不穏な未来を幻視したので師匠たちに相談に行ったら大変なことになった

葉島航

不穏な未来を幻視したので師匠たちに相談に行ったら大変なことになった

 燃えている。

 松太は火に包まれた部屋に立っていた。正面には固定電話やファイルの載ったデスクがあり、そこに火が移ったところだ。その手前で、黒革のソファと思しき物体がいくつも燃え盛っている。どうやらここは、事務所のようなところらしい。

 床はすでに足の踏み場もなく、悪ふざけで設定されたゲームステージのように、炎に塞がれている。

 黒煙を透かして、壁に掛けられた三枚の額が見えた。人相までは分からないが、誰かの写真のようだ。その下に、焦げかけたカレンダーがある。

 松太は目を凝らす。

 今年の今月。なんとかそこまでは見て取ることができた。

 やがて、炎は全てを覆い尽くす。

 松太はなすすべもなく、その場に立ち尽くすしかなかった。


 飛び起きた。

 全身を包む汗で、パジャマが肌に張り付く。

 カーテンの隙間から朝日が漏れている。どこか遠くから、鳥の鳴き声が聞こえた。

 ベッド脇に置かれた目覚まし時計は、午前八時を指している。しばし考えてから、今日は大学の講義もアルバイトもないのだからアラームをセットせずに眠ったのだと思い出した。

 幻視なんて久しぶりだ。

 まだ鳴り止まない心臓をなだめながら、松太は立ち上がる。コーヒーの一杯でも飲めば、気分も落ち着くだろう。

 松太には、他の人間にはない力がある。そのために、見えないはずのものを見、聞こえないはずの音を聞き、時にはそれらと相対してきた。幻視も彼の能力の一つに数えられる。いずれ来る災厄を予知する力――と言っても、今までにたったの数回だけで、最後に見たのは中学生の頃だ。

 どうしたらよいだろう、と考える。幻視の中のカレンダーは今年の今月を示していた。今日は二十四日だ。つまり、あと一週間のうちに、幻視したあの部屋が燃えることになる。

 松太の知っている部屋ではなかった。だから、他人事として捨て置くことができれば楽なのだろう。しかしそうできないところが松太の性分と言えるのかもしれなかった。

 それに、気にかかることが一つある。

 ――あの案件と、何か関係があるんだろうか?

 松太が人知を超えた存在を相手取ることに慣れている、というのは大学でも公然の秘密と言えた。彼自身がそう吹聴したわけではないのだが、人の口に戸は立てられないらしい。小中高と進学する中で、彼はあまりにも多くのそうした案件を解決してきた。そのどこかで彼と人生を交差させた者たちが、彼の功績を語るのだ。

 そうなると当然、松太のもとには相談事が寄せられることになる。まさに昨日、彼は新しい案件を受けたところだった。

 そこに来ての幻視である。ただの偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎるのではないか。彼はそう考えたのだ。

 一人で思い悩んでも仕方がないと、彼はカップにお湯を注ぎながら深呼吸する。

 ――師匠たちに相談してみるか。


「あらまあ珍しい顔が来たね」

「金でもせびりに来たのかい?」

「それとも死んでないか確認に来たのかい?」

「失礼しちゃうわね、アタシたちゃまだ七十だよ」

「見てのとおりピンピンしてる」

 戸を開けるなり、口早な二人分の声が松太を襲う。彼を前にまくし立てているのは、和服姿の老婆二人だ。

 言うまでもなく、この二人が松太の師匠である。子どもの頃から、彼は時折彼女たちのもとへ足を運び、力の使い方を教わった。

「顔を見に来たかったのもあるけど、ちょっと相談が――」

 松太が言い終える前に、二人が手を打った。

「この子が自分から相談に来るなんてね」

「成長したわね」

「高校時代の反抗期なんてね」

「俺が一人でやれるところを見せてやる、なんてね」

「息巻いちゃって」

「結局下手うってアタシたちに助けられてね」

「なのに、なんで来たんだよって膨れちゃってさ」

「そう思うと成長したわね」

「初めて会ったときなんてちんちくりんの小学生だったのにね」

「狐火に追い掛け回されてそこら中を泣きながら走ってたわね」

 老婆二人は、さすが双子とも言うべき猛スピードの掛け合いを見せつける。

「落ち着いて、竹ばあ、梅ばあ。とりあえず、家の中で話そうよ」

 たまらず松太が催促し、三人そろって居間へと向かう。家の中は線香の香りに混じって、どこかツンとした匂いがした。


 この街で竹子、梅子と言えば、それなりに名の通った双子の「祓い屋」だ。彼女たちはその昔、霊に追われている松太を救い出した。と言っても、彼女たちが指をパチンと鳴らしただけで狐火は霧散してしまったのだが。

