世紀の大発明

青いひつじ

第1話



窓の外では木枯らしが吹き、隣の家の老婆が寒い中、イチョウに向かって何かを話している。かれこれ10分は経つだろう。これは毎朝の恒例行事で、男にとっては見慣れた光景であり、特に迷惑はしていなかった。

それより問題なのは、遠くに見える、黒い煙を垂れ流すエネルギー研究所であった。


 


乾いた風が窓を叩く朝。男は新聞のある見出しに目を見張った。"変換実験成功、エネルギー研究所の快挙!負のエネルギーは有効な資源へ!"

外を見ると、研究所が垂れ流していた黒い煙は、すっかり姿を消していた。初めからそんなものなかったかのように。


「気づかなかったな。‥‥あの黒煙が環境を破壊すると言われていたが、いよいよなくなったのか」


研究所では長らくの間、"人間の負のエネルギー"を電力に変える実験を行っており、この実験が成功すれば、今抱えている環境問題が全て解決すると言われていた。続けて、男は記事に齧り付いた。


「おぉ‥‥本当に実験が成功したんだな」


その画期的な発明に、男の声に熱がこもった。

書かれていたのは、声と感情エネルギーを分離させ、抽出した感情エネルギーを電力に変え供給するシステムが完成した、という内容だった。

さらに研究所が発表した結果によると、人間の感情の中で最も強いパワーを持つのが"負の感情"であるという。


つまりこのシステムにより負の感情が大きな電力になり、人々のストレスは軽減され、黒煙もなくなり、環境問題も解決される。一石二鳥どころの騒ぎではないのだ。



実験成功の記事が出てから1週間後のことだった。

新聞の見出しに、男はまた目を見張った。

"ついに変換器の設置が開始!皆様の負のエネルギーを分けてください!"

記事には変換器の設置場所が書かれており、男は上着も着ずに家を飛び出した。


男が向かったのは近所の公園だった。到着すると、何かを囲むようにして、円状の人だかりができていた。通勤中のスーツ姿の男や、お玉を持ったままの主婦まで、みながそれに心を奪われていた。爪先立ちし隙間から様子を覗くと、円の中心に、白い、ポストに似た何かが立っているのが見えた。


「これが変換器なの?」

「こんな簡素な機械なのか」

「いや、これはただ叫び声を吸収するだけだ。分解は研究所の機械で行われるんだよ」

「お前、試しに叫んでみろよ」

「うん、よし行くぞ」

「思いっきり負の感情を込めるんだ!ほら、こないだ嫁さんと喧嘩したって言ってたろ!それを思い出すといい」


腕まくりをした男は、鼻で深く息を吸うと、機械に口を近づけ思いっきり叫んだ。

裏返った男の叫び声は吸収されたようだが、機械はスンとすましたまま、特に何かが起こる様子はなかった。


「こ、これでいいのか?‥‥ん?吐き出したからか、気分がすこぶるいいぞ!」

「これが本当に電力になるのか‥‥。なんという世界だ」

「しかし、声と感情エネルギーは分離されるとありましたが、声はどこに行くんでしょう」


スーツ姿の男が首を傾げた。


「そんなことは、我々の気にすることじゃないよ。いいじゃないか。こんなにも素晴らしい機械が発明されたんだ」

「そうよそうよ!これは世紀の大発明よ!」



その頃、街の北側にある山の中から小さな声が聞こえてきた。叫び声は、山奥に設置した発声器から放たれ、山の中で鳴り響くシステムになっていた。山には誰もいないので、なんら問題はなかった。


翌日の新聞の記事には、すでに1週間分の電力が集まったと書かれていた。人々は、負の感情を抱けばすぐに変換器を探し、吐き出すようになった。

街の事件発生率はみるみると減少し、環境数値は良い数値が維持された。



男は仕事終わり、鬱憤を晴しに公園へ向かい機械に叫んだ。最近は毎日のように公園に立ち寄り叫んでいる。風呂上がりのようにスッキリした顔で帰宅しコートを脱ぐと、テレビをつけ、そのままキッチンへ向かった。

テレビからは、「エネルギー変換器をめぐる近隣地域との問題について」と、アナウンサーの重みのある声が聞こえてきた。


使用者が増え発声器からの声が大きくなったせいか、うるさくて眠れないと隣街から苦情が来るようになったという。

しかし私たちの街は強気の姿勢をみせ、「なんだったら、我々の技術を教えてやればいい」と、エネルギー変換を止めようとはしなかった。




それから1ヶ月が経った、空気が凍る朝のことだった。

男が外を見ると、老婆の姿はなかった。さすがにこの寒さじゃ外には出ないかと、新聞を取りに玄関のドアを開けたその時だった。


鼻の奥を突き刺すような悪臭が、ドアの隙間から風にのって入ってきたのだ。男は急いでドアを閉めたが、その悪臭は、一瞬の間に部屋中に広がっていた。


「なんだこの匂いは!!」


男は換気をしようと窓を開けた。するとまた強烈な悪臭が部屋に侵入し、男の意識を朦朧とさせた。


「なんなんだ一体。街全体がこうなのか。昨日まではこんな空気じゃなかったはずだ。これじゃ外に出られないじゃないか」


男は鼻をつまみソファにもたれかかった。すると、テレビからあるニュースが聞こえてきた。



「隣街の研究所が全ての排出物を有効なエネルギーに変える機械を開発しました。機械の実用性は高く評価されており、世紀の大発明と言えるでしょう」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世紀の大発明 青いひつじ @zue23

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