機人
ろいひ
機人
一度目は、カタストロフに巻き込まれて死亡。
二度目は、行きずりの人間に撃たれて死亡。
三度目は、汚染された人肉を口にして死亡。
◼︎──────
骨と皮だけになった手が空に向かって突き出されていた。
表皮は腐らずに残り、黒く乾いて粉を吹いていた。頭蓋の形が浮き出た顔には、目も鼻もなかった。唇の削げた口からは黄ばんだ歯がのぞいており、それがやけに目立つ。
「聞いているの?」
問い掛けられ、アルスラは我に返った。隣に座るユリシスを見る。細い眉が微かに吊りあがっていた。
「ごめん。聞いてなかった。あれに目がいっちゃって」
アルスラは、道端に転がる死体を顎で指した。ユリシスの視線がそちらに向く。
「俺もそのうちあんな風になるのかな」
ユリシスはアルスラを見つめると、能面のような表情で固まった。
「ならないわ」
しばらく間を置き、そう告げる。アルスラは苦笑すると、小さく礼を言った。
「それで、なんの話だっけ?」
「別行動を取ることの危険性についての話よ」
あぁ、そうだった、とアルスラは軽く頷いた。
「そりゃ確かに危ないけど、仕方ないよ。二手に分かれた方が、物見つけるには効率いいし」
アルスラは腰に下げたサックをさすった。この中にはあと一食分の栄養カプセルしか入っておらず、アルスラは丸一日水以外のものを口にしていなかった。危険を冒してでも、速やかに、なるべく多くの物資を集める必要があった。
ユリシスは尚もしつこく単独行動を危険性を説き、アルスラの考えを改めさせようとした。だが、最終的には困ったように微笑みながら、アルスラに従った。
「さて」
二人揃って、瓦礫から立ち上がる。
「じゃ、日暮れ前にここで落ち合おう」
「ええ」
「気をつけてな。絶対周りにばれるなよ」
「ありがとう。あなたこそ、道中気をつけて」
心配そうに眉を寄せたユリシスに、アルスラは笑顔で頷いてみせる。
「じゃ、また後で。……無事戻ってこいよ」
「ええ。また後で。あなたこそ、どうか無事で……」
短く挨拶を交わすと、アルスラとユリシスは別れた。
◼︎──────
片手に銃を下げ、アルスラはコンクリート片に埋もれた道を進んだ。
見渡す限りに瓦礫の野が広がり、所々に半壊したビルが建っている。
歩きながら、アルスラはひときわ大きなビルの残骸を見上げた。数年前のそのビルの姿を──整然と整ったビルの姿を──思い出そうとしたが、結局できなかった。
めくれ上がったアスファルトの上を、アルスラは慣れた足取りで進む。
最初の頃は、ほんの十メートル進むだけでひぃひぃ泣いていたことを思い出し、薄く笑った。
瓦礫の上に双頭の鴉を見つけ、食糧にできないものかと銃を向ける。引き金に指を掻けたが、結局撃たなかった。喰ったら十中八九死ぬ。
比較的新しい死体を漁りながら、これも食糧にできないものかと考える。しばし考え込んだが、結局止めた。汚染された環境の中では人の体も汚染されている。喰ったら間違いなく死ぬ。
土から立ち昇る臭気に顔をしかめつつ、アルスラはユリシスのことを思う。彼女は無事にやっているだろうか? 偽人だってことを周囲に気取られていないだろうか?
偽人。人を模した無機物。自律的に動き思考する機械。そのパーツさえも結構な値で取引される。
ユリシスは偽人だった。そして、アルスラの母であり姉でもあった。
アルスラが物心ついたときには、既にユリシスが側に居た。アルスラの父が息子の守り役として起動させた彼女は、寄り添うようにアルスラの側にあり、プログラムに沿ってアルスラを庇護し、慈しんだ。
思い出せる限りの記憶の中で、ユリシスはいつも自分の隣にいる。アルスラはそれを当たり前のこととは思えど、反発や違和感を感じた事は一度も無かった。プログラムの出力として現れるユリシスの行動の全てを受け入れていたし、彼女の存在自体も受け入れていた。
ユリシスがプログラムに従いアルスラのことを思い、アルスラは彼女を慕う心からユリシスのことを思う。カタストロフにより何もかもが変わったが、このことだけは今も変わっていなかった。
◼︎──────
道端の死体を物色しながらアルスラは道を進んだ。
進んでいくうちに、二人の男が一人の女を襲っている場面に遭遇した。そんなことしてる暇があるなら、食料や金目のもんを探しゃ良いのに。そう思いながら、アルスラは素知らぬ顔で行き過ぎた。
しばらく進むと、背後から三発の銃声が聞こえた。アルスラは音がした方向へ駈け戻る。先ほどの男女が、血と脳漿をぶちまけて倒れていた。三つの死体を一人の老人が漁っている。皺だらけの手には銃が握られ、銃口からは硝煙が昇っていた。
アルスラは老人を撃つと、四人分の死体を漁った。大した収獲はなかった。嘆息しながら立ち上がると、老人と目があった。青い双眸がじっとアルスラを見つめていた。
