渋谷ハロウィンで、mixi時代の知り合いと再会する話

丸毛鈴

渋谷ハロウィンで、mixi時代の知り合いと再会する話

 あの雑踏の中で、どうしてその人がわかったのだろう。


「メケ丸さん、メケ丸さんですよね!?」


 僕はその日、月イチで開かれるミーティングのために、渋谷の本社に出社していた。なぜ、ハロウィン当日に。一日ぐらいずらしてくれればいいのに。今年は路上飲酒を禁止し、かなりの交通整理が行われると聞いているが、やはり10月31日に近づきたいものではない。そんな不満も、懐かしい人を見つけて、ぱっと晴れた。


 呼び止めようと、その人の袖を引く。そのとたん、一枚布を頭からすっぽりかぶったような黒い衣装が、嫌な音をたてて裂けた。僕の力が強かったわけじゃない。感覚からそれは、本物の――経年で脆くなっているボロ布なのだとわかった。


「あっ、すみません」


布が裂けたことよりも、その“本物感”に動揺した。相手はそんな僕を、ただ驚いた顔をして見つめていた。灰色がかったドーランを塗りたくった顔に、黒く塗られた唇、その端には塗いつけられたようなメイク。それでも意外と表情がわかるものなんだな、と僕は変なところで冷静になる。


「ああ、笹さんか」


懐かしい声だった。


「そうです! 笹です! 笹!」


僕はこれ以上ないぐらいに力強く、首を縦に振る。


「覚えてくれてたんですか?」

「忘れるはずないよ」


縫われた口元が、にいっと上がる。


「あのキョンシー5人越え!」

「メケ丸さん……!」


思わずうっすらと涙ぐんでしまう。転がる太極図をよけそこねるという、序盤のミスを挽回するため、苦し紛れにひねり出したあのプレイを、覚えてくれているなんて……。


 僕らが出会ったのは、8bitのアクションゲーム「霊幻封印闘士」、通称「レイトー」のファンコミュニティだった。人になんと言われようと子ども時代からプレイし続けたそのゲームにおいて、いかにクリア最短記録を叩き出せるか――。当時の僕らは、mixiで知り合った者同士、細々と情報交換をし合っていて、メケ丸さんはいつもその中心にいた。僕らはmixiのほかにもYahoo!チャットを使って、いろいろなことを話した。子どものころどうやって親の目を盗んでゲームをしたか、好きだった駄菓子の話、ときには政治の話まで。


 いい年をして胸をいっぱいにして見つめる僕に動じるでもなく、メケ丸さんは道端をさした。


「積もる話はあとにして、笹さん、まず、そこでお面……っていうかマスク? 買おうか」


 そこには露天商がいて、僕が裂いてしまったメケ丸さんの衣装に負けず劣らずボロボロの黒い布を路上に敷き、ゴムマスクを並べている。ふっと僕の胸に違和感がよぎる。渋谷のハロウィン、しかもスクランブル交差点の手前で、こんなことが許されるのだろうか? 昨日のニュース映像では、すでに歩道は仕切られて人の流れを整理していていたような。


「せかして悪いけど、こういうのしないと、危ないからさ」


 メケ丸さんのやや切羽詰まったようすに、疑問を引っ込める。そうかもしれない。まわりもみんなずいぶん本格的な仮装をしている人ばかりだ。いますれ違った人なんて、骸骨そのものだった。いったいどうやっているのだろう。


「これでいいんじゃないかな」


メケ丸さんが、ひとつのマスクをつまんでよこした。広げて見ると、それは2年前に亡くなったプロレスラーの顔に似せたもののようだった。メケ丸さんが、何かを売り子に渡した。きっとお金なのだろう。後でお礼を言わなければ。と、売り子が唐突に僕のほうを見た。


「は、は、は、早く、それ、つけな」


 売り子は苛立ったようすで、鋭い爪で乾いた皮膚をかいた。深くかぶったフードの奥には、黄色く光る瞳がふたつ。そういうコンタクトレンズでもあるんだろうか。ノイズがかかったような声は、ボイスチェンジャーか。


