没落令嬢と見習い魔術師

ヴィルヘルミナ

没落令嬢と見習い魔術師

 青い空には赤と緑の月。小さな白い太陽が夏の輝きを放っている。森の中の小さなレンガ造りの家は、まるでお伽話に出てくる魔女の家。初めて見た時には、おどろおどろしい雰囲気で近寄りがたい場所だった。私がここで暮らすようになって一年で、見違えるように可愛らしい雰囲気へ変わっていた。


 木で出来た物干しに、洗い立てのシーツが爽やかな風を受けてはためく光景は、まるで踊っているようで楽しい。大物の洗濯をやり遂げた満足感に浸っていると、家の中から階段を駆け下りてくる足音がして、扉が音を立てて開かれた。


「お嬢様! シーツの洗濯は僕の担当ですよ!」

 慌てて起きてきたのか、シャツのボタンはズレていて、茶色のズボンの下は裸足。慌てて乱れた姿でも、白金の髪と赤い瞳の主は色気ダダ洩れ。私よりも綺麗な顔立ちで、すらりと背が高い。


 昨日、とても疲れた顔をしていたから、休みの今朝は起こさずにいた。


「おはよう、ケフィン。私はもう、お嬢様ではなくて、ただのアレッタよ」

 お嬢様という身分だったのは、一年前の十六歳の時まで。伯爵家は両親の散財と賭け事で没落し、爵位も領地もすべて親族に取られた。両親は借金取りに追われ、一人娘の私を置いて逃げた。


 人買いに売られる直前だった私を助けてくれたのは、幼馴染の見習い魔術師ケフィン。巨額の借金も肩代わりしてくれて、そのお金をどう工面したのかは、今も教えてくれずにいる。


「ケフィン。私を甘やかさなくていいのよ。私はシーツも洗えるようになったの。ほら、とっても綺麗でしょ?」

 家事というものを一切知らず、何もできなかった私は、ケフィンや村の女性たちに教わって、この一年間でやっと人並程度にこなせるようになっていた。


「僕は、お嬢さ……アレッタに重労働させたくないんです」

「私は働きたいのよ。お願いだから私のワガママを聞いて」

「アレッタは刺繍で稼いでいるじゃないですか。それで十分です」


 使用人が何でもしてくれる貴族の娘と違って、平民の生活は朝から晩まで働き詰め。晴れた日には家の裏にある畑に水をやって雑草を抜き、鶏の世話をして、雨の日には家の中で縫物をする。貴族令嬢のたしなみとして幼い頃から習い覚えた刺繍はとても役に立っていて、手巾や袋に花や木の実の模様を刺繍するだけで、近くの街で飛ぶように売れている。


「朝食にしましょう。あとは卵を焼くだけよ」

「はい……いただきます……」

 早起きして、朝食もしっかりと用意してある。久しぶりのケフィンの休みなのだから、しっかりと休んで欲しい。ほにゃりと笑うケフィンは可愛くて、嬉しくなる。


 ケフィンは、ほぼ毎日、村の外れにある師匠の魔術師の家へと通って勉強している。朝食後に家を出て、夕方に帰ってきてから私の家事を手伝って、夕食後は分厚い本を読む。私は本を読むケフィンの隣で刺繍をする穏やかな時間がとても気に入っていた。


      ◆


 秋の収穫祭の翌々日、私たちは村長に呼び出された。村の中央にある広場に百名程の村人全員が集められ、滅多に外に出ないケフィンの師匠まで姿を見せていた。


「先日、この村を領地にしていた子爵が亡くなられた。相続した親族が、この村を売りに出すそうだ」

 いつもは穏やかな村長が、厳しい表情で声を上げた。


「これまでは、子爵の厚意で税が低く抑えられていた。誰に売られるかわからないが、税が大幅に上がる可能性がある。これまで村で蓄えてきた金で補填しても、おそらく数年しかもたない。各自で備えて欲しい」