「……何見てんだよ」
アルスラは老人の頭を蹴ると、顔を踏んだ。柔い感触が靴底を通して伝わる。
足を退け、アルスラは首を傾げる。両目を踏んだのだが、左目だけは潰れていなかった。
もしやと思い、アルスラはナイフを使って老人の目をくり抜いた。眼窩に沿って深く刃を入れ、目玉を引っこ抜く。
案の定、眼球からは、細いコードの束が垂れ下がっていた。軽く振って血糊を飛ばすと、アルスラは肉片のこびり付いたコードの付け根に目を凝らした。印字されたロゴを見て、口笛を吹く。ブランド物の電子生体部品だ。うまくすれば栄養カプセルが五ダース以上手に入る。
義眼とナイフに付いた血を老人の服で拭い、アルスラは立ち上がった。数歩進み、振り返る。
四つの死体が折り重なるようにして道に転がっていた。別段めずらしい光景ではない。
老人が相変わらずアルスラを見つめていた。暗い眼窩から真っ赤な血を滴らせている。その様は、血の涙を流しているようにも見えた。
◼︎──────
死体を漁りながら、アルスラは道を進んだ。
かなりの数を漁ったが、収獲といえる収獲は無かった。大方の死体はすでに漁られた後だった。衣服を奪われ、裸のまま転がっている死体もいくつかあった。
数十個目の死体を漁っている時、アルスラは頭に銃を突きつけられた。
咄嗟に相手の銃を叩き、発砲する。二つの銃声が重る。倒れたのは相手のほうだった。腹を押さえて、地べたにうずくまっている。
アルスラは撃たれた右手から左手に銃を持ち替えると、相手に銃口を向けた。
相手は少女だった。アルスラと同年代の少女で、顔立ちにはあどけなさが色濃く残っていた。痩せこけた顔の中で、緑色の双眸だけが酷く目立っている。
少女は震えながら、アルスラを凝視していた。瞳には恐怖と媚がない交ぜになって浮かんでいたが、アルスラが引き金を引くとそれらは消えた。
危険が去ると、意識が痛みに向く。負傷した右手を胸に抱き、アルスラは身を屈めた。
身を屈めた拍子に、サックから義眼が転がり落ちる。義眼はゆっくり転がると、少女の顔の横で止まった。
老人の青い義眼と、少女の緑色の目。青い目と緑色の目が並んでいるのを見て、アルスラは昔飼っていた犬のことを思い出した。
ユリシスが誕生日プレゼントにくれた犬だった。白く長い毛をした犬で、遺伝子でもいじったのか、右目が緑で左目が青かった。アルスラはとても可愛がっていたのだが、一年も経たぬ内に事故で死んでしまった。
アルスラは泣いた。ユリシスに取りすがって大泣きした。ユリシスはアルスラが泣き止むまで、アルスラの背をさすっていてくれた。
墓を作り、毎日花を供えるアルスラの頭を撫で、ユリシスは言った。あなたは優しい子ね。本当に優しい子ね。
すっと胸の底が冷える。
ひどい脱力感を覚え、アルスラは地べたに座り込んだ。
少女の死体を見る。腹と頭を赤く染めた少女が、目を剥いてアルスラを見つめていた。
その脇に転がる義眼を見る。コードを垂れ下げた目が、血だまりの中からアルスラを見つめていた。
青い目と緑の目。その両方にアルスラの姿が映っていた。
アルスラにはそこに映った自分の姿が血で赤黒く染まっているように思えた。
埃まみれの肌をアルスラはこすった。ついていない血を落とそうと、かきむしる様に肌をこすった。
肌をこすりながら、アルスラは曖昧に笑った。
自分の行動が可笑しくて仕方なかった。アルスラは声をあげて笑った。ひきつれた声で笑った。
笑いながらアルスラは思う。
なにやってるんだろう俺。なんでこんなことしてるんだろう。
目の前にある全てが、意味の無いもののように思えた。右手の痛みも、銃の重さも、少女の死体も、老人の義眼も。全てがどうでもいいもののようにアルスラには思えた。
痛みや感触、見えるものや聞こえるもの。自分が感じているものの全てが、酷く遠い。
疲れた……。遠くから掠れた呟きが聞こえた。しばらく経ってから、アルスラはそれが自分の呟きであることに気付く。
確かに疲れたよな、俺。物凄く疲れてるよな。自分自身の呟きにやたら納得した。
どうすれば、楽になれるんだろう。アルスラはぼんやりと考える。
程なくして一つ方法を思いつき、それを実行した
◼︎──────
アルスラの反応が消失した。
ユリシスは反応が消えた地点を割り出すと、その場所までの最短距離を割り出し、迅速にその場所に向かった。
消失地点にたどり着くと、アルスラが銃を手にしたまま倒れていた。
アルスラが作動していないことは反応が消えたことからも明らかだった。
アルスラの側には少女が倒れており、その側には銃と義眼が転がっていた。
ユリシスは少女に生体反応が無いことを確かめると、アルスラの状態を確認した。
右手と頭部に銃創があった。右手の銃創は手の甲に弾丸が掠ったもので、頭部の銃創は左のこめかみから右則頭部にかけて弾丸が貫通したものだった。
