小さな患者と大きな患者のために
増田朋美
小さな患者と大きな患者のために
その日も暑い日ではあったが、夕方になると、ちょっと涼しいかなと思われる機構になってきた。そうなれば、もう秋が深まってきて、だんだん冬に近づいてくるんだなということになる。それでは、もうすぐ寒いという言葉も聞こえてくるんだなと思われる。
暑い日も寒い日も製鉄所という福祉施設は、いつでも稼働しているものであった。製鉄所と言っても鉄を作るところではなく、居場所のない女性たちが、勉強や仕事などをするための部屋を提供するための、福祉施設である。基本的に女性たちであるので、製鉄所の食堂内にあるテレビで、ニュースなどを見るときがある。その日も、買い物から帰ってきた女性の利用者がちょっとテレビを付けていいかと聞いた。
「何を見たいんですか?」
と、食事をしていたジョチさんこと曾我正輝さんが言うと、
「ええ、ニュースが分かるを見たいんです。村山茉莉を見なくっちゃ。あたし、大ファンなんです。」
と、その利用者は言った。
「村山茉莉?それは誰ですか?」
ジョチさんが聞くと、
「はい、素敵な女優さんですよ。こんなふうに年を取れたら素敵だなあと思っているんです。」
と、利用者はテレビを付けた。すると、中年と思われる女性が、殺人事件のニュースの解説などをおもしろおかしくやっていた。
「これが、村山茉莉とか言う女性かい?」
と、杉ちゃんが言うと、
「ええ、この人よ。きれいな人じゃない。だからあたしたちも、中年のおばさんだけど、こういうきれいなおばさんになれたら良いなって思っちゃうわ。」
利用者は、にこやかに答えた。
「へえ、なんか確かに綺麗ではあるんだけど、なんか女郎さんみたいな感じだな。なんか言わせてもらえば、阿部定みたい。女優さんより、女郎さんに商売買えたほうがもっと儲かるような気がするぜ。はははは。」
と、杉ちゃんはカラカラと笑った。
「まあそんなこと言って。杉ちゃん。そんなこと言ったら女性の人権侵害よ。あんなきれいな人に憧れるというのが、どうしていけないのよ。」
利用者はムキになって言った。
「まあ、そうかもしれないけどさ。ちょっと、なんか女郎さんみたいなところがあるなあ。」
杉ちゃんは、テレビの画面の中で、一生懸命ニュースの解説をしている女性を眺めながら、そういった。
「でも、人間関係で言ったら、本当にすごいかどうかはわからないですね。容姿は確かに綺麗で、中年女性のあこがれの女優ではあるようですが、家庭的な幸せは得られていないようです。女優として、デビューし、俳優の、村山千秋という人と結婚し、息子の和哉くんを設けたようですが、三年で離婚しています。その理由としては、村山茉莉の、若手俳優との不倫行為によるもの。」
ジョチさんが、タブレットを眺めながらそう言うと、
「でも、やっぱりあたしが憧れる女優の一人でもあるわ。」
と、利用者は、にこやかな顔をしてテレビを見ているのであった。
それから数日経って。
杉ちゃんと、ジョチさんは、買い物に行くため、踏切の近くを歩いていたところだった。眼の前に、一人の女性が、踏切の前でぼんやりと突っ立っているのが見える。それと同時に、電車が走ってくる音が、聞こえてきた。
「おい!そこで何をしているんだよ!」
杉ちゃんがでかい声で言うと、女性は、後ろを振り向いた。
「そこにいると、電車にひかれてしまいますから、踏切の外へ出てください。」
ジョチさんがそう言うと、女性は、トボトボと、踏切の外へ出た。それをジョチさんがしっかりと受け止めて、彼女はそれ以上行くことはできなかった。女性は、その場に崩れるように座り込んでワッと泣き出したが、杉ちゃんがその顔を見て、
「あれ、お前さんどっかで見たことある顔だなあ。」
と言った。女性は思わず
「私を、知ってるんですか?」
と、聞いた。
「知ってるよ。だってお前さんは、こないだテレビに出ていた、阿部定みたいな顔した女優さんでは?」
と、杉ちゃんが即答した。
「そういうことなら、こんな田舎でも私のこと知ってるんですか。」
女性は、杉ちゃんに言った。
「知ってるって、今の田舎にはテレビはあるし、ちゃんとお前さんの顔を見てるよ。確か、お前さんの名前はえーと。」
「村山茉莉さん。」
と、ジョチさんが言った。
「それにしても、踏切の真ん中で、ぼったっているのは尋常じゃないな。なにか大事なことがあったんか?すまんねえ、僕は何でも聞きたくなってしまうからな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「こんなところで堂々と言えるようなことじゃないわ。」
