第一章 推しが我が家にやって来た!③

 そして場面は結婚記念日にもどる。

 私はようやくお母様と目を合わせて話をすることができていた。

「ということでお母様。推してみましょう」

「ま、待ってイヴちゃん。本当にどうしてしまったの?」

「お母様。私はお母様に新しいれんあいの形を提案しにきたんです」

「新しい、恋愛の、形……」

(まずい。らいを踏んだかもしれない)

 その瞬間、お母様のひとみうつろなものに戻ってしまった。

 きようを感じるほど光のない瞳に、言葉がまってしまう。すると、お母様はあきらめたまなしを私に向けた。

「……イヴちゃん。私はもういいの。すべて試してだったのよ? それなら残された死という道を選ぶべきでしょう」

 お母様が発した台詞せりふは、〝九歳の時に引き取られた家では、翌年夫人が結婚記念日に心中をしてしまう〟というゲームシナリオが進行していることを決定づけるものだった。

(お母様。貴女あなたは絶望して、もう死んでしまいたいと思っているのかもしれません。でもごめんなさい。私は生きたいんです。それに……お母様に死んでほしくない)

 この一年間、死を回避するために色々なことを考えていた。私の死因は、お母様が死のうと火をつけたことに〝巻き込まれた〟ことだ。つまり生き延びる方法として、巻き込まれないようにげる道もあった。お母様を見張って、火をつけるのを止める手段もあった。けれどもその方法だと、お母様は救われない。永遠に闇をかかえたまま生きることになる。自分だけ逃げても、お母様から火事を防いでも駄目なのだ。お母様の〝死にたい〟という気持ちをなくして、闇落ちから救わなくては意味がない。

(だからお母様。私は引くわけにはいかないんです)

 ぎゅっと手に力を入れると、勇気をしぼりながらお母様の瞳をじっと見つめた。

「お母様、残念ながら全てではありませんよ。まだ推してないですから」

「だから押して……これ以上ないごういんなやり方も試してみたのよ」

 こんわくしながらも反論をするお母様に、首をふるふると横に振った。

「お母様、その押すではありません」

「おしかつのおし、でしょう? ……なんだかわからないけど」

「そうです! 推し活の推しです!!」

 私のあまりにも大きな声にビクッとなる母。

「こんな言い方はあれですが……どうせ死んでしまうのなら、最後に新しい方法を試してみませんか? 死を選ぶのは、試した後でもおそくないはずです」

「……そう、かしら」

「そうです!!」

 つうなら聞いたこともない変わった提案、受けようとも思わない。しかし、せつまっているじようきようのお母様だからこそ、この案が通ると思ったのだ。

 迷う母に、さらに一押しするように言葉をかけた。

「最後にお父様をもう一度だけ、愛してみませんか?」

「!」

 母が今までしてきた行動の理由は一つに帰着する。それは父ユーグリットを愛しているから。むすめながらにその行動は理解しようと努力した。お母様が何をおもっているのかみ取った結果、私なりの〝推し活〟という提案にたどり着いた。

「イヴちゃん……」

 今にも消えそうな声で呼ばれると、私はお母様の瞳から目をらさずゆっくりとうなずいた。

「……そうね、最後にもう一度だけなら」

「やった!」

「……ふふっ」

 思わず喜んでしまったが、お母様の目には子どもらしい姿として映ったことだろう。りようしようを得ると、私は最初の関門をとつしたのだった。

「それでは私の部屋に移動しましょう! お母様に伝えたいことがたくさんあるんです」

「えぇ、行きましょう」

 お母様といつしよに食堂を出ると、私が先導する形で私の部屋に向かった。入室すると、そこには移動式の黒板が置いてある。黒板には私が推しと推し活について書いておいた。

「黒板……?」

 まさか娘の部屋に黒板があるとは思わなかったのか、お母様はキョトンとした表情をしていた。私は椅子いすを移動させてそこに乗り、黒板に手が届くようにする。お母様の方を向いたところで、最初の授業を始めた。