 僕は促されるままにゴムマスクをつける。


「わ、なんですか、これ!?」


かぶったとたんに、それは肌にぴったりとくっつき、あわてて引きはがそうとしても無駄だった。


「大丈夫。あとで、ちゃんと外れるから」


あわあわとゴムマスクを引っ張りながらも、メケ丸さんがくすっと笑ったのがわかった。そういえば、僕が新卒で入った会社で上手くいかず、わずか3日で「もう、転職したいんです」と愚痴ったとき、同じようにくすっと笑って、「大丈夫」とアドバイスをくれた。アドバイスの内容は覚えていないけれど、その笑い方に不思議と安心したことは、記憶に残っている。


「ほんとうですかぁ」


 思いのほか情けなく、甘えた声が出て、我ながら驚く。こうして話していると、20代のときのような……。そういえば、メケ丸さんと僕は、いつから会ってなかったんだろう。


「しばらく歩きながら話そうか」 

「はい!」


ぼんやりとした疑問は、メケ丸さんの提案で霧消した。そうだ、僕はメケ丸さんに話したいことがたくさんあったはずなのだ。ええとまず、僕らの共通の話題といえば……。


「いま、『レイトー』、めっちゃ盛り上がってるんですよ! 海外にもプレイヤーがいて、世界最短記録は15分なんです。中ボスの、カンフーマスターのところあったでしょう? あの背中に悪魔の羽が生えている。あそこも今では……」


 仮装した人たちで溢れたセンター街を歩く。僕が夢中になって話し、メケ丸さんは、それをただ静かに聞いている。まるで昔のままだった。「レイトー」について語りながらも、僕の胸には何かが引っかかる。メケ丸さんに会ったら、話したかったこと。それはたしかに「レイトー」のこともあったけれど……。もっと、もっと他にあったような。思い出せないことに妙に焦って、僕は話題を変えた。


「そういえば、メケ丸さん、コロナのとき、どうでした? 僕、せっかくほぼリモートになったのに、月イチ出社がハロウィン当日とかぶっちゃって……」

「ああ~」

「それと、ご実家、北陸でしたよね。地震は……」


 メケ丸さんは、口角を上げた微妙な表情で僕を見つめた。


「ごめん、俺、もうそういうの、わかんないんだわ」

「それって、どういう……」


コスプレイメイクの下の表情を読もうとメケ丸さんに向き合ったとき、僕はぴちゃん、という音を聞いた。メケ丸さんの足元に、血がしたたっていた。出所を知ろうと視線をあげ、そのときはじめて、黒い衣装の真ん中が裂けていることに気がついた。その奥が、てらりと不吉に光る。


「ああ、なんで影響しちゃうかなあ……」


僕の視線に気がつくと、メケ丸さんはため息まじりにそう言い、「ま、仮装のひとつってことで」と、衣装をつまんで裂けたところを結び合わせた。


「悪ぃけど、時間、ないみたいでさ」


 メケ丸さんがそう言ったとたん、本格的な仮装をした人たちがどっと押し寄せ、ふたりを隔てた。染みだらけの包帯を巻いたミイラ、白装束の日本スタイルの幽霊。腰巻ひとつで走り回っている、腹がぽっこりと出た小鬼としか言いようのない子どもたち。どういうことだろう。警察は、今日は何をやっているのか……。


 そのうえ、クラクションを鳴らして、真っ赤なオープンカーがつっこんできた。僕は勢い、尻もちをつく。キーキーと甲高い声ではしゃぐ小鬼たちを満載した車は、僕のつま先をかすめ、すごい速さで走り去っていった。生命の危機に心臓がドッドッと早鐘を打つ。命――。車。傷。ハロウィン。メケ丸さん。


 そうだ。あのコミュニティに集まっていた僕らは、みんなメケ丸さんのことが大好きだった。だから、最初は嘘だと思った。


「これ、メケ丸さんが行くって言ってたイベントじゃね?」


ある年のハロウィンに行われた、大規模コスプレイベント。メケ丸さんは、初恋だったというゲームヒロインのコスプレをする子がいるとかで、珍しく興味を持ち、「俺もカメコデビューか」なんて言いながら、一眼レフカメラを新調していた。

メンバーのひとりがチャットで送ってきた記事は、そのイベント会場で、ひどい事故が起きたと伝えていた。会場のすぐそばを走る国道で事故を起こしたトラックと乗用車数台がフェンスを破り、撮影中の輪に突っ込んだのだ。


