中編
「戻ってきたのね、レイちゃん」
エマリーの言葉が、まるで試すように響いた。凍は一瞬、皮肉たっぷりのその声に怒りを覚えたが、それをすぐに飲み込み、無言で彼女を見返した。もう、エマリーに何を言われても、感情を乱されるつもりはない。ここにいるのは、ただ敵としてのエマリー。そして、彼女の冷酷さに揺るがない自分自身だ。
凍はそのまま何も答えず、冷たい眼差しでエマリーを見据えながら、椅子に静かに腰を下ろした。テーブルの上には、これから戦うためのチップが規則的に並べられ、待機しているカードデッキが薄暗いランプの光を受けて、鈍く輝いていた。
エマリーはそんな凍の無言の決意に少しだけ興味を引かれたように、薄く笑みを浮かべた。
「随分と冷静なのね。でも……今回は少しでも自信があるのかしら?」
挑発じみたエマリーの言葉を受け流すように、凍はただ黙って視線をカードに移した。心の中で「絶対に負けない」と自分に言い聞かせながら、冷たい覚悟を決して揺るがせまいと固める。いかなる手が回ってきても、いかなる策を講じられようとも、彼女はもはや二度と、エマリーの術中に陥るつもりはなかった。
エマリーがデッキを取り出し、ゆっくりとカードをシャッフルし始める。まるで長年その手に馴染んでいるかのような熟練の動きで、デッキの束が滑らかに切り分けられ、組み直されていく。その手つきを見ながら、凍はこのゲームの不気味さが際立つように感じていた。テーブルに並べられたチップとカードのデッキが、これから再び彼女から何かを奪おうと待ち構えているかのように見える。
しばらくの間、張り詰めた静寂が続いた。冷ややかなエマリーの笑みが、テーブルの上に漂う緊張感をさらに高める。凍はただじっと息を潜め、エマリーがカードを配るのを待った。今この瞬間にも、心の中では「何があっても、負けるわけにはいかない」と強く自分に言い聞かせている。
静まり返った部屋には、エマリーがゆっくりとカードをシャッフルする音だけが響き渡り、凍はその音に耳を澄ませながら、ゆっくり静止するようにエマリーに向かって手を伸ばす。
「どうしたんだい? もしかして、怖気づいてしまったのかいぃ?」
エマリーは凍の表情を舐め回すように見ながら、下卑た笑みを浮かべていた。
凍はそんなエマリーの視線から目を離すこと無く、逆にその顔を睨みつけて、冷静に口を開いた。
「ルールに追加してほしいことがあるわ」
その意外な申し出に、エマリーは少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐに表情を戻し凍を値踏みするような顔を浮かべる。
「ふふ……面白いじゃないか。あんたからそんな提案があるなんて。で、どんなルールを追加したいの?」
エマリーの問いに、凍は冷静な表情を崩さないまま、次に言うべき言葉を慎重に選んでいた。
「追加してほしいルールは二つよ」
エマリーの興味を引くように間を置いた後、凍は淡々と、しかし決然とした声で続けた。
「一つ目は、もしイカサマが発覚した場合、その者には罰則としてチップを没収。そうね、その時点で場に出ていたチップ分ってところかしら。そして二つ目は、カードを配る役を、毎試合毎に交代すること。この二つよ」
その提案を聞いたエマリーは、少し怪訝な顔をするとすぐに興味深げに唇の端を上げた。凍の例せな提案が、エマリーにとっても予想外で、面白いものだったからだ。
何やら策を巡らせてきたようだったが、エマリーはそれら全てが無駄になることを知っていた。なぜなら凍は『エリーゼ』の一端すら理解できていないからだ。
しかしそれも当たり前のことだ。誰が神や悪魔の存在を信じるだろう。悪魔が右腕を持っていったと、言ったとて、凍は信じるだろうか。否、信じないだろう。それほどまでに荒唐無稽なことが、今この場所で起こっているのだ。
エリーゼという悪魔がいた。世界を破壊するような力も、人を操り陥れる悪意も無かった。ただひたすら数だけが多く、そしてその多くが暇人だった。エリーゼのうちの一匹がある時、人間同士を戦わせて暇を潰そうと考えた。しかしエリーゼには人々を扇動するような能力も操れるような力もなかった。そのため、自分の出来うる範囲で、成約を作り出した。
各々、自身の大切なものを賭け、どんなルールでも良いので勝負し、勝者には益を、敗者はその大切なものを失わせるという成約を作り上げた。その結果として、エリーゼは勝負の空間内に限り、絶大な力を持つようになった。
