力強く、されと、怖くなく。

 目を覚ました時には外はうっすらとした闇が見えてきた。

 てっきり陽が落ちたものだと思っていたが、壁に掛けられた時計は4時を示していて、私の意識は突然のことに動揺しながらも素早く目を覚ました。

 布団は温かく包んでくれていた、そして、布団の上から私を抱きしめるように廻された腕があることにすぐに気がつく、背中の布団を挟んで誰かの熱を感じ、それが誰なのかはすぐに理解することができた。

 ほのかに漂う汗の香りがあの時と似ていた。

 廻された腕は私の手を掴んで話すことのなかったあの手だ。

寝息も聞こえる、規則正しく、ときよりそれを逸脱し、再び戻る、しっかりと寝入っている証しだ。その手に向かって自らの手を伸ばして触れてみる、手の平から指へと触れてゆくと、やがてその手を掴まれ指を絡め合いながら優しくされどしっかりと結びついてゆく。

 少し解けた寝息は再び元へと戻った。温かさは変わらない。

この温もりを感じていると覚醒した意識が不思議と眠気を帯びてくるのが分かった。睡魔に流されるままに再び眠ろうと目を閉じると、しばらくして声が聞こえてきた。


「かすみ」

「はぃ……」

「俺の彼女になってくれないか?」

「な、なんで…」

「彼女になってほしい」

「こんな…」

「かすみ」

「……うん」


 唐突な告白が聞こえて私は小さく驚きながら声を上げた。

 どんなことをされたどんな人間かなんて昨日の姿を見ていれば分かることなのに、洋君は再び優しい声で求めてくる。

 再び何かを尋ねようとして、名前を呼ばれたとき、私は小さく頷きながら同意した。

 理由なんていらない、ただ、もうそうするべきだと、心が叫ぶ。

 私の名を呼ぶ声の中にいくつもの想いが混ざり込んでいたのを感じたからだ。

 説明される理由さえ不必要なほど、真意を秘めた偽りのないものと確信を得ることができるほどに。


「ありがとう、おやすみ」

「うん、おやすみ」


 激しく高揚した気持ちも、脈打つ鼓動も、熱い意思の疎通もない。ランプの中で揺れる火が静かに灯り続けるような告白を受け入れ眠りへとついた。

 やがて本当の朝を迎えた。

 時計は8時を示していて、外では車の音やスズメが可愛らしく鳴く声が聞こえる。

 背中の感触と手の温もりは消えていて部屋で眠っていたようだった。上半身を起こして隣を見る、捲り上がった布団に視線を這わせて足元まで辿ると、確かに誰かが寝ていた跡があった。

 どうやら夢ではなかったようだ。

 あの唐突な出来事と唐突な抱擁そして唐突な告白も。


「かすみ、入るよ」

「……うん」


 私の聞こえないほどにか細い声にも洋君は聞き取って返事をした、そして襖が開くと手には私の制服をハンガーに吊るして持っていた。


「あ、ありがとう」

「近くにかけておく」

「お願いします」


 そう言って頷いてからふと枕の先、布団から手を伸ばせば届きそうなところにスケッチブックが置かれていることに気がついた。

 その黄色と黒の表紙に魅かれるように私は素直に手を伸ばし、手元まで持ってくるとゆっくりと開く。


「私……」


 そこに描かれていたのは眠る私の姿だった。

 穏やかな自分の寝顔、私でないかのように思えてしまうほどの繊細に描かれた表情に、恥ずかしさすら忘れてしまうほどに、真剣に向き合って描かれている。


「僕の趣味だよ、気高い女を描くのが趣味なんだ」


 優しすぎるほどの穏やかな声が私の耳元で聞こえた。いつの間にか洋君が私の後ろにいて一緒にその絵を眺めていた。


「気高い女……私が?」

「うん、かすみは今まで出会ったなかで一番気高く、そして綺麗な女だよ」

「私は……」

「違うって言いたいんだろ、でも誰がなんと言おうと僕はそう思う」


 言われたこともない言葉だった。

 いままで怯えて過ごしていただけだというのに、彼はソレを気高いと言った。


「僕はそんな女が汚されるのが大っ嫌いだ。かすみほどの女が粗末に扱われて、酷いことをされるのは許せなかった」


 スケッチブックのページを捲りながらそこに書かれた私を数ページほど見つめた洋君は、私へと視線を映す。私は視線を落としたまま絵を見つめた。

どの構図も私が布団で寝ている寝顔ばかりだった。


「これを見てもそうだと言える?」


 私はオレンジ色のパジャマのボタンを一つ一つ外してゆく、そこに恥ずかしさは無かった。ただ気高いと言われている気がした。傷跡の見えない私の身体をした私の寝顔を見て、そう、言っているのだと、最後の抵抗をする。

 認めてしまえば、きっと私は1人では立っていられなくなる。

 そんな気がした。そして、こうも考えた。

 認めさせて欲しい、そして1人で立つことを止めて、と。

 ぱさりと布団の上にパジャマの上衣は落ちた。

 古い傷跡と新しい傷跡が刻まれた皮膚を纏った私を窓から差し込んだ光が照らしている。二つの乳房に日の光が当たりそして真一文字の傷にも光が射す。後ろからそれを見ていた洋君は立ち上がると私の正面へと腰をしっかりと落ち着けるように正座した。

 そして私の身体に手を伸ばして、首筋から指を這わせてゆく、一つ一つを撫でるように、一つ一つを描くように、指先は私の身体を捉えていく。

 真一文字の傷も、乳房の形も、乳頭も、乳房の下の傷も、開腹の跡も。

 正面のすべてを指先で刻んだ洋君が立ち上がって背中側へと回った。そして、同じように指を這わせて、私の上半身のすべてを捉えた。


「かすみ、自信を持って言えるよ」


 洋君はそう言って私の落としたパジャマの上衣を羽織らせた。

 私は袖を通しボタンを先ほどと同じように一つ一つ指先に捕らえて掛けてゆく。

 もう、一人では立っていられなかった。

 そのまま後ろへと倒れてゆく。

 洋君は優しく受け止めてその両腕で後ろからしっかりと抱きしめてくる、両手が交わり私の左右の乳房を手が包み込んだ。右手が左乳房を、左手が右乳房を、そしてすべてを包むように体を密着させ合う。

 互いの心臓の鼓動が体の中で鳴動するほどに。


「描いてくれる」

「どう、描いたらいい?」

「すべてを、見たままに」


 温かさは離れて行き、やがて、洋君の姿が目の前へと足を崩して座る、手にしていたスケッチブックを差し出して、受け取った洋君は中に挟まった鉛筆を手に持った。

 上衣を再び布団の上に落とし私もしっかりと座り直した。


 かり、かりかり、かり……。


 鉛筆がスケッチブックの上を駆けてゆく。二つの瞳が私を真剣に見つめて、それがとても心地よい。

 私が私で良い場所を、私が私で居られる場所を、私はようやく見つけたのだった。


 

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我を描く 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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