 松太はそのときのことをよく覚えている。全力疾走の後で息も絶え絶えの彼を見下ろしながら、彼女たちは言った。

「災難だったね」

「悪いのはもう消えたから安心おし」

「それにしたって霊力の強い子だね」

「そりゃコバエが集まって来るさね」

「力の抑え方を教えなきゃならないね」

「力の使い方も含めてね」

「それで、どうする坊や?」

「アタシたちと一緒に来るかい?」


 竹子に茶を、梅子に茶菓子を差し出され、松太は回想から引き戻される。目の前では、示し合わせたように二人が煙草に火を点けていた。

「それで、相談っていうのが――」

 松太は今朝の幻視についてかいつまんで話す。幻視を見たのが久しぶりだから気になっちゃって、とも付け加えた。

 二人は黙って煙草をふかしていたが、彼が話し終わると二人同時にそれをもみ消した。

「分からんね」

「うん、分からん」

 そのあっさりとした物言いに、松太は崩れ落ちそうになる。

「分からないって、そんなあ……」

 現役の頃、二人がそんなふうに相談を切って捨てたことなどなかった。今は「祓い屋」を引退しているとはいえ、あまりにも扱いがぞんざいだ。

「分からんもんは分からん」

「情報が足りなさすぎるし」

「そもそも幻視なのかただの悪夢なのかすらも」

「分からん」

「うん、分からん」

 あれは夢じゃなくて幻視だ、と言いたいのを堪えて松太は頭を掻く。幻視か夢かを区別するのはあくまで感覚的なもので、人に説明するのは難しい。しかし、竹子と梅子はそんなこと百も承知のはずなのである。

 松太は腹をくくるしかなかった。

「でもね、昨日ちょうど新しい依頼が来たんだよ。それで今日幻視が起きるなんて、出来過ぎてるような気がしてさ」

 本当ならば、今も祓い屋の真似事をしていることは隠したかった。心配されるとか、反対されるとかいうことを懸念しているのではない。

 案の定、二人は手を叩いて笑った。

「依頼だってさ」

「誰からだろうね?」

「大学の女の子に決まってる」

「それも美少女」

「春が来てるね」

「おめでとう!」

「おめでとう!」

 松太はもはや無表情を通り越して石化している。

 こうなることは分かっていた。二人の頭の中はピンク色で、松太が女の子を追っかけるために霊を祓っていると思い込んでいる節がある。

 とは言うものの、今回の案件はたしかに同級生の女性から受けたもので、しかもかなりの美人ときている。こうなっては、何を言っても無駄だろう。

「その案件っていうのがね――」

 きゃあきゃあ騒ぐ老婆二人をジト目で見ながら、松太は話し始めた。


 依頼主は関谷美鈴という。松太と同じ大学一年生で、国文学史の講義を一緒に受講していた。と言っても、それまで面識もなく、せいぜい講義内のグループワークで意見を数回交換しただけの間柄だ。

 その彼女が、昨日の講義後、突然声をかけてきたのである。

「松太くんって、お祓いができるって本当?」

 何でも、友人の間で広まっている噂を聞いたのだと言う。大学内に、悪霊を祓ってくれる人間がいると。

「私、今すごく困っていて……」

 上目づかいで見つめられ、松太はとっさに目を逸らした。決して彼女の美貌にどぎまぎしたとか、体のラインが浮き出るような服装に免疫がなかったとかいうわけではない。彼女の肩に青白い手が載せられているのが一瞬見えたのである。それはすぐに見えなくなったのだが、彼女が霊障のようなものに巻き込まれているのは明らかだった。

 彼女の話はこうだ。

 つい先月、彼女の父親が事業に失敗したのだと言う。日本酒を取り扱う個人事業を彼女が生まれる前から営んでおり、これまで特にトラブルもなく安定した収入を得ていたのだが、突然固定客が一斉に離れてしまった。彼女の父は彼らをつなぎとめようと奔走したが、努力が実ることはなかった。離れていった客たちに尋ねても、彼らは一様に口を閉ざし、理由を語ることはなかったらしい。