その「遊び」がエリーゼたちの中で大流行し、今となっては世界中にエリーゼはいる。そしてエリーゼの存在を知っているか心のそこから信じる人間が勝負の場を整え「エリーゼのために」と唱えると、エリーゼはやってくるのだ。
これが、凍が右腕の感覚を失った理由、そして凍がどうやってもエマリーに勝てない原因だ。
三体一の人数差がある状況でさらに情報戦ですら押されている凍が、これ以上何かをしてくるイメージがわかなかった。
このままジリジリと負け続け、五体が満足に動かなくなるまで絞りきってやろうとエマリーは心中ほくそ笑んでいた。
唯一の不安と言っても良かったのは、凍とヴィオラが蟠りを解いて、二人で協力する展開。その場合、情報戦でも、人数差すらなくなってしまうので、その場合面倒くさいことになると思っていたが、どうやら凍はヴィオラのことを拒絶してしまったらしい。
自身の勝ちが盤石なものとなったことに歓喜しながらエマリーは、この大魚を逃さないように、しっかり釣り上げないと本腰を入れる。
次は、左腕、そして右足左足と、一つずつ奪う。そのたびに夫が油田を見つけるのだと思うと、興奮が収まらなかった。
凍の提示したルールを了承し、エマリーは最初のディーラーを務めんとデッキに手を伸ばすと、パシンといった乾いた音と共に、手の甲に痛みを感じた。それは凍がデッキを掴みにかかるエマリーの手を払った音だった。
「最初は私からで、いいでしょ?」
凍の冷静な声が耳に届き、エマリーは悔しさを胸に飲み込んだ。冷静を装いながらも、その瞬間だけ唇を引き締める。
エマリーは凍の行動に内心で深く警戒を抱いた。しかしその警戒を見せないように努めて、緩やかに笑う。
「好きにするといいさ、どうせわたし達にゃ勝てないからね」
エマリーも三人で戦うことを隠しはせず、全面戦争の構えを取った。彼女の視線は、凍の手でシャッフルされるトランプをじっと見据え、次の一手を狙う、狙撃手のスコープが反射するように、光を宿していた。
新ルールは、イカサマの禁止(発覚した場合その時点で場に出ていたチップ額を払う)それとディーラーの交代、そしてそれに伴い第一ベッドもディーラー役のプレイヤーが行うことになった。
凍がカードをシャッフルし終え、全員に五枚ずつカードを配る。エマリーの手元にも。特に細工のされた気配はない。先ほどと同じように、このトランプがプラチナのように輝いて見えた。
自分の手札を確認しながら、エマリーはその内容に小さく唇を歪めた。目の前にはハートのJと10、クラブの9、スペードの4、そしてダイヤの3。役には少し足りないが、ストレートが狙える手配だった。
エマリーは、ジャンに目をやると、ストレートを作れるニ枚がその手の中にあるかを確認する。その行為は凍の方から見ても明らかな意思疎通の様子が見て取れたが、目を合わせ顔を触っていただけのことと言い逃れられるのは分かりきっていたので、スルーするようだった。エマリーもそうだろうと当たりをつけての行動だった。
ジャンは小さくうなづいて手札の中に数字の「3」と「9」があることをエマリーへ伝える。
その時点でエマリーは強く張ることを決めていた。あとは、凍がどうBETしてくるか。
最低BETの十枚なら、降りられないように十から十五枚でもいいかもしれないと思ったが、エマリーの思考を止める台詞が、凍から飛び出してきた。
「降ります」
そう言って、凍は手札を公開する。役はブタだった。しかし345の数字の連なりと、5枚中ハートが3枚。交換次第ではフラッシュやストレートが狙える勝負できそうな手札だった。
そんな手札を、ブタだからという理由で降りた。エマリーは今までのゲームで培ってきた超人的な嗅覚で、凍の怯えを嗅ぎ取った。もちろん、これが凍の演技という可能性もある。なので次のゲームで試してみることにした。
次のディーラー役はジャン。それはどうでもいい。大事なのは凍より先にBET権利があるということ。エマリーはジャンに凍の手札にスリーカードを送るようにさり気なくなく伝える。今度はバレないように。
そうした上で、エマリーはBET時、初手で破格の五十枚BETをする。
凍の表情が引き攣った。確実に怯えているのが見て取れる。
凍の手には5のスリーカード。そしてペアになっていないあまりのニ枚が存在する。