「こほん。いいですかお母様。今日からお母様にとってお父様は推し、としましょう」

「おし……イヴちゃん。おしって何かしら」

 この説明はどうすべきかずっとなやんできた。だが、ありのままを伝えるのではなく、お母様の興味を引く要素を詰め込んだ内容にしようと、試行さくした結果を黒板に書く。

「推しとは、おうえんするべきゆいいつの対象のことです!!」

「応援……応援?」

「はい。応援です。言い方を変えるとですね、くしたい相手のことを言います」

「尽くしたい相手」

 気に入らないと言われないように、今までのけいこうから導き出されたお母様の性質に合うよう言葉を選んでいく。

すいなことをお聞きしますが、お母様はお父様のことを愛しておられますか?」

「もちろんよ」

「では、何かお父様の役に立ちたいと思うことは?」

「あるわ」

「お父様のことだけを考えて、お父様のことだけを見ることは?」

「ユーグリット様しか見てこなかったわ……」

 私はそこでひどおどろいた反応をした。

「お母様……なんということでしょうか。もうすでしてらっしゃるではありませんか」

「そ、そうなの?」

「そうですとも! らしいですよ!」

「そう、なのね……ふふっ」

(あ、やっぱり)

 少し持ち上げればすぐに喜ぶ。

 そう。お母様は驚くほどにチョロいのだ。それは娘の私が心配になるくらい。

(お母様は日本で暮らしていたらすぐうわ)

 だまされる姿が容易に想像できたが、今はそれを利用させてもらった。

「もったいないです。お母様ならその道をきわめられます」

「極められる」

さきほど推し、という言葉を覚えましたね?」

「えぇ」

「推しのために活動することを、推し活といいます。これすごく重要なので覚えておいてください」

「推し活」

 しっかりとした復唱は、やる気の表れのように感じた。

 私はこの反応を絶対のがさないように、黒板に書かれた〝推し活〟の文字を指した。

「この推し活という名の新しい愛の形、私と一緒に極めませんか?」

「新しい愛の形……」

 もしかしたら熱弁が足りないのかもしれない。そんな不安をいだきながらお母様に問いかけると、少しの間考え込んでしまった。

(もっとりよくを伝えるべきかな)

 じっとお母様の様子をうかがっていると、ゆっくりと顔を上げた。

「それを極めたら……ユーグリット様は振り向いてくださるかしら?」

「!!」

 その一言に、今度は私が驚く番だった。

(どんなに無視されても、ないがしろにされても……お母様はお父様が本当に好きなのね)

 お母様の苦しそうな想いを、私はしっかりと受け止めた。そして、かくを決めて頷いた。

「……推されることは相手にとって非常にうれしいことであり、力になります。だからこそ新しいアプローチになるかと」

 正直、推し活によってお父様が振り向く保証はない。だから断言せずに、事実だけを伝えた。しかしお母様が望んでいた答えではなかったようで、複雑そうな表情になった。

(……ここであきらめたら、お母様がやみちしてしまう)

 お母様の興味を引けるように出ししみせずに、経験談を語ることにした。

「お母様。私には推しがいます。……その相手はジョシュアになります」

「シュアちゃんが」

 興味を持ってもらえたのか、わずかにお母様の表情が明るくなったような気がした。

 ジョシュア、といっても私が推しているのは前世でプレイしたジュエラブのジョシュア様だ。〝ジョシュア〟という名前からお母様は必ず義弟おとうとの方を思いかべるだろう。本当ならこのちがいを事細かに伝えたいところだが、ややこしくしてしまうのでみ込んだ。

「はい」

「イヴちゃんはシュアちゃんに推し活しているのね……どんなことをしているのかしら」

 そのつぶやきを私は聞き逃さなかった。

「よくぞ聞いてくださいました!!」

「えっ」

 私は椅子から下りると、お母様にとして近付いた。

「推し活は多種多様で、本当に色々なことができるんです! 例えば推しを想いながらぬいぐるみやストラップを作ったり、ハンカチにしゆうを入れたりと、何かを作ることもその一つです。いわゆるオリジナルグッズ作りですね! ほかには推し色に染まることもおすすめです! ジョシュア様の色は青なので、青色のアクセサリーを身につけた日は気分がすごく上がります! あとは──」