 王都から遠く、辺鄙な村は子爵家の領地からも離れて飛び地となっており、相続する親族は管理する手間を無くしたいらしい。説明を聞いていた村人たちが、不安で騒めく。森に囲まれた村は大した産業もなく、作物の収穫量も低い。税を上げられたら、生活が苦しくなることは誰もが簡単に想像できた。


「売りに出した金額はわかるかね?」

 静かな声を発したのは、ケフィンの師匠。黒い魔術師のローブを着た老人は、白く長いあごひげを蓄えていて、その声はその場にいた村人たちの不安を鎮める効果があった。


 村長がその金額を告げると、村人たちが再び騒めく。

「その金額ならワシが用意する。あとは爵位を持つ者だが……」

「あ、あの! 私、爵位を用意できます!」

 私はたまらず叫んだ。この国での領地の売買は、爵位を持つ貴族同士でしか認められないと知っている。


 私は爵位を一つ持っていた。昔、王妃様が無くした指輪を見つけ出した褒賞。ただ、その爵位を受け取る為には、私が結婚する必要がある。


「そうか。ならば問題はないな。ワシが交渉の手紙を出そう」

 師匠は穏やかに微笑み、村長も村人も安堵の息を吐いた。


      ◆


 家に帰ると同時に、私はケフィンに詰め寄った。

「お願いケフィン! 私と結婚して!」

「ええっ? あ? は、はいっ! ……お嬢さ……アレッタ、僕でいいんですか?」


「ケフィンでないと、こんなこと頼めないもの! すぐに離縁していいから!」

「離縁は嫌ですっ! で、何故いきなり結婚なんですか?」

「私が爵位を受け取る為には、誰かと結婚するという条件が付けられているの」

 国王から約束されているのは一代限りの男爵位。付属する領地はなく、国庫から毎年恩賞を受け取れるようになっている。私が生きている間の暫定処置でも、その間に新たな領主を探せばいい。


「……ごめんなさい。またケフィンに頼ることになるわね……」

「僕の方はご心配なく。アレッタと結婚できるなんて、嬉しいです。夢のようです」

 ほわほわとした笑顔のケフィンを見ていると、嬉しくなって頬が緩む。


「それでは、王都へ行く準備をしましょうか」

「ええ。……そうだ……ドレスが……村長の奥様に借りることはできるかしら……」

 王城の中へ入るには、服装規定がある。私のドレスは一枚も持ち出せなかったから、あの日に着ていたワンピースだけがクローゼットの奥に仕舞われている。村長夫妻は数年に一度、王城での園遊会に招かれると言っていた。


「王都で調達すれば良いですよ。腕の良い仕立て屋を知っていますから、二、三日で仕立ててくれます」

「でも……」

「結婚祝いに僕が用意します。アレッタは、体調を整えるだけで十分です。僕に任せて下さい」

 頬を赤くしていてもケフィンの笑顔が頼もしくて、私はどきどきする胸を押さえながら頷いた。


      ◆


 遠く離れた王都へは、ケフィンの師匠が転移魔法で送り届けてくれた。馬車で十四日以上掛かる距離なのに、瞬き一つで王都へ到着。転移魔法は、魔力を持つ王族ですら使えない難しい魔法らしい。


 貴族の間でも有名な高級宿に泊まり買い物を楽しんでいる三日間で、仕立て屋は私の希望以上の美しいドレスとデイ・ドレスを完成させた。


「緊張するわね……」

 日中の謁見となり、久しぶりに着るシルクのデイ・ドレスは、私が好きな淡いローズピンク色。隣に立つケフィンは全身黒の貴族服で、胸元にドレスの共布で作られた薔薇のコサージュを飾っている。ケフィンも緊張しているのか言葉少なく、淡い微笑みが凛々しくも美しい。


