第6話

もう、ロベルトは戻ってこない。

その事実を知らされた翌日から、アンナは日に日に衰弱していった。

食べ物も一切受け付けず、部屋から一歩も出ようともしない。涙と共に全ての感情を捨て去ってしまったかのように、空っぽになった心でぼんやりと窓の外を見つめ続けた。

「ロベルトは帰ってくるわ。だって約束したもの……」

 身に纏うのは、父から貰った母のウェディングドレス。真珠の光る靴を履いて、アンナはうわごとのようにロベルトが帰ってくると繰り返す。

 やがて北国にようやく春の暖かさがやってきた頃、ついにアンナはベッドから起き上がることができなくなり、そのまま息を引き取った。

 しかし命の灯火が儚く消えて、身体が朽ち果て魂だけになろうとも、アンナは宿屋の部屋でロベルトを待ち続けた。

「必ず君を迎えに来るから」

 耳に残ったその言葉が、アンナを現世にとどめる楔。

 十年、二十年、三十年。

 神のもとへ還ることもできず、地上では好奇の目にさらされながら、アンナは宿屋の窓から外を眺め、そこにロベルトの姿を探す。

 何十年。何百年。

 そうして何百何十回目かのクリスマス、いつかのように窓の外に雪が静かに降り続ける夜。

 暖炉の火もない。ろうそくの火もない。

 ただ月明かりだけが暗く冷たい部屋を照らす寂しい聖夜に、虚ろな目をして窓際に佇むアンナの後ろから、どこか懐かしい声が聞こえた。

「アンナ」

 それは遠い昔に聞いた、自分を呼ぶ優しい声。

 王子様なんていないと全てを諦め、辛く苦しい現実を受け入れていたあの日々に、一条の光を与えてくれた人。

 必ず迎えに来ると誓った後、この世を去った唯一の相手。

 振り返ったアンナは彼の姿を認めると、走ってその胸の中に飛び込んだ。

「遅いわ。馬鹿」

 アンナは彼に縋りつき、「馬鹿」と何度も繰り返す。涙を流すその瞳には、かつての光が戻っていた。

 白いタキシード姿の彼は、そんなアンナを優しく腕の中に抱く。困ったように微笑みながら、耳元でそっと囁いた。

「ごめんね。でもようやく迎えに来れた。今度こそ、ずっと一緒にいよう」

現実では、救われたお姫様が王子様と結ばれるとも限らない。

 辛く厳しいこの世には、ハッピーエンドなんて存在しない。

 けれど死して生の呪縛から解放された後くらい、幸せになっても良いのではないか。

 アンナは彼の腕の中で、頬を紅く染めながら、小さくこくりと頷いた。

 途端に白く輝く光が二人の身体を包み込む。

 暗い部屋、二つ並んだ白い影は、一つに溶け合いながら光の粒となっていく。

 そして姿が消えゆくその間際、抱き合う二人が見せていたのは、満ち足りた、幸せそうな笑顔だった。

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そしていつかは誓いのキスを 紅林オト @aroga707

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