虚無にこだました歌声
ぴのこ
虚無にこだました歌声
「平成ヒットソングランキング!次は平成3年のこの曲!」
私はこの曲を聞くたびに高校の文化祭を思い出す。高2の1991年。17歳だった私は文化祭でバンドをやった。その時に歌ったのがこの曲だ。その年の春にリリースされ、爆発的なブームを生んだ曲。
私はボーカルとして舞台に立った。軽音部のみんなに、声の透明さを買われて頼まれたボーカルだった。私は頼られて嬉しかったから引き受けた。元々、歌うことは好きだった。受けたからには頑張らないといけないと思い、当日まで何度も何度も練習した。完璧に仕上げたと自信があった。私の歌声で、体育館が熱狂する様子を妄想してさえいた。
だけど、現実に歌い始めた時はそうはならなかった。
本番の日。体育館のステージの上。ギターとベースが旋律を奏で、ドラムの音が空気を震わせたのを合図に、私は歌い始めた。練習通りの声が出せたと思った。あの日の私の歌声は、あの時点の私の完璧だった。みんなが私の声に耳を澄ますと、歌い出しで確信した。
だけど、観客の反応は芳しくなかった。おしゃべりを止めない人。居眠りする人。私のバンドの演奏が始まった途端に、席を立つ人さえいた。私は狼狽えた。声が震え出した。私が完璧だと思っていた歌は、観客の心に届かなかった。
途端に、自分がひどく惨めに感じた。ステージに立っていることすら恥ずかしくなった。今すぐ歌うのをやめて逃げ出したい気分だった。
その時、観客席に座るひとりの顔が目に入った。その人は、緩みの無い真剣な顔つきでこちらを見てくれていた。名音楽家の曲を鑑賞しているかのような、厳かな態度だった。
私はその顔に覚えがあった。同じクラスの藤堂くんだ。
藤堂くんの真剣な表情が、私の心を燃やした。歌わなければ。たった一人のために。真摯に歌を聴いてくれている藤堂くんの心に届けるために、私は喉を震わせた。そのフレーズから、ちらほらと観客の反応が変わった。気づけば手拍子が生まれ、誰もがステージを見上げ、曲が終わる頃には嵐のような拍手が生まれていた。
「いよいよランキング1位の発表です!1位は平成13年の…」
回想にふけるうちに、番組は1位を発表していた。それは私が23年前に出した曲だった。
あの文化祭以降、私は本格的に歌手の道を志した。藤堂くんのように私の歌を深く飲み込んでくれる人に、最高の歌を届けたいと思った。心から思う。今の私があるのは、あの日の藤堂くんのおかげだ。
高校生活にひとつ後悔があるとすれば、藤堂くんに想いを伝えなかったことだ。伝えたのは、ステージを見に来てくれたことへの感謝だけだった。藤堂くんは困ったように「誘われただけなんや」と言っていた。それなのに真剣に聴いてくれたなんて、優しい人だと思った。
ふと思う。藤堂くんは今でも私の歌を聞いてくれているだろうか。
「以上、平成ヒットソングランキングでした」
懐かしい曲の特集を眺める私の横で、夫はずっと能面のような顔を浮かべていた。昔から、歌を聴かせるとこういう顔つきになる。私の夫は心の底から音楽に興味が無い。テレビで流れた歌を私が口ずさんでも、一切の反応を示すことも無い。音楽で感動するということが全く理解できないのだと夫は言っていた。
特集が終わると、夫は労役からようやく解放されたかのような顔つきで今日発売の週刊少年ジャンプを読み始めた。夫が開いたページでは、カップルらしき男女が文化祭のライブを楽しんでいた。私は無いだろうなと思いつつ、高校の文化祭でライブに行ったことはあるかと夫に聞いた。意外にも、「ある」と答えが返ってきた。友達に誘われて行ったらしい。なら今度は絶対に無いものを聞こうと、ライブで思い出の曲を聞いてみた。答えは予想通りのものだった。
「思い出の曲ゥ~?無い無い!ぜ~んぶ虚無や!ずっと真顔で聞いとったわ!!」
虚無にこだました歌声 ぴのこ @sinsekai0219
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