 宿から馬車で王城へと入り、時間までを庭園で過ごしていると、すれ違う貴族女性たちの視線はケフィンに集中している。

「……ケフィン。視線が痛いという言葉を、私、初めて感じているわ」

 とげとげしい視線は、文学的表現だと思っていたのに、本当に痛いと思う。


「アレッタ。貴女が望むのなら、視線の主を消しますよ」

「ケフィン! それはダメよ」

 何を突然言い出すのか。静かでもよく通るケフィンの声は、周囲の人々にも聞こえてしまっただろう。慌てて微笑みの会釈をしながら、ケフィンの手を引いてその場から逃げた。


     ◆


 この国での貴族の結婚は、国王が見守る前で、神官立ち合いで婚姻契約書を交わすことが決まりになっている。その後は神殿で華々しく結婚式を行ったりする者もいる。


 名前を書類に書くだけの婚姻契約はあっという間に終わり、私と、そしてケフィンも爵位を受けて宿に戻った。


「ケフィンも爵位を持っていたのね」

 しかも伯爵位。私と同じく、領地はなくて毎年の恩賞が付いている。

「実は侯爵位の権利もあるのですが、そちらを受爵してしまうと広い領地が付いてきてしまうので」

 領地があると収入が増えても、義務が大幅に増える。侯爵となれば、領地に館を建て、王都に屋敷が必要になる。


「村に館を建てるのは難しいですが、王都に屋敷を建てましょうか」

「王都に? 必要ないでしょう? あの家で十分暮らしていけるわ」


「貴族に戻れたのに、平民の暮らしのままでもいいのですか?」

「ええ。やっと家事にも慣れてきた所ですもの」

 貴族の娘として、未来の女主人になるべく、屋敷の采配について学んで知っている。体を動かすのではなく、頭を動かし人を使役する立場。貴族の女性たちと交流し、夫に必要な情報を集め、裏で支える重要な役割。


「正直に言うと、貴族って面倒で堅苦しいものだなって思うの」

 爵位や身分の上下関係、服装や装飾品の決まりや細々とした慣習を完璧に頭に入れて、常に王都での最新流行を把握し、敵を作らないように見極めながらの慎重な交友関係の構築が求められる。平民の暮らしを知るまでは、それが当たり前で普通の生活だと思っていた。


 敵味方、家の利益の為ではなく、ただ純粋に自分に責任を持ち、自分が思うままの行動を許される生活は、本当に気が楽で何より楽しい。


「そうですね。僕は社交の場というのが苦手です。自由に笑うこともできませんから」

 王都や王城にいる時、ケフィンは淡い微笑みだけを浮かべていた。緊張していたのかと納得しつつも、いつもは見ることの無い表情は、とても素敵で胸がどきどきさせられた。


「でも……ケフィンの貴族姿は素敵だと思うの。……時々見たいと思うのはワガママかしら?」

「アレッタのドレス姿の方が素敵ですよ。……王家主催の王城でのパーティだけ出席するということでどうでしょう」

 白金髪に赤い瞳。その美貌と、すらりとした体型が際立って恰好良く見える。王城ですれ違った貴族女性たちが注目していた理由もわかる。


「そんな都合の良いことを認めて頂けるかしら?」

「次回は精霊を使って派手に入城しましょう。僕が恐ろしい魔術師と周知されれば、誰も文句は言ってこないでしょう」


「恐ろしい魔術師? ケフィンが?」

「僕の師匠は、あの『災禍の魔人』なんです」


「『災禍の魔人』? 気に入らない者は地面を割って落として殺す恐ろしい魔術師でしょう? そんな恐ろしい方には見えなかったのだけれど」

 絶対に名前を呼んではいけない、恐ろしい魔術師としての噂は貴族の間に浸透していた。何度かお茶を共にしたこともある師匠は、意思が強く頑固そうに見えても心優しい老人。そんな印象を強く持っている。


「ええ。嘘ですから。貴族たちがくだらない依頼ばかりしてくるので、面倒だから嘘の噂を流したそうです。王族にだけ話を通しておけば、何とでもなると師匠は仰っていました」

