鐘の音。

 時計塔が、一八時の鐘を、ゴーン、ゴーンと鳴らした。それはいつもなら、町の人々が、全ての一日の活動を終えて、巣篭すごもりする合図であるが……


 今日は、違った。


 鐘の音と共に町に到来したのは、家族団欒だんらんの温かみではなく……


 つわものどもの軍靴ぐんかだった。


 あろうことか、隣国の大兵団が、国境沿いのこの町に、奇襲を仕掛けてきたのだ。


 兵どもは、町の人々を、殴り、蹴り、斬り、撃ち、皆殺しにした。


 だが、たった一人……


 例のドレッドヘアーの青年だけは、時計塔に登って身を潜め、兵の爪牙そうがを逃れていた。


 隣国の兵どもは、誰一人として、時計塔と青年の不思議な力の存在を、知らない。


 青年の頭の中には、たった一つの選択肢だけが、浮かんでいた。


「時を、戻すんだ」

 青年は、風なびく塔のきっさきで、そう小さくつぶやいた。

 

 表に出て文字盤をいじくろうとすれば、確実に、兵どもに見つかり、撃たれる。


 青年はそれを承知していたが……


 迷いはない。

 いつもと同じく、背を外側に、蜘蛛くものように時計塔の側壁を移動して、文字盤のそばに辿たどり着く。尖塔せんとうの三角形のの一辺に両手をかけ、赤煉瓦れんがの壁からわずかに伸びた丸い文字盤の厚みに、両足のつま先を、乗せる。左足を宙に浮かせ、大きく後ろへ引く。そして『12』をす長針を目掛けて思い切り…………蹴る!


 ゴン、という鈍い音が、町に響く。


 しかし……


 時計の長針は、『11』と『12』の中ほどくらいまでしか、動かなかった。


 もう一度、同じように蹴りを試みるが……


「おい! 上に一人、残っているぞ!」


 兵の一人に見つかり、鉄砲の集中砲火が、バン、バン、バンと、時計塔の文字盤をまとに、浴びせられる。


 そのせいで、思うように、針を動かすことができない。


「蹴っても、だめだ。あれしか、ない」

 と、青年は、ある覚悟を決めた。


 両手を、ぱあっと、離す。


 青年は文字盤の厚みの上で、両膝を、狭苦しそうに、深く曲げ……


 やや左に傾いた長針めがけて……


 飛んだ。


 青年の両手は、見事、びついた長針を、捕らえた。


 すると、青年の体重によって、長針は、ぐんぐんと下がりだす。


 しかし……


 兵どもによる発砲は、まない。

 

 弾が、一発、二発、三発……何発も、バン、バン、バン、バンと、青年の体を貫く。


「ぐっ! うぅっっ!! あぁあっっっ!!!」


 絶叫。


 しかし青年は……


 いくら体に風穴が開こうと、長針をつかむ手を、決して離さない。


 長針は、少しづつではあるが、確かに、戻っていく。


       『11』


  『10』



『9』

 その間も、青年は、撃たれ続ける。



  『8』


 長針はついに『7』のところで、止まった。


 時刻、一七時三五分。


「へへへ……幸運の、数字だぜ。一八時まで、二五分もあれば……みんな、逃げられる、何か手が打てる」

 そうつぶやく青年だが……


 血まみれだ。


 背後うしろの白かったはずの文字盤の左半分が、時計塔の壁と同じ、赤褐色せきかっしょくに染まっている。


 青年は、ゼェ、ゼェ、ゼェと、激しく息を切らす。

 

 青年の心臓は、壊れた時計の秒針のように、ドク…………ドク………ドク……ドク…ドクと、鼓動を加速させる。


 ついに青年は……


 絶命した。


 それも、時計の針を、しかと握ったまま。


 そして……



((((((時は戻り始める))))))



 兵どもは消え、死者は蘇生そせいする。


 荒らされた町も、綺麗さっぱり、元通りになる。


 しかし唯一、青年だけは……


 時計の針を掴んでぶら下がったまま、息を吹き返さなかった。


 町の人々はその凄惨せいさんたる光景を見て、すぐに警察を呼んだ。


 時計の針にぶら下がった青年の遺体。

 時計塔と青年の、時を戻す不思議な能力。

 時計塔の赤煉瓦の壁にはおびただしい数の銃痕じゅうこん


 誰がどう見ても、隣国の兵どもによる侵略行為であると、説明がついた。


 町には直ちに、国境防衛のための大援軍が駆けつけ、厳戒げんかい態勢が敷かれた。

 

 そして……


 時刻、一八時〇〇分。


 援軍は、隣国の兵どもを、返り討ちにした。


 危機は去った。




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 町の一人が、時計塔の、左半分が血で染まった文字盤を見て、こう言った。


「あの時計塔、丸い文字盤の左半分は赤黒い血に染まってしまったが、右半分は、黄ばんだ白色のままだ。あれはまるで…………暗闇を照らす、上弦じょうげんの月のようだ」



 悪戯好きなドレッドヘアーの青年。


 今となっては彼は……


 上弦の月の英雄。


   〈了〉

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