スリーカードは普通のポーカーであればそこまで怯える必要のない役。しかし今回はエマリーとジャンが合図を出し合っているのは明白。エマリーには言ってしまえば8枚の手札があることと同義なのだ。そんな相手と、スリーカードだけで戦うというのは些か不安が残るものだろう。
凍は、一度だけ最少額をBETし、交換して。次のターンに降りた。これ以上ついてくる強気な気持ちが足りなかったのだろう。
凍の降りに対し、ジャンとヴィオラも降りる。
「ふはは、どうしたんだい? そんな弱気じゃ、勝てるゲームも勝てないよ」
そう言いながら、エマリーはブタの手札を公開して、散らばるチップとトランプをかき集めた。
凍の表情が、みるみる内に凍っていく。確実に凍の心の奥底から凍らせることに成功したと、エマリーは内心ほくそ笑む。
「さぁ、次のゲームにいこうかねぇ」
エマリーがシャッフルする。それだけの音が部屋に響いていた。凍は蹲って、もはや戦意喪失しているようだった。
凍の戦意は、三回戦、蘇る気配はなかった。
エマリーは自分の手札にクラブのフラッシュをイカサマで用意していたのだが、徒労に終わったと少しがっかりとする。
もうすでに目の前の獣からは牙が抜けきっている。そんな相手と命の賭け合いをしても面白くないと思ったのだ。ここで終わらせるつもりで、完璧に勝ちに行くことにした。
エマリー、ジャンは共にイカサマの腕を磨いたりしているわけではない。出来ることといえば、前回の勝負で使ったカードの何枚かを意図的に任意の誰かに配れるぐらいだ。それだけで、もっと言えばそんなことをしなくても勝てるからだ。
エマリー達が行うポーカーのカードの交換には正式な手順など無く順番もバラバラ、深く考えてカードを渡すときもあれば簡単にカードを渡すときもある。受け取り側も、願いを込めながらゆっくりカードを受け取るときもあれば、あっさりと受け取るときもある。
つまりカード交換のほんの少しだけのラグは誤差の範疇として流される。
エマリーは合図を出し、ジャンに凍から何のカードがやって来たかを聞く。ジャンの答えは「クローバーの5」。それを受けてエマリーは、ヴィオラに指示を出し、先ほど捨てたカードと別の記号と同じ数字で、凍にとっては不要であろう「ダイヤの5」を渡す。
「じゃあBETしましょうかね」
エマリーは常に五十枚BETしていた。これで凍が降りれば勝ち、降りずとも交換カードを自由に出来て限りなく不要なカードを押し付けられるエマリーはとてつもない不幸でもない限り、ほぼ勝ち確定の状態なのだから、オールインしてもいいぐらいだった。
そんなエマリーの余裕を砕くかのように、凍は声を張り上げる。
「五十枚、BETします」
凍が、突然五十枚の大勝負に出た。
「おっと、大勝負に出たねぇ……」
エマリーは不敵な笑みを崩さないまま、凍の勝負の理由を考えていた。もちろん、交換するまでもなく強力な役が揃っていたという可能性もある。
しかしその場合、強制的に交換させられたため五枚揃っての役フルハウスやストレート、フラッシュなどではあり得ない。役が出来ていたとしても、フォーカードまたはストレートになるはず。それなら、フォーカードが負けることはない。たとえこのまま手札を公開して勝負をすることになっても負けることはない。
「ん~、怖いねぇ……」
そのまま、カードの交換が開始される。
ジャンが受け取ったカードは「クローバーの4」、先ほどと同じクローバーだった。エマリーは嫌な予感を感じ取った。なぜ、「クローバーの4」を先に交換しなかったのか。不要なカードが4、5とあるのなら、少しでも打点の高い5を残し、先に4を交換するはずだ。しかしそれをしなかったということは、4は手の中で浮いてない状態で、4のほうが重要度の高い手だったということだ。
きっと凍の最初の手札は「4」「4」「5」「?」「?」で、運が良ければフルハウスまで手が伸びたのだろうが、良くてツーペア止まりだろう。
そこからクローバーの5を捨て、ダイヤの5を手にした。そして今クローバーの4を捨てたということは今の凍の手札は「4」「5」「?」「?」「これから渡すカード」ということになる。あり得る展開としては4、5が絡んだストレート。この成就を止めるには4、5のどちらかを渡してやればいい。ヴィオラがちょうど良くスペードの4を持っていたので、エマリーはGOサインを出す。
四人の間をトランプが行き交う。敗北確定のカードが、凍の下へ行く。その興奮は、ピンの抜いた手榴弾をそっと手渡すような気分だった。