と、村山茉莉さんは言った。
「そうか。じゃあ、安心して話ができる場所へ行こうな。そういう場所はちゃんとあるんだからね。まったくないわけじゃないぜ。」
杉ちゃんに言われて、村山茉莉さんは、もうだめだと思ったらしい。そうねと言って、杉ちゃんとジョチさんについていった。
杉ちゃんたちは、製鉄所に到着し、食堂へ村山茉莉さんを招き入れた。少し待ってろと言って、杉ちゃんの方はカレーを作り始めた。その間に、ジョチさんはお茶を出し、
「一体、何があったんですか?踏切の真ん中で立っているなんて、杉ちゃんの言う通り、尋常ではないですね。一体なにか重大なことがあったのでしょうか。少なくとも、僕達は、あなたのような、仕事も充実しているし、生活面でも不自由はしていない、あなたの事を羨ましいと思うのですが?」
と、彼女に聞いた。
「羨ましいですか。あたしは、そんなことありません。みんなあたしのことを面白おかしく、話をしているタレントと見ているようですが、あたしは、そういうことはないんですよ。」
と、彼女は話すのであった。ジョチさんはとりあえずお茶を飲んでもらって、落ち着いてもらおうと思い、お茶を彼女に飲ませた。
「そうなんですか。つまり、あなたは、自分の事を不幸だと思っていらっしゃるのですか。それはお辛かったでしょうね。」
ジョチさんがそう言うと、村山茉莉さんは、ちょっと意外そうな表情を示した。
「もう一度そう言ってくださいませんか?」
「ええ、何度でもいいましょうか。お辛かったですね。あなたが、つらい思いをされていることは、きっと確かなんでしょうから、誰かが否定しても、そう思ってしまうことでしょう。それなら、余計に否定しないで、あなたの気持ちをまずは受け止めましょう。」
村山さんに言われて、ジョチさんはそういった。
「そうなんですか。ありがとうございます。あたしも、何度かテレビ局の人に言われて、病院に行ったりしたけど、あなたが変わるしかないんだとか、そういうことばかり言われて、じゃあできない私はだめなんだと、思うしかありませんでしたから。」
村山さんは、小さな声でそういった。
「そうですね。でも、変わらなければ行けないということもまた事実でもあります。だから、そのためには、まず事実をはっきりさせておくことが必要だと思うんですね。きちんと話してくれませんか?」
ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんが車椅子のトレーに、カレーをいっぱい入れた皿を持って、
「はい、カレーができたよ。うまいものを食べて、ちょっと気持ちを落ち着けることだな。なにかいけないこと考えるやつは、必ず腹が減っているんだから。腹が減っているときは、いい考えも浮かばないよ。」
と、カレーを、彼女の前においた。流石に、彼女も空腹には敵わなかったらしい。急いで、お匙を受取り、むしゃむしゃと食べ始めた。
「なんか安心した。そういう大女優でも、カレーを食べるんだな。」
と、杉ちゃんがそう言うと、
「こんな美味しいカレーを食べたことがありません。」
と、村山茉莉さんは言った。
「そうなんだねえ。カレーを食べたことはなかったの?」
杉ちゃんが聞くと、
「ええ。だって料理なんて、使用人さんが作ってくれるものばかりで、こういうカレーなんて作ってもらったことはありませんでした。」
と答えるので、裕福な生活だったらしい。
「お前さんは、年はいくつなの?」
杉ちゃんがまた聞くと、
「ええ、もう52です。」
村山茉莉さんは答えた。
「そうか。それでそんなにきれいなんじゃ、確かに他の女性から憧れの目で見られても仕方ないね。それなら、余計になにかあったのか、相談するやつがいないと言われても理解できるな。」
「有名な、海外の歌手も、大スターになるほど、孤独だったといいますからね。」
杉ちゃんとジョチさんは、そう顔を見合わせた。
「それで、お前さんは、電車に飛び込みたくなるほど、何が辛かったわけ?」
杉ちゃんが聞くと、村山茉莉さんは、ちょっと考え込んで、なにか決断したように言った。
「実は、息子の和哉が、血管肉腫にかかってしまいまして。もうのこされた時間もないって言われて、あたしはどうしたらいいのか、わからなくなってしまったんです。」
「血管肉腫。ああ、正輔と同じか。」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「血管に発生する、難治性の悪性腫瘍ですね。確か、希少がんと言われるほど、めずらしい腫瘍ですよね。」
とジョチさんが言うと、茉莉さんは、二人がその事を理解してくれたことに嬉しそうな顔をした。
