第二話 古非思吉 〜こひしき〜
「そうだなぁ。おまえの父親、
文字の読み書きはもちろん、オレなんかわからない、難しい
「うん。」
「武芸も、これは、と思った人には積極的に教えを乞い、剣も弓も、とても強かったぞ。」
「真比登さまよりも?」
「はは。それはない。オレはオレより強い
それでも、
「あたしのお父さま、たいしたものだったの?」
「うん、そうだ。
あと、
「あたし、生まれてから、一度も会ったことない。顔も見たことない。」
「…………。」
真比登さまは無言になり、抱き上げた
「源は、絶対、帰ってくる。
今は遠く唐にいるが、必ず、
それまでは、オレや
ここにいる
……な?」
「ぐすん。」
「ありがとうございます。真比登さま……。」
哀しみと、感謝の気持ちでいっぱいになりながら、真比登さまから、櫨根売を受け取った。
抱っこした娘を、ぎゅっ、と抱きしめる。
「
櫨根売は、
涙と、すべすべした頬の感触が伝わる。
「
(寂しい思いをさせて、ごめんね。)
「良い子ね。泣かないで。真比登さまの言うとおりよ。泣かないで……。」
(
帰ってきて。
待ってる。
あなたの娘も、待ってるの。
顔が見たい。
……寂しい。
でも、あなた以外の
あなたは、
遣唐使が帰ってきたという知らせは、まだ来ない。
生死さえも、わからない。
* * *
女官は住み込みである。
今はその部屋で、娘、
その夜、母娘の部屋で、
「あたし、真比登さまが本当のお父さまなら良かった。
皆、お父さまがいるのに。
あたしだけ、母刀自はいてもお父さまがいない。
なんで?
どうして?
あたしも、本当のお父さまが欲しい。
大人の人は皆、あたしのお父さまは、かっこよかったって、頭も良くて、強かったって教えてくれるけど、一度も会ったことないもん!
いないもん!
なんで母刀自はそんなお父さまを選んだの?
そんなお父さまで、良かったの?
本当は、愛されてないんじゃないの?」
「
びくっ!
それを見て、
娘の言葉の数々は、
普段は哀しみを抑え込んで、娘の前では泣かない母親が。
「───う、わあああああ!!」
顔をおおって、哀泣しはじめた。
「わあああああああああ…………!」
「母刀自……。ごめんなさい。もう言いません。ごめんなさい……。」
母親のむき出しの哀しみに触れた娘は、ぽろぽろ泣きながら、うつむき、唇を噛み締めた。
泣いて、泣いて。
部屋の戸の外に、
「
と、声をかけにきてくれた。
他の女官たちも来てくれて、
「
「母刀自。あたしこそ、ごめんなさい。あたしのこと、嫌いにならないで。」
「なるわけないわ。大好きよ、
あなたの目元は、あなたのお父さまにそっくりなのよ。
あたしは、あなたの顔を見るたび、ほんの少し、お父さまを感じることができるの。あなたが、血を受け継いでいるからよ。
たしかに長らく、お父さまに会えていないけど、それでも、あたしは幸せだわ。
だって、あなたがいてくれるもの。
母刀自はね。お父さまを愛しているの……。」
母と娘は、ぎゅっ、とかたく抱き合った。
(逢いたい。逢いたいよ、
* * *
しましくも
見ねば
※しましく……しばらく。すこしの間。
※
※
万葉集 作者不詳、ただし、
* * *
身体は遥か上空に浮かぶ。
つま先で、流れる雲を蹴り。
群青の夜空を滑るように飛翔する。
腕を広げ。
指先が触れれば、星々が
……呼ばれているからだ。
小さな明かりが見える。
遠くとも、必ず、そこへたどり着く。
見失ったりしない。
あたしは、あそこに誰がいるか、わかってる。
遠かった明かりが、ようやく、近くなった。
……ほら、
雲間を滑り降り、紺碧の湖に足先でふれ、水の波紋を作りながら、暗緑色の森林の、寝静まった夜の床に行きつく。
源は岸辺で座り込み、己を抱きしめ、うつむき、身体を小さくして、ぶるぶる震えている。
……どうしたの?
あたしはそう声をかけたが、たしかに口にしたはずの声が自分の耳に聞こえない。
おそらく、
これは、夢。
きっと、
慕い合う男女が、夢で
それが、
この夜の森には、あたしと源しかいない。
源は、不安そうにぶるぶる震え続けている。
……慰めてあげたい。
あたしは微笑み、薄桃色の夜着を肩から落とし、一糸まとわぬ姿で、源のほうに歩いていった。
青みがかった月の光が、あたしの身体を白く照らす。
源が、やっと、あたしに気がついて、弾かれたように顔をあげた。
心なしかやつれて、涙に濡れている。
何かに絶望したような、ひどく辛そうな表情をしている。
……いつも日の光のように輝き、自信に満ちていたあなたが、なぜ、そんなに打ちひしがれているの?
源は、ぱくぱく、口を動かした。
何を言ってるのか、声は聴こえない。
源は、ぼろぼろ泣きながら、懸命に口を動かしてる。
わ、か、お、お、ね、め。
そう言ってるのがわかった。
みなもと。
あたしも、愛しい
源は泣きながら、すがりつくように、あたしに抱きついてきた。
夢中で唇を重ね、源は性急な動きで自分の衣を脱ぎ捨てた。
いくら唇を重ねても、感触は良くわからず、源の頬に口づけしても、涙の味はしない。
これは夢。
でも目の前に見える源は、顔の輪郭まではっきり見えている。
ああ、源。
肩を抱き、頬にふれ。木の葉から落ちる露で身体を濡らし。はあ、とため息をつき、懐かしい身体に身を任せる。
暗い森。
さざなみに揺れる、
感触はふわふわ、良くわからなくても。
愛の全てを思い出し。
源の涙は乾いた。
いつまでもこうしていたいが、もう時間だ。この夢が終わりを告げるのを、なんとなしに感じる。
もう、帰らねば。
源の頬をなで、にっこりと笑いかける。
源の目には強い光が蘇り、あたしへの
……源。
待ってるからね。
言葉は源に聞こえなくても、伝わるように、ゆっくり唇を動かすと、源は、こくん、と頷いた。
あたしは、とっ、とっ……、と、静かな湖の
空に舞い上がる。
───完───
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088219834300
見ねば恋しき 〜若大根売は待つ〜 加須 千花 @moonpost18
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