第1話 赤い稲妻 ― 猫の棲む町①

 ―― また、この夢だ


 と、夢の中で夢を見ていることに気付くビット。


 あの夜から繰り返し見続ける夢。


 そこは延々と広がる暗い空間だった。

 

 光源が存在しないにもかかわらず、不思議と見通しの利く奇妙な場所だった。


 目の前に暗い湖があり、彼はその水際でうずくまるように屈んでいる。


 静かな水面みなもは果てしなく広がり、水平線が作る境界が僅かに光っていた。


 波も無ければ音もない静謐せいひつの空間に浸るように存在する自分を客観視しながらも、お決まりのシナリオ通りに体は勝手に動く。眼前の暗い湖面に両手を入れてすくい上げる。冷たいとも、温かいとも感じない、手の平に見る液体は無色透明の只の水だった。

 掬い上げた水は手の平の隙間から流れ出て、消えていくその様子をじっと眺めている。空っぽになると再び湖に手を入れて温度のない水をまた掬い上げる。


 それを何度も繰り返す。


 そんな無意味な行動を重ねる彼の背後には、大勢の人の気配が蠢いている。


 彼にはその気配の一人一人に覚えがあり、それぞれが放つ視線を背中で感じていた。


 視線に込められた想いはどんなものだろか、と彼はいつも考えている。


 ―― 嘆いているのだろうか

 ―― 憤っているのだろうか

 ―― あわれんでいるのだろうか

 ―― 恥じているのだろうか


 ―― 愚かな自分を

 ―― 未熟な自分を

 ―― 弱い自分を


 ―― そうであるにも拘わらず、無様に生き残ってしまった自分を


 ―― うらめしく思っているのだろうか


 そんな思考を巡らせる中、息遣いが分かる程の間近に迫る一人の気配に彼は気付く。


 身の毛がよだつまでに、この気配を誰よりも知っていた。


 幼馴染だった。


 親友だった。


 そして、恋人だった。


 誰よりも愛していた。


 ―― マリア


 守ることが出来ず、両目をえぐられ死んだ最愛の人。


 背後に立つ彼女は空っぽの眼窩がんかに闇を宿し、血の涙を流しながら自分を見ているのだと、そうビットは思っている。


 振り向くことができず固まる彼の肩を、彼女がぐっと掴んだ次の瞬間、湧き上がる名状しがたい恐怖に飲まれて ―― 彼は身を震わせて目を覚ます。


「―― はっ!」


 弾かれたように、ビットは瞼を開いた。

 ドクドクと心臓が早鐘を打ち、全身は冷や汗で濡れている。

 目の前では栗毛色の少年が彼の肩を掴んで揺すっていた。


「ビット。着いたよ…………大丈夫?」


 TRIGGERトリガーによる体力の消耗と疲労から、いつの間にか眠ってしまっていたビット。悪夢にうなされていた彼を気遣うチビは、おっかなびっくり顔色をうかがうような、少し怯えの見える表情をしていた。


 部隊章の話をしただけであんなにも怒り猛るビットの行動が全く理解できないチビは、話し掛けても良いのだろうかと色々と迷い悩んだ挙句の果てに、到着しても目を覚まさない眠りこけた男を起こしたのだった。


 冷静に考えれば、少年は単に見たというだけで何かを知る訳でもない ―― 目の前にいる何の非もない子供を怖がらせ、追い詰めてしまっていたことに気付いたビットは、被っていたフードを脱ぎ、伏し目がちの瞳を見つめながら小さな頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「起こしてくれてありがとよ、チビ」

 

 その言葉から自分の取った行動が正しかったと考える少年は、溌剌はつらつな明るさを取り戻し「みんなもう降りてるよ、おいら達も早く行こうよ」と、男を車の外へと促した。促されるまま立ち上がり、ボックスカーの後の扉から外に向かうビット。出ると同時に四角く切り取られていた視界が一気に広がり、増した明るさが暗闇に順応していた目に過剰な刺激を与えて眩しさを覚える。


 手をかざして見る景色は、あやしい看板の付いたビルがひしめいて建ち並ぶ、欲の渦巻く歓楽街と呼ぶに相応ふさわしい様相だった。


「ようこそ。猫の町へ」


 と、先に降りてビットを待っていた猫人びょうじんのニャオが、触毛ひげを摘まむように撫で付けながら軽やかに言った。

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