作動停止は頭部の銃創によるものだとユリシスは判断した。
「また、死んじゃったのね…」
ユリシスは困ったように微笑むと、アルスラをかかえて移動した。ビルの残骸の中から崩壊の危険が無いものを選びその中に入る。
ユリシスはアルスラを寝かせると周囲の生体反応を調べた。結果、アルスラとユリシスに危害を加える恐れのある生体は無かった。安全が確認できたので、ユリシスはアルスラの処置を開始する。
ユリシスはアルスラの上着をたくし上げると、胸に四角く切り込みを入れた。皮膚と肉をめくり上げる。僅かにこぼれた赤い液体がユリシスの袖を濡らした。
血と肉の奥にあるのは、冷たく硬い電脳端末だった。
ユリシスは結い上げた髪の奥からコードを引っ張り出すと、アルスラの端末に繋げた。
プロテクトを解除し、アルスラの記憶領域に侵入する。ここ数時間の記憶に接触し、アルスラが作動停止に至った原因と、そこに至るまでの経過を追った。
端末を通し、アルスラの記憶がユリシスの中で高速再生される。ユリシスはアルスラが見聞きしたものをアルスラと同じように見聞きし、アルスラが感じた感触をアルスラと同じように感じ取る。
アルスラが知覚した全ての刺激がユリシスの中で再現される。ユリシスはそれをアルスラの主観に沿って、アルスラが知覚したように知覚した。気分や情動といった偽人に備わっていない機能は、波形ごとに弁別され適当な単語へと置き換えられた。
作動停止の原因は、アルスラが彼自身に向けて放った弾丸だった。要は自殺だ。そして自殺の発端は、カタストロフ以前の生活を強く意識したことにあるようだった。
過去と現在の境遇の差にショックを覚え、それによって精神的疲弊がピークに達し、自暴自棄になった──自殺に至までのアルスラの感情の流れを、ユリシスはそう解釈した。
記憶のサルベージを終えると、ユリシスは内容をレポートにまとめる。アルスラの観察とその行動の報告は、ユリシスの役目の一つだった。
ユリシスは、作動停止の原因とそこに至るまでの経過を簡潔に記し、最後にサーバーを速やかに修復して欲しいという旨を書いてレポートを送信した。
送信先のサーバーに不備があり、レポートは届けられる事無くユリシスの下に返ってきた。ユリシスは困ったように眉を寄せ、再びレポートを送信する。
十回送信をやり直すと、ユリシスは行動をアルスラの修復へと切り替えた。
端末を通して、ユリシスはアルスラの体内の状態を調べる。幾つかの損傷が見受けられたが、作動可能な状態だった。
資材が不足していることもあり、ユリシスはアルスラの外傷のみを修復することにした。
ユリシスは傷口を濡らす冷却水を拭うと、アルスラの頭部に空いた穴にたんぱく質素地を詰め込んだ。その上に人口表皮を定着させ、頭部の修復を終了する。手の傷は傷口を人口表皮で覆うのみに留めた。
外傷の修復を終えると、端末の脇にある小さなコックを開け、赤い冷却水をアルスラの体内に注ぎ込む。
物理的な修復を終えると、ユリシスは再びアルスラの記憶領域に侵入した。ここ数時間の記憶―アルスラの死と、それに関わる記憶―の消去に取り掛かる。
機械で作られた人間。それがアルスラだった。
人工知能の課題を完全に克服しており、精神面においてアルスラはなんら人と変わらない。
行動制約も無に等しく、補助機であるユリシスと共存する、という以外には何一つ制約を組み込まれていなかった。
実験的試みとして、アルスラには人としてのアイデンティティーが与えられていた。それによってアルスラは自身を人と認識し、人として振る舞い、人として存在した。
人として存在するということは、死を受容しているという意味でもある。アルスラは自身を"いずれ死ぬ存在"として認識していた。
このため、人が死にいたる刺激が加えられると、アルスラは作動を停止する。要するに"死ぬ"のだ。
ただし、この"死"は精神上の死に過ぎなかった。そして、アルスラの精神はいくらでも上書きや削除が可能だった。
"死んだ"記憶を消してしまえば、アルスラはいくらでも"生き返る"。
一度目は、カタストロフに巻き込まれて死亡。
二度目は、行きずりの人間に撃たれて死亡。
三度目は、汚染された人肉を口にして死亡。
そして四度目は、自殺により死亡。
アルスラの記憶を消去しながら、ユリシスは自身の記憶領域に "四度目"の情報を入力する。
「本当に、手のかかる子ねぇ」
守り役としてのプログラムから出た慈愛の言葉を、ユリシスは発した。
そして”慈愛”に付随する行動として、その顔に微笑みを形作った。
機人 ろいひ @r_obake
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