証言編

 一階の会議室が臨時の取調室になった。長机の一辺に塩月と小日向は並んで座り、反対側に事件関係者が座る配置になった。


 制服警官に連れられて会議室に入ってきたのは三年五組の担任の清水だった。塩月が手で示した場所に清水は座る。長机一つを隔てただけなので、刑事と事件関係者の間の距離は異様に近い。


「被害者の生徒のことはご存知でしたか?」


 塩月が口火を切った。清水は深刻な表情を硬直させたまま暗い声で答えた。


「はい。その、素行があまり良くないことで知られていたので。私は一組の授業も担当していなかったので、直接は知らないんですが」


 どうやら殺された生徒は荒れた性格をしているトラブルメーカーだったらしい。今回の事件は、普段から起こしているトラブルの最悪の結果だと思われた。


 続いて、清水は警部に促されるままに自分が目撃した出来事の一部始終を話した。証言内容を吟味しながら塩月は気になる点を質問した。


「清水さんが四階にいたとき、浦部さんの他には誰かいましたか?」


「いなかった気がしますが、断言はできません。声はしませんでしたし、生徒は全員帰っていたと思いますけれど」


「ご自分のすぐ近くを誰かが通ったらわかりますか? つまり、五組の教室の前の流しで作業をされていたようですが、その後ろの廊下を誰かが通ったら気づいたと思いますか?」


「それは気づいたはずです。でも、誰も通りませんでした」


「わかりました。では、浦部先生が一組の教室の中に入ったときのことをもっと詳しく教えていただけますか?」


「教室の中に入ったと言っても足を片方入れただけでした。扉を開けた瞬間に音がして、すぐに出てきて振り返ったんです。そしたら、もう頭の上から、あの、その、血が……」


 清水はそのときの浦部の顔を思い出して口ごもり、自らの顔からは血の気が引き始めていた。塩月はそんな回想をやめさせるため「もう結構です」と言った。それから制服警官を呼び込んで清水を退室させた。


 次に会議室に入ってきたのは短い髪を水で濡らしたままの浦部だった。血まみれになった浦部は、鑑識による調査を受けた後に体育館のシャワーを浴びて体を洗っていた。先ほどまでいた清水とは裏腹に、このときの浦部はシャワーのおかげでいくらかすっきりとした表情に見えた。掘りの深い顔立ちもそんな印象を与えるのに一役買っている。


 浦部は先ほどまで清水が座っていたのと同じところに座ったものの、刑事と距離が近くなりすぎることを案じて椅子は引いたままだった。


「廊下で清水さんを呼んだのは浦部さんで間違いありませんか?」


 塩月は早速質問を始めた。実直そうな浦部はハキハキとした声で答える。


「えぇ。正確には清水先生に限らず誰でも近くにいる人を呼んだのですが、来てくれたのが清水先生だけでした」


「なぜ人を呼んだのですか?」


「一組の教室から声が聞こえたんです。言葉にもならない呻き声だったので、生徒の誰かに大変なことが起きていることがわかりました。それで、助けを呼びながら教室に急いで向かいました」


「その前は何をしていたんですか?」


「廊下に掲示物を貼っていました。貼り終わってちょうど帰ろうと思ったところで呻き声が聞こえてきたんです」


「なるほど。わかりました」


 淡々と告げると塩月は浦部を下がらせた。


 続いて監視カメラの確認をしていた刑事が入ってくると、死亡推定時刻の四時五十分から事件が発覚するまでに階段を通った人物は一人も映っていなかったと報告した。


 この報告を聞くと、塩月は黙って腕を組み、それから微動だにせずに天井を見つめ始めた。急に考え事を始めた塩月を前にして小日向は何をすれば良いのかわからなかったが、とりあえず自分でも事件の情報の整理をしてみることにした。


 小日向にも犯人の目星は付いていた。階段を通った人物がいないのなら、容疑者は二人しかいない。四階に誰かが潜んでいる可能性があったので一通り確認はさせたが、そのような人物はいなかった。となると、事件当時、四階にいたのは先ほど証言を取った二人だけである。どちらが怪しいかは先ほどの証言から小日向にもわかった。


 しかし、その人物が犯人だとしても二つの疑問が残っている。なぜ、犯人は血の入ったバケツを仕掛けたのだろうか? そして、犯人はどうやって教室内に足跡を残さずに犯行を行ったのだろうか?


 塩月がふいに腕組みを解いて姿勢を正すと、小さな声で呟いた。


「わかった」

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