「あ! だから、女性たちの前で、『視線の主を消す』なんて言ったのね」

 理由がわかっても、ケフィンが恐ろしい魔術師と思われるのは寂しい。でも、女性たちに囲まれる姿を想像すると腹立たしくなってきた。


「さて。爵位証明の印章も無事に頂いたので、一度村に帰りましょうか」

「そうね。洗濯物も溜まっているし、預けた鶏も気になるし」

 冬も近く、水やりが殆ど必要なくても畑も気になる。


「家事は精霊に手伝ってもらうと、楽になりますよ」

「……ちょっと待って。精霊を家事に使えるのなら、最初から言ってくれたらよかったのではなくて?」


「結婚するまでは精霊を使えないという封印を師匠から受けていたので。それまでは楽をせずに自分の体を使えと」

「あ、そうだったのね」


「……私がもらう恩賞で、両親の借金を返したいのだけれど。受け取ってくれる?」

 総額まではかなりの年数が必要でも、ケフィンの負担を少しでも減らしたい。 

「あれは僕が持っていた爵位権を売ったお金で賄いました。元手はタダですから、受け取れません」


「爵位って売れるの?」

「ええ。我が国の貴族は、爵位を相続できるのは第一子のみ。第二子以降は結婚か、何らかの功績を上げて王から授爵されるしかないでしょう? 子供を貴族のままでいさせたい親は多いので、売りに出した途端に高値が付きました」


「ケフィンは何度も功績を上げていたのね」

 毎日一緒に過ごしていたのは、五歳ごろまでのこと。それ以降は、時々しか会えなかった。


「僕は昔、王子の身替わりを務めていました。囮として何度も死にかけたおかげで、爵位をいくつかいただいています」

「あの王子の身替わり? 全然似ていないのに?」

 王子は騎士にも勝る筋肉質の立派な体格。共通するのは、背の高さと同じ色合いの白金髪だけ。


「昔は双子と言われる程に似ていたんですよ。僕の目の色は魔法で青にして。十二歳になると王子は、僕と比べられるのが嫌になったと仰って、有名な騎士に弟子入りされたのです。鍛錬を重ねた成果があの体格です」

 幼い頃の王子を思い浮かべようとしても、王城で何度か見た程度。記憶に残っているのは、今の立派な王子の姿。


 でも、ケフィンと比べられるのが嫌だというのは、よくわかる。昔から綺麗な顔と美しい立ち居振る舞いで、会う人すべてから賞賛されていた。


「昔、アレッタに求婚されてから、僕はアレッタの物なんです。『この身も心も、すべて捧げます』と僕は約束しました」

 突然、幼い頃に私からケフィンに結婚を迫った記憶が思い出されて、羞恥が頬に集まっていく。あの時は乳母だったケフィンの母親に、平民と貴族の娘は結婚できないと言われて泣く泣く諦めた。


 熱くなっていく頬を両手で押さえていると、ケフィンがふわりと私を抱きしめた。いつもと変わらない笑顔なのに、ケフィンの鼓動はとても速い。


「アレッタ、一生幸せにします」

「……ケフィン、私一人が幸せでは意味が無いのよ。二人で一緒に幸せになりましょう。だから、貴方の好きな物をもっと教えて。私、もっと貴方のことが知りたいの」


「世界で一番好きなのはアレッタです。僕は隣にいられるだけで幸せです」

「そ、それは嬉しいことだけれど……こう、好きな食べ物とか、好きな花とか、好きな色とか……」

 一緒に暮らすようになって一年。ケフィンはずっと私と同じ物が好きだと言い続けている。私を抱きしめたままのケフィンを見上げて、赤い瞳を覗き込む。


「仕方ないわね。一生を掛けて、貴方の好きな物を調べていくから。覚悟して」

「お手柔らかにお願いします」


 本当はケフィンさえ隣にいてくれたら、それでいいと私も思う。

 でも、ワガママな私は、それだけではきっと満足できない。

 笑って。笑って。笑い合って。毎日を二人の笑顔で彩りたい。


 二人で心から笑い合えるなら、きっと毎日が特別で素晴らしい日々。

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