「じゃぁ、最後のBETタイムに入ろうか! とはいえ……うーん、どうしようかねぇ、ちょっと十枚に戻そうかね」
エマリーはチップを五十枚から十枚に減らす。自身の手を安手だと、凍のワンペアでも勝てるかもしれないという希望を見せつける。そうすれば、背水の陣で向かってくる凍は、驚くほど単純に、
「オールインします」
全てのチップを場に吐き出す。その瞬間、エマリーの表情から余裕が無くなっていった。冷静に、冷徹にギャンブラーに徹していたエマリーだったが、その腐った性根を全面に、凍の破滅をもう一度見たいという感情が強く現れていた。
「じゃあ、オープンしようかねぇ、レイちゃんが負ける瞬間を拝むためにぃ!」
エマリーは感情を隠すことをやめ、勝利の瞬間が訪れるのを今か今かと歓喜の中、待っていた。
ヴィオラ、ジャンはそれぞれワンペア、ツーペア、そしてエマリーはクラブのフラッシュ。
「さぁ、見せてみなよ、レイちゃんの最後の手札を――」
凍の手札が、そっと倒される。
瞬間、エマリーは雷に打たれたかのような衝撃に襲われ、自身の目を疑った。
凍の手札はなんとダイヤ、スペード、ハートの5とスペード、ハートの4
エマリーの凍の手札予想図は、初期「クローバーの4」「ハートの4」「クローバーの5」「6」「7」の五枚。そこから「クローバーの5」を捨て「ダイヤの5」が入る
交換一回目の凍の手札は「クローバーの4」「ハートの4」「ダイヤの5」「6」「7」となって、ニ回目の交換でストレート狙いに舵を切った凍を、エマリーが射程に収めた結果、最終的な手札は「スペードの4」「ハートの4」「ダイヤの5」「6」「7」となる筈だった。しかし、目の前の現実は、開かれた手札はその想像を遥かに超えたものになっていた。
開かれた手札は「ダイヤの5」「スペードの5」「ハートの5」「スペードの4」「ハートの4」のフルハウス。
エマリーのフラッシュを斃す、一つ上の役。
その理解出来ない現実に、エマリーは目を見開きながらカードを見る。
スペードの4と、ハートの4は計算内だった。しかし5のスリーカードはなぜここにあるのか。血管が千切れそうになりながらもエマリーは、イカサマという推論に思い至り、凍を睨みつける。
「イカサマなんてしてないわ、そもそも現場を押さえられたわけでもないし、どうこういう権利はないわよね」
エマリーの無言の抗議を、そう言って否定する凍。今までの仕返しと言わんばかりに、エマリーのことを煽るように両の手を空中で泳がせる。
「私はただ、最初からあったスリーカードを捨ててでも、アナタのチップをできるだけ多く吐き出させたかっただけ」
本当の凍の手札は「スペードの5」「クローバーの5」「ハートの5」「クローバーの4」「ハートの4」フルハウスが出来上がっていたのだ。
しかし、このままではこのフルハウスは成就せず、それどころか重要なカードを抑えられ負けてしまう可能性が高かった。
そこで凍は前回のゲームを思い出す。今自分の手札に入ってきたカードは全て前回の試合で使われた種類だったのだ。エマリー達がイカサマをする都合、余ったカードが全て他のプレイヤーの下へいくようだった。
となると、他三人のどこかに、前回使われたダイヤの5が眠っている可能性は高く、4のトランプもどこかに眠っている気がした。そこから、凍は心の中で深呼吸して、手札を演じる。ワンペアのフルハウス狙いから、ストレート狙いへ切り替えるような演技をしようと決めた。
身体の芯から震え上がりそうなのをこらえて、助かるかもしれないスリーカードを破棄した。そして引き入れてくる「ダイヤの5」。それを引き入れた時は大声で叫びたくなった。
しかしそれを抑え、「クローバーの4」を出し「スペードの4」を引き入れフルハウスを完成させたのだ。
「これで、アナタの残りチップは二十枚」
一度の試合に賭けるチップは降りなければ最低三十枚。そうでなくても、このままエマリーが降り続ければ、二百枚近いチップを持っている凍はヴィオラやジャンには負けないだろう。
つまり次、エマリーがチップを賭け始めた勝負が――
「最後の勝負になるわね」
凍は、この極寒の雪山に吹雪く雪の結晶より凍った表情でそう言った。
エリーゼとかいう悪魔に供物を7つ与えれば不老不死にしてもらえるらしい @kuhanani
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