「そうなんです。今まで、母親として何をやってきたのかと思ったら、何もしてないじゃないかって、和哉に言われました。あたしは、和哉のためにテレビ出演とか、そういうことしてたのに、なんでそんなこと言わなければならないのかわからなかったんです。すぐに優秀な医者を探さなければと思いましたが、和哉がお母さんにそんなことしてもらいたくないって言うし。」
「なるほどねえ。まあ、お前さんが離婚したのは、お前さんの不倫行為によるって言うことだから、自業自得ってことにもなるよな。」
と杉ちゃんが言うと、
「いいえ、そんなことありません。それは勝手に回りの人が言っただけです。村山と結婚しても、村山の方は、仕事ばかりで、和哉と私の事を放置しっぱなしだったから、私は別の人にお願いしたんです。その人のほうが、和哉と、私をちゃんと見てくれるんじゃないかって思ったから私は、その人に近づいたんです。それなのに、マスコミときたら、私の事を、だめな母親とか、不倫女郎とか、そういう事を報道して。私も和哉も、本当に辛かったんです。」
そう彼女は言った。
「まあお前さん自身はそう思っていたかもしれないけれど、和哉くんや、他の人にとっては、お父さんを取ってしまった悪いやつしか見えなかったのかもしれないね。」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「でも私は、そうするのが一番いいと思ったから。」
茉莉さんがそう言うと、
「まあでもねえ。でもどっちかが謝らないとっていうか、どっちかが柔らかくなければ、解決しないのが人間の社会何だぜ。その裏では辛い思いというのがあるのかもしれないけど、ああ自分が悪かったんだと、認めることも必要なときもあるんだよ。ましてや、和哉くんが、あと少ししか持たないんだったら、そうしなくちゃいけないってこともあるよ。それが、生きてるってことでもあるんだよな。」
と、杉ちゃんが言った。
「そうなんですね、、、。」
と、茉莉さんは、そっと涙をこぼして、泣くのだった。
「まあ、な。どっちかが、むなグソ悪くても、納得しなくても、そのままにして、相手のこと許してあげなくちゃいけないときってものもあるんだよね。」
「そうなんですね、、、。でも、本当に、あたしは、いつでも一人になってしまうんですね。結婚して、和哉が生まれても、主人は、私や和哉のことを放って置きっぱなしで、理想的な人を探しても、逃げられてしまうし、主人にも捨てられちゃうし、やっと息子と二人で、過ごせるようになったと思ったら、今度は息子までなくすようになるなんて。私は、いつでも一人。いつでも一人なのよ。」
「うーんそうですね。でも人間、たとえいろんな人にチヤホヤされていたとしても、所詮は一人ですよ。色々周りにチヤホヤされていたとしても、死ぬときは、それも捨てていくわけですからね。ちょっと宗教的ですが、この世は人間の行いが何十にも重なってできているわけでしょう。ですが、なにかしていれば、その人のしたことは、なにか残るはずなんですよ。矛盾するようですが、死んだあとの事後処理で、大騒ぎというケースもありますからね。人間色々ですけど、だけど、これほど複雑な動物はいないってことでしょうね。」
ジョチさんは、そう嘆く彼女に、そう言ってあげた。
「だから、自分の手で解決できることは、しなくちゃいけないし、できないことは、時の流れに任せるよなつもりで、生きていくしかないってことだよな。それが、何よりも大事な答えだぜ。僕も、ジョチさんも、お前さんも。」
そういう杉ちゃんに、彼女は、涙をこぼして、
「はい。わかりました。」
と、にこやかに言った。
「息子にはあと少ししか時間がありません。だから、私はちゃんと、謝罪します。私のわがままで、何でも人生動かしてしまいましたけれど、それがわかったのなら、そうします。」
そう、村山茉莉さんは、静かに言ったのであった。
「そうですね。もし、息子さんが希望すればの話ですが、まだ、 日本ではあまり普及していないけれど、粒子線治療とか、そういう治療法もありますから、ここで言えば、静岡がんセンターの、希少がんセンターとか、そういうところに相談してみたらどうでしょうか?」
ジョチさんは、そう提案してあげた。そして、手帳のページを破り、希少がんセンターの電話番号を書いて彼女に渡した。
「ありがとうございます。あの、私の方から、お尋ねしてもいいですか?」
それを受け取った彼女はそういった。
「はあ、何だよ?」
