第7話「5年と半年越しの告白」

 午前8時30分、翌日の日曜日。

 聖花さんの家のシングルベッドで、僕は目が覚めた。昨日の記憶は確かに残っている。本当に楽しい夜だった。失うものなど何もないとでも言うようだった。雀の鳴き声が聞こえてきてもおかしくはなかった。

 ベッドに聖花さんの姿はない。代わりと言うように、換気扇の音がキッチンからする。朝ご飯でも作ってくれているのだろうか。僕はベッドから出て、キッチンに顔を出してみた。聖花さんは棚から皿を数枚取り出していた。


「おはよ。一誠君」


 慣れない名前呼びにドキッとする。そして、赤面する程恥ずかしくなった。そんな僕を、聖花さんは微笑みながら見ている。

 僕らはあの時から、お互いをちゃんと彼氏と彼女として認識するようになったのかもしれない。今までの付き合いに意味がなかったわけではない。だが、ここからが本番だと心が告げている。


「おはようございます。聖花さん」

「ふふふ~。あとちょっとでご飯できるからね」

「わざわざ僕の分までありがとうございます。何か手伝いますよ」

「ううん、座ってて。でもありがとね」


 同棲しているようで少し新鮮な会話だった。

 朝ご飯は思っていた以上にはやく出来上がった。歯を磨いて顔を洗ってから座ると、それから10秒もせずに換気扇の音が止まり、食卓に卵焼きとウィンナー、みそ汁、炊いた白米が並ぶ。典型的な朝ご飯だ。何気に、聖花さんの手料理を食べるのも初めてかもしれない。簡単なものばかりだが、それでも聖花さんの愛情を感じるには十分だった。


「いただきまーす」

「いただきます」


 卵焼きを一つ、ぱくっと食べてみる。優しい味だった。しょっぱ過ぎず、甘すぎずの丁度いい味で、作った人の性格が表れているようだった。他も同じように、美味しかった。このご飯なら、毎日食べても良いと思えた。

 朝ご飯を食べ終えたら、身支度をしてすぐに帰ることを伝えると、聖花さんは「駅まで送りたい」と言った。僕はもちろん承諾する。他にも、今日一日はこの家にいてとか、今日はデートしたいとか言われた。だが、残念ながら今日はやることが出来てしまった。少し、試したいことがあるのだ。

 朝ご飯を食べ終えて身支度をし、さっそく聖花さんの家を出た。今日は雲一つない快晴だ。だが暑さを感じる事はなく、むしろ服装次第で少し寒く感じるくらいの涼しい風が吹いていて、丁度いい気温だった。

 そんな良い天気の中で駅に向かって歩いていると、聖花さんが僕に言う。


「昨日、アイマスクを外した時さ」

「はい」

「アイマスクが外れて、一誠君の素顔を見た時に『私はこの人の彼女なんだ』って思ったんだ。今まで、ただの相談相手としか見てなかったなって、そう思った」

「……別に気にすることないですよ」

「一誠君はほんと優しいね。でも、私はずっと一誠君に酷いことしてきたよ。私との関係なんて嫌になって当然だったはず。それでも、一誠君はずっと私の愚痴や相談を聞き続けてくれた。一誠君は、私を愛してくれたんだ」

「当然のことをしたまでですよ」

「こんなの当然じゃないよ。本当にありがと。感謝してもしきれないや」


 そう話しながら歩いていると、もう西日暮里駅の目の前だった。 


「そろそろ、付き合い始めて一年じゃん?」

「早いですねぇ。懐かしいな」

「私が最初に一誠君を呼んだことをたまに思い返すんだけど、そういえば、よく一誠君を呼べたなって、今になって思うんだ」

「……聖花さんは、高校の頃男友達多かったですもんね」

「そうじゃないよ。私が初めて一誠君に相談したことは、簡単に言えば『必要とされたい』って一言に尽きるじゃん?そんな頼みを、よく一誠君に頼めたなって」


 そういえば、確かに僕を選ぶのはおかしい。自分を必要としてくれる人を選べるのなら、自分の好きな人を選んだって構わないだろう。聖花さんが僕を選んだのは間違いではないが、同様に他の人を選んだって間違いではないだろう。選んだ人が聖花さんを大切にするのであれば。


