#05
*
「……百ドル札での奢りがこれ? あの鞄見たけど相当稼いでいるんだろ?」
「ここのホットドッグ美味しいんだって!」
幸せそうに長いソーセージが挟まれたパンを頬張るマーサ。ほらぁ、ワイアットも食べなぁー、なんて口いっぱいに入れ込んだ肉を咀嚼しながら言われる。ザック以外と食事をともにしたのは久しぶりだった。ザックはこんなに幸福そうに食べやしないし、口元にベタベタとソースをつけなかった。私はナプキンを差し出す。マーサは「ごめぇん」と呟きながら私の差し出したそれをしなやかな手で捕まえる。
「……その手、大丈夫なのか?」
「ちょっと痛いかな。冷やしたほうがいいだろうけどもう遅いだろうね」
ナプキンで子どものように口元を拭くマーサはけたけたと笑う。そしてもう一口ホットドッグを口に運んだ。私はその姿を見ながら瓶のまま登場した酒を喉に伝わせる。冷えた液体が食道を通っていく。私の前には酒とマスタードのかかったホットドッグ。マーサの前には私の酒の代わりに液体のチョコレートが致死量かかっているんではないかと思うチョコレートブラウニーが置かれている。子ども舌らしいマーサ。
「なんで違法のことしてる?」
マーサに連れられた場所は私が好んで住んでいる静寂な場所とは真逆の喧騒の街中にある一件の危険そうな店だった。店内を赤い蛍光灯がゆらゆらと彩る。ホットドッグ屋とは名ばかりの酒場のように思えるこの場所。女を持ち帰れるような酒場だった。
「得意だからと好きだから、ワイアットはどちらの回答が好き?」
「どちらも質問の回答にはならい。殴り合うのが好きならボクサーになればいい」
私はそこでようやくホットドッグを口に運んだ。ん、んまい。百ドル札を崩すのが惜しいくらいの安い値段なのに……。このコストパフォーマンスは驚異的だな。私は途端に語彙を失った。そんな私を見抜いたのかマーサは「でしょ?」と言いながら誇らしげに笑った。
「ワイアットって面白味のない人? そんなこと百も承知で違法行為しているに決まっているじゃん」
「……どういう理由があれ違法は違法。そこに一切の同情はできない」
マーサは食べかけのホットドッグを傍らに寄せ、チョコレートブラウニーにフォークを刺す。とろとろのチョコレートがテーブルに数滴飛び散る。
「それなのに俺のこと拾ってくれたんだ。ありがと」
ホットドッグを喉に詰まらせそうになった。ワイアットの笑みは、口角が綺麗に均等に上がっているのに、目が笑っていなかった。なにかを押し殺そうとする、なにかを押し込めようとする瞳。
そこでようやく私はマーサの瞳が海のように深い青い色をしていることに気付く。奥深くにある魂を抜き取られるような美しさだ。
どうしてもマーサを直視していたかった。いや、直視できない。そんな相反した想いを抱える。だから私は酒を飲むフリをしてマーサから目線を外した。少しだけぬるくなったような気がする酒が胃液と混ざり合う。目を惹かれた。これが一目惚れというやつか。いや、私は男性がタイプではない。やけに綺麗な双眼のおかげだ。
「私は病院勤務なんだ。だから気になっただけさ。知らん顔して通り過ぎて、遺体になって運び込まれたら嫌だからね」
「俺が死んだら病院には行かないから安心して。行くなら警察だよ」
くすり、と笑うマーサの言葉に胸の内側に棘が刺さる。嘘がきちんとつけない。
マーサの言うとおり、事件性──違法行為があったかどうか──があればマーサの遺体は警察に届けられるはずだ。違法行為をしている男を拾ってから、自身がFBIに勤めているということを語るタイミングを失っていた。咄嗟に嘘をついたが嘘のつき方が壊滅的に下手くそだ。
そんなときだ。ケータイが振動した。FBIから支給されたガラパゴスケータイが小刻みに震えている。気付くか気付かないか、どちらかと言えば気付かないその僅かな振動。FBIに勤めていなければこの動きを認知することは難しいだろう。もうそろそろスマートフォンに切り替わらないだろうか。どうせ現場を知らない上の人間たちが折り畳みのケータイでいいだろうという浅はかな考えだけで支給しているんだろう。あぁ、ヤダね。電話を取れなかった人間は現場から外されていくのを知っている。
マーサに断りを入れてから電話を取る。ケータイが示していたのはミラー捜査官の名前だ。
「“この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ”思い当たるものは?」
「ダンテ・アリギエーリが描いた『神曲』地獄篇第三歌に登場」
「仕事だ。遺体が上がった」
ナタリーのその言葉が鼓膜を突き抜けた瞬間電話は切られた。騒がしいBGMに負けずに聞き取れたのは私の耳がいいからか。ナタリーは私が明日から休みだというのを知らないのだろうか。休みのないナタリーにそれを言ったら殺されそうだな。
この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ、か。あぁ、FBIに勤めているというのを実感するよ。連続殺人鬼か? バラバラ死体か?
「わるい。マーサ、仕事が入った」
「急患?」
今しがた自分の仕事は病院勤務だと紹介したばかりだということに気付く。あぁ、まぁ…そんなとこ。とお茶を濁して私はばくりばくり、とホットドッグを食らった。
「マーサ。多分私は今晩帰ってこれないから部屋を使ってくれ」
「俺、そこまで君を頼りたくないよ」
「私は病院勤務だと言っただろ。君の容体が気になる」
私はマーサに部屋の鍵を渡した。そこに自身が口にした理由以外の他意がないことを信じたい。
露骨な罪と男たち 利己 @rikoshugi
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