「あの、確か、正輔と一緒だっておっしゃっていましたよね?その正輔って誰なんですか?誰か、血管肉腫の患者さんが身近にいるのでしょうか?」
杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。
でも、なにか決断したような顔をして、
「よし、見せてやる。来い。」
と、杉ちゃんは言って、食堂から縁側へ出た。縁側では、水穂さんが、一匹のフェレットを抱っこして、そこに立っていた。白い体の三本足のフェレットで、水穂さんの腕の中できゅうん、きゅうんと鳴いていた。
「あらかわいいフェレットさん。」
と、村山茉莉さんが言うと、
「昨日、二回目の抗がん剤治療を受けてきたんです。動脈注射なので痛かったと思うんですけど、良く耐えてくれましたよ、正輔くん。」
水穂さんが静かに言った。それを聞いて、茉莉さんは意外そうな驚いた顔をする。確かに水穂さんも、顔が真っ白でいかにも具合が悪そうに見えるのであるが、
「血管肉腫を患ったのは?」
茉莉さんが聞くと、
「こいつ。」
と、杉ちゃんは小さなフェレットの頭を撫でた。
「フェレットさん?」
茉莉さんが思わず言うと、
「そうなんです。今、放射線治療と、抗がん剤の投与と併用しています。本人も辛いとは思うんですけど、頑張ってくれていますし、他の利用者と遊べるくらい元気です。」
と、水穂さんが言った。
「まあねえ。大事なペットだからね。いくら血管肉腫を患っていても、最期まで面倒見てやってさ。そうやって、しっかり見てやることも、僕らの勤めだと思うんだよね。フェレットなんてさ、人間に飼われる動物で、野生のフェレットは存在しないって言われる動物だからさ。だから、人間が最期まで見てやらないと思うわけよ。人間もそうなんじゃないのか?」
と、杉ちゃんが腕組みをしていった。
「そうですね。なんだか、人間に飼われる動物であればあるほど、体も弱ってくるのかなと思います。フェレットって、弱くなりやすい動物で、有名ですから。」
ジョチさんは、したり顔で言った。
「でも、やっぱり、可愛いことは、可愛いですね。」
水穂さんは、にこやかに笑った。
「そうなんだ。みなさんがそうやって、面倒を見てあげてくれるんだから、きっと正輔くんは最期まで幸せだと思いますよ。そうやってみんな小さな患者さんのために、一生懸命やってるんですから。」
村山茉莉さんがそう言うと、
「お前さんも、大きな患者さんのために、動いてやらなくちゃだめだぜ。とにかくな、なにか辛いときは考えていたらだめなんだ。なにか考えるより、具体的に動くことがいちばん大事なんだよ。」
と、杉ちゃんが言った。
「それに、そういうことは、無駄にならないと思いますよ。すぐに忘れてしまうようなことは無駄なことなのかもしれないけど、いつまでも頭の中に残っているようなことは、一生を左右するような大きな事件なのかもしれません。それはきっとあなたの人生で、なにか大事なことになってくれるかもしれないんです。だから、そのために、生きていましょうよ。二度と、電車の前に飛び込もうなんて、考えてはいけませんよ。」
ジョチさんがそう言うと、
「はい、決していたしません!」
と村山茉莉さんは言った。これで杉ちゃんもジョチさんも安心した顔をした。
「お願いなんですけど、フェレットくん抱っこさせてもらえませんか。息子には、もうできないから。」
続けて彼女は言った。水穂さんが、どうぞと言って、正輔くんを、茉莉さんにわたすと、茉莉さんは、彼を抱きしめ、そっと笑いかけた。そして小さく、頑張ってねと言って、水穂さんに戻した。
「ありがとうございました。私、もう二度と、電車に飛び込むとかそんなことはしません。もう、これで今までのことが吹っ切れた感じ。これからは、息子と一緒に、最期は母親らしいところを見せてあげて、しっかり向き合いたいと思います。」
茉莉さんはそう言って、杉ちゃんと、ジョチさん、そして水穂さんに頭を下げて、製鉄所を出ていった。その足取りは、来たときよりもしっかりしていて、ちゃんと決断ができたんだなと思わせるあるき方だった。
「やれやれ、それにしても女郎さんが、こういうことで悩むとは、驚きだったねえ。」
と杉ちゃんが言うと、
「杉ちゃん、一緒にしてはいけませんよ。」
と、ジョチさんは注意した。でも、杉ちゃんの癖は治らないので、それ以上何も言わなかった。また寒い風が吹いてきた。もう秋も終わって冬に近づいている。晩秋なんだなと思われる風だった。
小さな患者と大きな患者のために 増田朋美 @masubuchi4996
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