 そのうち、家でもおかしなことが頻発するようになった。彼女は両親とともに実家暮らしをしているが、押し入れやふすまといった引き戸が、知らないうちに開けられているようになったのだ。初めは両親のどちらかが換気でもしているのかと思っていたのだが、それにしては回数が多く、昼夜問わず起こるのが気にかかった。

 ある日の夕食で、彼女は父母にそれを確認してみようと決めていた。しかし、彼女が口火を切る前に、父がその話を持ち出した。

「最近、家中の引き戸がどこもかしこも開けられてるのは、何だ?」

 それに対し、彼女と母は同時に返した。

「私も同じことを聞こうと思ってた」

 三人は顔を見合わせる。そのとき、三人のいる今の襖が静かに開いた。彼女はそのとき、襖の上部に引っ込む青白い腕を見たのだ。後から聞いたところでは、父と母も同じものを見たという。強盗か変質者かと、床下から屋根裏まで家探しをしたのだが、人はおろかその痕跡さえ見つからなかった。

 そんな中、さらなる恐怖が関谷一家を襲う。

 事業が傾いていることをどこでどう聞きつけたのか、どう見てもその筋の人間たちが頻繁にやって来るようになったのだ。

 彼らは融資をしてやると宣った。父親がそれを断ると、嫌がらせや恫喝まがいの真似を働くようになったのだという。

「毎朝、大が鵜に出ようとすると、家の前の通りにやつらがいて、にやにや笑ってこっちを見てくるの」

 美鈴は涙ながらに語った。

「いつも家にいるお母さんは、無言電話や呼び鈴の押し逃げに相当参ってるみたい。お父さんも、私やお母さんに何かあったらって不安がって、食事もとれなくなってる」

 そして当然、家の引き戸は気付くと開けられているのだ。時には、青白い手が視界の隅をよぎることもあるらしい。

 彼女の話では、堅気でない連中のことは警察にも相談しているそうだ。しかし、やつらの手口は巧妙で、警察が動き出すには決め手がない。

 家がこれほど大変な状況になったのは、家の襖を開ける霊たちが関係しているのではないか。

 そうして彼女は、松太へと相談を持ちかけたのである。


「とりあえず彼女の家に行って、引き戸を開ける存在について確かめてみないことにはなんとも言えないけどさ。幻視のこともあってなんとなく厄介そうな気がしたもんだから、こうして二人に会いに来たってわけ」

 松太はそう結んで、竹子と梅子を交互に見やる。竹子はのんびり茶をすすっているし、梅子に至っては舟をこぎかけている。

 竹子が咳払いし、梅子が傾きかけていた頭を持ち上げた。

「早すぎるね」

「うん、早すぎる」

 何が早すぎるのか、松太は理解できない。それについて問おうとしたところで、老婆二人はにんまりと口角を吊り上げた。

「いくらものにしたいと言ってもねえ」

「さすがに、いきなり家に上がり込むなんてねえ」

「いいかい松太。物事には順序ってもんがある」

「まずはデートに誘った方がいい」

「ドライブとかテーマパークとか」

「大人しい子なら映画とか喫茶店とか」

「そういうのを数回重ねて」

「それからチューをして」

「家に行くのはそのくらい段取り踏んでからさ」

「あんまりがっつきすぎると相手を怖がらせちゃうよ」

「実家住みならなおさらさ」

「親に紹介してもいいって思われる男になるのが先さね」

「でもやっぱり」

「春が来てるねえ」

「青春だねえ」

 今度こそ、松太は頭を抱えた。この人たちは、話を聞いていたのだろうか?

「あのね。だから僕はその子とどうこうなりたいなんて思ってないの。その子が霊のことで困ってるから、なんとかして――」

 松太の言葉を遮って、二人が笑い声を上げた。

「なんとかしてあげたいって」

「優しい子だねえ」

「それは昔から変わらんね」

「アタシたちの自慢だよ」

「孫みたいなもんだからね」

「でも優しすぎるね」

「うん、優しすぎる」

「だから、問題を見誤っちゃいけない」

「その子が困ってるのは霊のことじゃないよ」

「失業とヤクザに困らされてんだよ」

「霊はただの野次馬」

「面白そうなことがあれば誰だって覗きたくなる」

「人間と同じさね」

「閉めたら開けてくるって言うんなら、最初から開けてやればいい」

「最初から戸を半開きにしてやれば、勝手に開けられることはないからね」

「やつらは見たいだけなんだよ」

 ようやく霊について話してくれたと思ったら、初めから引き戸を半開きにしておけば問題なしという暴論まがいのアドバイスだ。本当にそれでいいと思っているのだろうか? それに、松太がそれをどう美鈴に説明しろと言うのだろう。喧嘩を売っているようにしか聞こえまい。