「ま、待ってイヴちゃん!!」

 お母様が両手を前に出して私を制した。そのしゆんかん、私はピタリと止まった。

(しまった、熱くなり過ぎた。つい前世でした推し活を語り過ぎちゃった)

 お母様の声でわれに返ると、自分が高速えいしようのように語っていることに気が付いた。

「話を止めてごめんなさい、イヴちゃん」

「謝るのは私の方ですお母様! すみません、ほとんど何言っているかわかりませんでしたよね……」

 せっかくお母様が興味を持ってくれたのに、自分で機会をつぶしてしまったことにらくたんする。しょんぼりとかたを落としていると、お母様はやさしく否定した。

「そんなことないわイヴちゃん! えぇと、推し活は何かを作るのよね? 後は、青色のアクセサリーを身につけるのもわかったわ」

「ありがとうございます。でもアクセサリーはちょっと違います」

 落ち込む私をなぐさめようと、お母様がいつしようけんめいフォローしてくれた。それでも貴重な機会を失ったことに変わりはなかったので、どう立て直そうか必死に考え出した。

「何より、イヴちゃんの話しぶりから、推し活が楽しいことなのは凄く伝わってきたわ。……私も推し活、してみようかしら」

「えっ」

 まさか失態をおかした後に求めていた答えが聞けるとは思いもしなかったので、間のけた声がれてしまう。もしかしたら気まぐれな一言かもしれないと思ったが、意を決したような表情は、じようだんを言っているようには思えなかった。

「お、お母様。推し活がなんだかわかりましたか?」

「推しのために尽くして、応援するのよね」

「そう、です」

 その回答で間違ってはいない。自分が雑な説明をしてしまったから、お母様に上手うまく伝わっているか自信がなかった。私は伝え忘れていることはないかと思考をめぐらせる。

「一ついいですか? 私がジョシュア(様)にする推し活と、お母様がお父様にする推し活のおもいは少し違うということをお伝えしたいです」

「そうなの?」

「はい。私はじゆんすいおうえんをしたい、何か力になりたいという気持ちですので、り向かせるという考えはありません。ただ、やり方だいでは振り向かせられる可能性もあります」

 誤解を生まないようにていねいに説明を続けた。

「推し活の方法や目的は人それぞれですが、一つの共通点があるとんでいます」

 今度はしっかりと伝わるように、早口にならないように気を付けた。

「それは推しを幸せにしたい、という想いです。私はジョシュアの幸せを心から願っているので。お母様もきっとそこは同じなのではないでしょうか?」

 この言葉にうそはない。私は前世で推し活をしている時、常にジョシュア様の幸せを想っていた。そして推し活に関係なく、今はとしてジョシュアを幸せにしてあげたいと強く思っている。るぎないまなしを向ければ、お母様はこくりとうなずいた。

「えぇ。私もユーグリット様の幸せを願っているわ」

 わかりきった答えだったが、お母様の想いが変わらないことがかくにんできた。そしてお母様は私の方に身を乗り出した。

「私、ユーグリット様を応援したいし、幸せにしたいわ。それに、もしできるのなら振り向かせたい。だからイヴちゃん。私にし活を教えてくれない?」

 声こそやわらかくおだやかなものだったが、向けられた視線はしんけんそのものだった。嘘でもいつわりでも冗談でもない、本気でそう言っているのだとわかると、私は胸の中がじんわりと温かくなっていった。

「もちろんです! しましょう、推し活!!」

 お母様の言葉が嬉しくて、私は満面のみを浮かべて頷いた。

(良かった。私の声が届いた……!)

 こうして私とお母様による、「推す」という愛の形を身につける旅が始まったのであった。

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孤独な推しが義弟になったので、私が幸せにしてみせます。 押して駄目なら推してみろ! 咲宮/角川ビーンズ文庫 @beans

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