「第2話」小さな劣情

 絵を馬鹿にされ、”アポロちゃん”に自尊心を粉々に粉砕されてから数週間が経ちました。


 私は彼女をギャフンと言わせるべく研鑽と練習をただひたすらに積み重ね続け、ただただ彼女の吠え面だけを脳裏に思い描きながら、憎しみと復讐心だけを薪にして筆を動かし続けました。


 「できた……!」


 そして二週間が経った頃でしょうか、私は家の勉強机の上で、自分が自信を持って上手いと言える一枚を書き上げることが出来たのです。


 私は翌日、学校に行くなりすぐにアポロちゃんの机の前に立ちました。彼女はやけに不機嫌そうな声色で、私に対して「なんか用?」と問うてきました。


 「この前のリベンジだ。俺の自信作を見ろ!」

 「リベンジ? ……ああ、あのヘタクソな絵の」


 そう言ってられるのも今のうちだぞ、と。私は心の中で勝利を確信しながら、絵が入ったノートを開き、彼女の机の上に叩きつけました。


 「──これは」

 「どうだ! 俺は、お前より絵がうまく」

 「ヘタクソだね」


 は? 私は思わず声を漏らしました。

 ですがアポロちゃんは追撃を行いました。容赦なく、先程まで描いていた絵を見せつけてきたのです。


 「なん、これ……ぇ!?」


 アポロちゃんの絵は更に洗練されていました。丁寧に線が描かれ、色もしっかりと塗られていて……絵画のような、しかしどうしてか親しみが持てるような柔らかさもありました。

 そうして私は再び自分の絵を見返してしまって、それがどうしようもないゴミに見えてならなかったのです。二週間前の、あの日と同じように。


 悔しくて、悔しくて。

 私が、私が生み出してしまったゴミを引き裂こうとして。


 「破るの?」


 アポロちゃんの声で、私の手は止まりました。

 彼女はものすごい剣幕で私を睨んでいました。嘲りも侮蔑も何も無い……ただただ、道理に反した悪人を見下すような、そんな厳しい目を向けてきていたのです。


 「一生懸命書いたのに、破るの?」


 私は燃え上がるような怒りを覚えました。

 誰のせいで、誰のせいで自分の絵に自信が持てなくなったのか、と。


 「お前が、お前がヘタクソって言ったから……」

 「お前はヘタクソなんだから、ヘタクソに決まってるじゃん。上手い私から見れば、お前の絵は幼稚でヘタクソだよ」


 ですが彼女は容赦も、加減もなく私に真実を突きつけてきました。

 私は怒りを通り越して泣きそうでした。もう嫌だ、絵なんて描きたくない……もう、たくさんだ。──ですがアポロちゃんが言いたいことには、どうやら続きがあるようでした。


 「取り敢えず、それ見せて」


 そう言って、彼女は戦意喪失していた私から絵を分捕り、それをまじまじと見つめました。

 私はそれが恥ずかしくて、またなにか言われるんじゃないかって、とても怖くて……でも取り返す勇気もなかったのです。そもそも私は、”教室のど真ん中で女子に話しかけた”という事実に赤面していたのです。


 「……線画も雑、色塗りも雑。なにこれ、目瞑りながら描いたの?」

 

 彼女がド下手くそな絵を描くのであれば、私は怒りに任せて彼女の頬をひっぱたいていたでしょう。しかし彼女は絵に誠実であり、ものを言えるだけの実力が有ったので私は何も言い返せませんでした。


 例えるならばそれはそう、巨匠に容赦なく叱られダメ出しをされるド素人でしょうか?

 今の今まで慢心し続け、それを周りにひけらかし続けていた私は体の内側から締め上げられるような痒さを覚えました。


 「でも、色彩感覚はいいんじゃない?」

 「……え?」 


 そう言って、アポロちゃんは笑いました。

 私にはその笑みの意味が、言葉の意味がよく分かりませんでした。ですがその笑顔に一瞬胸の奥がぞわりとして、呆気に取られているうちに、アポロちゃんは更に追い打ちをかけてきたのです。


 「前よりも上手くなってるとは思うよ。でも、まだまだヘタクソ」


 だから。そう言って、彼女は奪い取った私の絵を差し出してきました。


 「教えてあげるよ。絵、上手くなりたいんでしょ?


 この日から、私は胸の奥に小さな劣情を抱きながら、彼女に教えを乞うことになったのです。

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アポロちゃん キリン @nyu_kirin

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