「そんな無茶な。依頼主が困ってるのに、霊を祓わないなんて」

 途端に、竹子と梅子はどこか神妙な顔つきになった。松太の言葉が胸に刺さったというわけでもなさそうだ。どちらかと言えば、聞き分けのない孫に呆れているといった様子である。

 二人はそろって人差し指を立てた。

「あのね、松太」

「アタシたちはもう祓い屋じゃないんだよ」

「引退するとき、アタシたちが何て言ったか覚えてるかい?」

「記憶の中からひねり出しな」

 彼女たちが引退するときに言った台詞。もちろん、松太はそれをよく覚えている。

「――『霊には霊の道理がある』だっけ」

 師匠たちは大きく頷いた。

「そう。霊には霊の道理がある」

「人に危害を加えるならアタシたちだって躊躇しない」

「でも、そうでもないなら、人が勝手にどうこうするもんでもないのさ」

「最近の若いもんは、霊と聞けばすぐに悪者だと決めつける」

「それですぐ祓おうとする」

「外が騒がしいから窓の向こうを覗いたら狙撃されるようなもんさ」

「この世には善良な人間も成仏しきれない霊もいる」

「割り切って共存していかないといけない」

 先陣を切って悪霊たちを成敗してきた彼女たちの台詞とは思えない。二人の引退がこうした思想に基づいていたとは、松太も知らなかった。

 結局、松太がここに来て得られたのは、幻視については情報が少なすぎて分からないというあきらめと、引き戸を開ける霊がいるのならば元から戸を開け放っておけばいいという助言だけだ。

 どうすればよいのだろうと彼は頭を掻く。師匠たちの言葉どおりにするのか、それともそれに反して美鈴の依頼どおりに霊を祓うのか。

「さて、じゃあ準備するかい」

「そうだね。荷物を出してくるよ」

 竹子が居間を出てどこかへ向かい、梅子が湯呑みを下げ始めた。

「準備って? 二人ともどこかに行くの?」

 松太が尋ねると、梅子がきょとんとした目を向ける。

「その、美鈴って子のところに行くんじゃろ?」

 松太の混乱はますます深まる。彼女の話に出た霊は祓わなくていいという話だったのではないのか? そもそも、二人が助力をしてくれるという話など、一言も出ていなかったはずだ。

「え? なんで? 霊のことは祓わないんでしょ?」

 松太が状況を呑み込めないでいると、重そうなケースを二つ提げた竹子がずかずかと居間に戻ってきた。

 ちゃぶ台の上にケースを並べ、留め具を外す。

 中身を見た松太は息を呑んだ。

「バレッタM八二。連射可能な上に長距離射撃も得意。かつ組み立ては十五秒で完了する」

 物々しい鉄の塊をてきぱきと組み立てながら竹子が言う。その横で、梅子も銃身へと手を伸ばす。

「AA―十二。フルオート射撃ができるショットガン。毎分三百発撃てる上に反動が少ない」

 和服姿の老婆二人がそんなものを装備していく光景は悪い冗談にしか思えない。

 松太はこの家に入ったときのツンとした匂いを思い出していた。

「その案件について、諸悪の根源は半グレどもだよ」

「大方、関谷家の顧客が離れたのもそいつらが圧力をかけたんだろ」

「事業を立ち行かなくして、法外な利率で金を貸し付ける」

「やつらのやりそうなこったね」

「美鈴って子の家に行けば、そのうち連中の下っ端に会えるさね」

「そいつらを締め上げれば、すぐに事務所まで案内してくれるはずさ」

「あとは、今のアタシたちのやり方で、始末をつけてやればいい」

「いいかい、松太」

「霊には霊の道理がある」

「そんでもって、

 おぼろげながら、松太は自分の見た幻視の意味を理解し始めていた。あれはつまり、そういうことだったのだ。

 片やバレッタ、片やショットガンを構えた師匠たちは真っ直ぐに彼を見つめる。その後ろには、焼けつくような陽が射していた。

「それで、どうする坊や?」

「アタシたちと一緒に来るかい?」

 呆気にとられたまま、それでも松太は大きく頷いていた。

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