「まさかあ」

「まさかね」


メンバー各人が、心のザワつきをごまかしながら雑談に興じた、次の日――。シューティングゲーム好きのメンバーが言った。


「被害者に●●●●●さんっていてさ。俺、メケ丸さんから古いジョイボール譲ってもらったことあったじゃん。そのときの送り状の名前と、同じ」

「そこの住所に行って確かめれば」

「メケ丸さん、転勤で何回か引っ越してるじゃん」

「実家は?」

「さあ。北陸とか……?」


そのときはじめて、僕らはメケ丸さんのことを、いや、メンバーのことを何も知らないことに気がついた。こんなに親しいのに。こんなに何年も顔を付き合わせて――いや、僕らは互いの顔を知らなかったけれど――何が好きか、何に夢中になっているか、何に怒って何に悲しんでいるか、昨日は何時に寝て、マクドナルドの季節商品はどれを楽しみにしているか、そんなことまで知っているのに。


「これ、たぶんメケ丸さんだよ」


メンバーは誰も、すぐには返事をしなかった。僕はそれでも、言い訳をするように言った。


「でも、たしかめようないじゃん。俺ら、メケ丸さんのこと、リアルでなんも知らないんだから」


だから。親族がこの場にたどりつかない限りは、生死すらわからない。


今だったら、もっと他にやりようがあるかもしれない、と思う。しかし、当時はTwitterもまだなく、僕らは若いというより幼かった。何もわからないまま、メケ丸さんがオンラインにならない日だけが過ぎ、いつしかYahoo!チャットはサービスを終了した。mixiのログインステータスは、何度見ても、「3日以上前」のままだった。


 いつの間にか亡者たちはさらに膨れ上がり、メケ丸さんは遠く、小さく見える。メケ丸さんの顔は、もう見えない。いや、昔からだ。僕はメケ丸さんの顔を知らない。


「メケ丸さん、なんで、なんで死んじゃったんですか」


 違う。こんなことを言うべきじゃない。わかっているけど――。


 あの日からずっと、僕は心の中でメケ丸さんに話しかけていた。


メケ丸さん。TwitterってすごいSNSで、いっぱい同じ趣味の人が見つかりましたよ。

メケ丸さん。RTA in Japanってイベントが始まりましたよ。

メケ丸さん。そこで、今日、はじめて「レイトー」をプレイした選手がいたんですよ。


 でも、ほんとうに言いたかったことは。いま、伝えなきゃいけないことは。僕は思い切り息を吸い込み、ありったけの声を出す。


「メケ丸さん! ありがとう! ありがとう、ございました」


僕はブンブンと手を振り、口元だけで「ざ、ざようなら」と鼻をすすりながらつぶやいた。亡者たちの向こうで、メケ丸さんが手を振り返してくれたのが、わかった。


「あっぶない! 信号変わってますよ!」


 僕は強く腕を引かれ、我に返った。一歩先を、車が通りすぎていく。


「立ち止まらないでください!」


警察官はそれだけ言うと僕の腕を離し、笛をくわえて交通整理に戻っていった。そこはいつも通りの渋谷・スクランブル交差点。いや、歩行者の通行方向が整理され、多くの警察官がその誘導にあたっているのはちょっとふつうとは違うけれど。仕事帰りの人、仮装した人、それを撮影する海外からの旅行者。あやしい露天商はいないし、仮装だって、みんなコスプレの範疇におさまるものだった。フランケンシュタインのマスクをかぶった人が目に入り、僕は思わず、顔をなでた。それはまぎれもなく自分の皮膚で、マスクははりついていないようだった。「はい、止まらないでー」という声に促され、僕は人ごみに流されるまま、駅へ向かった。


***


 ファミコンのスイッチを入れると妙に哀愁漂うBGMが流れ、黒をバックに『霊幻封印闘士』の赤いロゴが浮かび上がる。


主人公の道士を操作して、お札を飛ばし、ステージを進む。ここで、メケ丸さんが褒めてくれたなあ。ここは、みんなで時間短縮の知恵を出し合ったっけ。


 今まで、思い出すことを避けていたことが次々溢れて、視界がぼやける。そんな状態で初見殺しのこのゲームをプレイできるはずもなく、あっという間に道士は敵にやられてしまう。僕はティッシュを引き寄せて、盛大に鼻をかみ、そうして、画面に表示された「continue」を押した。

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