解決編

「全部わかったんですか!?」


 小日向は期待の眼差しを塩月警部に向けた。


「うん。でも、誰がやったかぐらいは君にもわかっているんじゃないか」


 挑戦状を投げかけられた小日向は自分の考えを答えた。


「浦部先生、でしょうか」


 塩月は鷹揚に頷く。


「私もそう思う。では、その理由は?」


 小日向が浦部を怪しいと思うのには確かな根拠があった。


「被害者の学生の声が聞こえたから一組の教室に向かったと言っていましたよね。でも、被害者は喉を掻き切られていたから教室の外にまで聞こえる声が出せるわけがないですよね」


 残酷だが真実だった。


「犯人がその後に被害者を殺したという可能性はないのか?」


 塩月が試すように訊いた。


「それは考えにくいです。教室の扉の上に血のバケツを用意するのには時間がかかるので、浦部先生が声を聞いてからではすべてを準備することはできません。犯人が被害者を半殺しにして血だけ抜き取り、その後に喉を掻き切って殺した可能性もゼロではありませんが、そんなことをしてわざわざ悲鳴を上げられる危険を冒す必要がありません」


 塩月は頷いた。


「その通り。つまり、浦部は嘘を言っていたというわけだ。容疑は濃厚だと言えるだろう。でも、それならなぜ自分に血がかかるようにバケツを設置したのだろう? それから、ワックスが塗り立ての教室に足跡がなかった理由も疑問だ。わかるか?」


 警部はさらなる難問を投げかけた。しかし、小日向の推理力では及ばない問題だった。


「私にはわからなかったです。警部にはもうわかっているんですか?」


「あぁ」


 これが謎解きの開始の合図だった。塩月は滔々と話し始めた。


「まず、血のバケツが設置されていた理由だ。犯人はおそらく浦部だと君もわかっているようだが、今は一旦忘れてまだ正体がわかっていないとしよう。そして改めて考えてみてほしい。なぜ犯人は血のバケツを設置したのか?


 血のバケツを仕掛けるなんていうのはとても時間のかかる作業だから、やむを得ない事情がない限りやるとは思えない。犯人にとってのやむを得ない事情といえば、自分が殺人犯であることがバレないようにすることだ。だから、犯人は自分が犯人だとバレないように血のバケツを用意したと考えるしかない。


 血で隠せるものといえば、それは血痕しかない。木の葉を隠したいなら森を作れという有名な警句があるが、それを血に応用したわけだな。血痕を隠したいなら、さらに血を被ってしまえば良いと犯人は考えたんだ。


 だから、犯人は浦部しかいない。血のバケツを被ったのは他ならぬ浦部なのだから。犯行時に返り血を浴びた浦部は、そのままでは人前に出ることができなかった。流しには清水がいて、階段には監視カメラがあるので、洗ったり他の階に行ったりすることもできなかったんだ。だから、苦肉の策として、清水を呼び寄せた上で、その目の前で自ら血を浴びて返り血をカモフラージュしたんだ」


 血で血を隠す。それが血のバケツの意味だった。あまりにも狂気的で論理的な解答に小日向は呆然としていた。ただ、一つだけ気になる点があった。


「そうなると、バケツの血を浴びる前からすでに浦部先生の服は血で汚れていたことになりますよね。なんで清水先生は気づかなかったんですか?」


「返り血で汚れていたのは浦部の正面だけだったのだろう。バケツが落ちてくる前は、清水には一組の教室に向かう浦部の後ろ姿しか見えていなかったはずだ。だから、前面が血まみれになっているなどとは思いも寄らなかったんだ」


 小日向は思わず嘆息を漏らしていた。血まみれの殺人現場は、狂気の悪戯の結果などではなく、理由があって緻密な意図のもとに行われたものだった。


 塩月はもう一つの謎を解きにかかった。


「次に、なぜワックスが生乾きの教室に足跡が付いていなかったのか。ワックスが塗られる前に犯行が行われたとは考えられない。なぜならワックスがけは生徒たちによって行われていたのだから、教室の中央に死体が放置されているのを見逃すのはあり得ない。


 しかし、ワックスに足跡を残さないためにはワックスがけの前に犯行を行わなければいけない。だから、こう考えれば良い。犯行の後に再びワックスがけをすれば良いんだ。そうすれば、犯行の際に付けられた自分の足跡をすべて覆い隠すことができる。


 おそらく、浦部は教室で犯行をするつもりなどなかったのだろう。殺しをしたいなら、もっと目立たない場所ですれば良い。計画的ではなく突発的な犯行だったんだ。生徒と言い争いか何かをしているうちにどんどんヒートアップして、しまいにカッターナイフで誤って刺し殺してしまったと、そんなところだろう。


 浦部はすぐにも逃げ出したかったが、教室はワックスをかけたばかりで自分の足跡がくっきりと残ってしまっていることに気づいた。だから、まだ廊下に残っていたワックスとモップを持ってきて、自分で改めてワックスをかけ直したんだ。


 その後、清水を呼んで自らバケツの血を浴びた。それから浦部自身が教室の中に入ることはなく、代わりに被害者の生徒の様子を見に行ったのは清水だった。足跡が付くことを極度に恐れていたんだな。その結果、教室には被害者を見に入ったときの清水の足跡だけが残っていたんだ」


 これですべての謎に説明が付いた。難解に見えた小日向の目の前でするすると解決してしまった。


 再び会議室に呼び出された浦部はなかなか犯行を自白しなかった。だが、問い詰められて焦り、苦しげな表情を見せている様子から彼が犯人であるのは明らかだった。


 後日、浦部の衣服に付いていた血痕を詳細に調査することで、バケツの血を被っただけでは本来付かないはずの場所にも血が付いていたことが明らかになった。他にも鑑識による精密な調査の結果を受けて、浦部は殺人容疑で正式に逮捕された。


 事件後、小日向はふとした瞬間に会議室に入ってきたときの浦部の顔を思い出すことがあった。あのときの浦部は髪から水を滴らせていた。だが、小日向の脳裏に浮かぶのは、嬉々として血を頭から被る浦部の表情だった。

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鮮血の滴る教室~不可能犯罪捜査ファイル04~ 小野ニシン @simon2000

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