「それ、私の小説です」

卯月 幾哉

本文

 青山夢乃ゆめのは、子どもの頃から小説家になることを志していた。念願叶って、夢乃が小説家の肩書きを得てから五年の歳月が経っていた。ただし、彼女は未だにヒット作のない無名の作家に過ぎなかった。


 夢乃はこの日、パソコンで原稿を書くかたわら、SNSのアプリを立ち上げて見ていた。そのアプリ上では、最近彼女が参加した小説家のコミュニティにおける会話のログが流れていた。若い小説家や、夢乃のように目立った実績のない作家も多く参加しているコミュニティだ。


 ある一つのスレッドが、夢乃の目に止まった。

 天崎練あまさきれんという、若手の作家が立ち上げたスレッドだ。


『新作アイディア募集』


 ――という主旨のそのスレッドには、既に複数の書き込みがあった。


 夢乃は天崎とリアルでも面識があった。……といっても、小説家が集まる何かの会合で、たまたま居合わせて会話をした程度だ。人当たりの良い青年、という印象だった。

 天崎もまた、夢乃と似たり寄ったりの無名作家の一人だった。


 なんとなくその気になった夢乃は、死蔵していたアイディアの中から比較的マシなものを引っ張り出し、触りの部分だけをそのスレッドに投稿してみた。

 夢乃はアイディアの数と、それをプロット(小説の設計図のようなもの)に仕立てる構成力には自信があった。その夢乃から見て、そのアイディアは十分に小説の形まで持っていけるだろう、と思えるものだった。


 投稿後、すぐに天崎から反応があった。


『めっちゃいいじゃないですか! このアイディア、本当に頂いてもいいんですか?』


 食いつきの良い反応に、夢乃の口角が自然と持ち上がった。


『ええ。自分では書く予定がなかったものですから、構いませんよ』

『ありがとうございます! 設定やプロットについてもう少し伺ってもいいですか?』

『それほど詰めてはいませんでしたが、なんとなく考えていたことぐらいで良ければ』


 その後、しばらくやりとりが続いた後、天崎はこんな提案をしてきた。


『青山さん、これ共作でやりませんか?』

『共作、ですか』


 話を聞いたところ、天崎はプロットを作るのが苦手らしい。逆に文章には自信があるそうだ。

 そこで夢乃がプロットを担当し、天崎が原稿を書く、という分担でどうか、という話だ。


〝共作は鬼門〟


 そんな話を、夢乃はある先輩作家から聞いたことがあった。

 よほど信頼関係があるか、せめて明確に役割が分かれていないと難しい。また、権利の扱いや収益の配分で人間関係にひびが入ることもある。――そんな話だった。


 しかし、天崎の話に従うなら、少なくとも役割分担については明確だ。夢乃は、共作のスタートラインには立てているように感じた。

 夢乃は「聞いた話」として、前述のような懸念があることを率直に天崎に明かした。

 それでも、天崎の意思は固いようだった。


『お互い納得できる条件を決めてやりましょう』


 その前提を確認できたため、夢乃はその後、プライベートのチャットで天崎と更に細かい打ち合わせをした。それによって対等な条件を結ぶことができたので、夢乃は天崎との共作に取り組むことにした。



 夢乃がプロットを完成させたのは、それから二か月後のことだった。ただし、それは何度か天崎にリテイクを要求された末の結果だった。

 夢乃が最初に天崎にプロットを提出したのは、共作を行うと決めてから半月後のことだった。自分では、本文を書くために十分な情報量を含めたつもりだったが――、


『青山さん、これじゃあ無理だ。もっと細かく書いてくれないと、僕はこれでは原稿が書けません』


 ――天崎の返答はこうだった。


 確かに、自分自身のアイディアでないから、プロットから本文のイメージを掴むのが難しいのかもしれない。

 そう思った夢乃はプロットを一段階細かくして、天崎に再提出した。しかし、天崎の納得は得られなかった。結局、夢乃は本文の下書きに相当するレベルのきめ細かなプロットを作ることになった。

 プロットを作り込むために、夢乃はいくつかの自分の仕事を後回しにすることになった。


 ともあれ、これで夢乃は己の役割を果たした。後は、天崎が原稿を仕上げるのを待つだけだ。

 夢乃は、ときどき進捗は確認しつつも、半年ぐらいは気長に待つつもりでいた。


 それから二、三か月の間、夢乃は天崎から共作のプロットについて何度となく質問を受けることになった。それはだいたい、設定や登場人物の心情などのディテールに関するものだった。

 だが、それらの質問には、夢乃にとって意味不明な前提条件が付け加えられていることが、しばしばあった。


『この建物って、たとえば西洋ファンタジーの世界だったら何に当たりますか?』

『仮にこのシーンでこのキャラが魔法を使えたら、どんな展開になると思いますか?』


 そういったものだ。


 ――それ、原稿を書くために必要な質問?


 夢乃はそう問い返したくなる気持ちをぐっと抑えて、一つひとつ真摯しんしに向き合って回答をした。

 とにかく、少しでも早く原稿を進めてほしい――その一心からの対応だった。



 夢乃が天崎に共作のプロットを提出してから、半年が経った。

 しかし、天崎からは原稿の進捗に関する報告はなかった。夢乃は未だ、彼の原稿を一文字たりとも見せてもらえていなかった。


『すいません。自分の仕事が立て込んでいまして』


 進捗を伺った夢乃に対する天崎の返答がそれだった。

 夢乃には、溜め息をく以外にできることがなかった。

 夢乃は一旦、共作のことは頭から追い出し、別の仕事に集中することにした。



 それから一か月後、天崎が新作小説を出版した。

 オリジナルの長編だ。ジャンルは西洋ファンタジー。

 その発表を知って、夢乃は全身から血の気が引く思いをした。


 夢乃は書店に行ってその小説を購入し、帰宅後に恐る恐るページをめくった。


 果たして、小説の内容は、ほとんど夢乃自身が考えたものそのままだった。


 ぽたり、と開いた本のページに涙の雫が落ちた。


 ――盗まれた。


 夢乃はこのとき初めて、天崎の背信行為に気づいた。


 これは共作ではない。夢乃が書いたものは、西洋ファンタジーではなかった。天崎は、夢乃のプロットをそのまま採用しながら、ガワだけを西洋ファンタジーに変えたのだ。

 たとえ夢乃が裁判に訴えても、勝訴は難しいだろう。


〝共作は鬼門〟


 先輩作家の言葉は正しかったのだ。


 その後、天崎が書いたとされるファンタジー小説はヒットを博し、夢乃の心は千々に乱れた。



(了)

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「それ、私の小説です」 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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