「あの時は辛い思いしかなくて、何もかも後先考えずに行動してた。だから一誠君を呼んだのも無意識でさ。私、忘れてたんだ」

「忘れてたって、何を?」

 

「……高校の頃、私は一誠君が好きだったこと」


 僕は「えっ」と呟く。頭が真っ白になっていた。


「誰でも良いから必要とされたかったわけじゃない。必要とされるなら一誠君が良いって心が叫んでた。だから、無意識に一誠君を選んでた。あの頃は何でもできるってよく褒められてたくせに、実はシャイで、好きな人に気持ちを伝えることだけは出来なかったんだよ」


 僕はふふっと笑う。


「この告白、5年と半年越しですね」

「うん。待たせてごめんね、一誠君アイ君」 


 僕は聖花さん眞城先輩に歩み寄り、思いっきり抱き締めた。愛を感じた。聖花さん眞城先輩を感じた。僕と聖花さん眞城先輩の間に距離はなかった。だが、いつもベッドの上で抱き締めたり、キスしたりしている相手なのに、今しているこのハグはそれとはまったく違った。


「次はいつ会える?」

「聖花さんが僕を呼んだら、いつでも」

「もう……ありがとね」


 僕はハグをやめて、聖花さんに「じゃあ」と一言言ってホームへ向かった。ふと聖花さんのほうを見ると、聖花さんは僕に向かって手を振っていたので、僕も聖花さんに振り返す。


 帰ってきたら、僕は本来やろうとしていたことは全て無視して、収納ロッカーからガサゴソと物を探した。卒業アルバムが入っていた段ボールをまた取り出して、その中から36色の色鉛筆を見つける。その色鉛筆だけを取り出して、あとは全てロッカーにしまった。また、引き出しからコピー用紙を1枚取り出し、机の上にあるものを全てどかして、コピー用紙と色鉛筆を机に置いた。

 僕は壁にかけてある風景画を見た。高校の頃に描いた、森と湖と遠くに山とが描かれた風景画で、今まで書いてきた絵の中で一番の自信作だった。風景自体も気に入っていて、この風景を何度も絵にしていた。僕はその絵を通して風景を見て、額縁の絵を模写する。当然、下手だ。もう何年も描いていないし、そもそも実際に風景を観察して描いてはいない。違和感を感じる部分は多々ある。だが今はそれでも良かった。改めて進む一歩が小さくても、進んだのなら良かった。完成した絵は雑な出来映えだったが、僕は満足だった。

 この絵はどこの風景を描いたものだったか、もうとっくに忘れてしまったが、高校生の僕はこの風景を描く度に「好きな人とこの風景を眺められたらな」と思っていた。当時は開のことだろう。開は自然を見て感動するようなタイプではなかったが、それでも当時の僕は開と一緒にこの絵の場所を訪れたかった。しかし、今この風景を描いても、開と一緒にこの風景を眺めたいとは思えない。


  僕は聖花さんとこの絵の場所に行き、そしてこの風景を眺めたいと、無意識に思っていた。


 今更その心境の変化に驚きはしなかった。だが、これ以上に分かりやすい心境の変化はなかった。僕は堕落から完璧に起き上がることが出来た。

 今後、もし聖花さんとの関係に疑問を持つことがあれば、そんなときはまた絵を見るなり描くなりして確かめてみればいい。その時自分の心が思い浮かべた世界で、自分の隣に誰がいるかを考えれば、疑問なんかなくなるだろう。僕は心の中で、聖花さんとこの風景を眺める想像をしばらく続けていた。



 

【完】

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