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「『正しくあれ』と言わない優しさ」

 デミアンを読み、著者のヘッセに興味を持ったから買った本が同著『シッダールタ』なんだけど、数あるヘッセの本でシッダールタを手に取った理由としては、帯紙で女優さんが「この本には『正しくあれ』と言わない優しさがあります」と仰っていて、それに気を引かれたからでね。実際に買って読みました。確かに優しさがあった。主人公シッダールタは優秀でありながらも、途中で愛と金の世界に入り堕落していき、されど最終的には悟りを開くというお話だった。
 当時、俺は「『正しくあれ』と言わない優しさはここだな〜」と話についてちゃんと理解してはしていたけど、それに対してインスピレーションを受けたわけではなくて。現代で悟りを開く女子高生みたいな感じの、シッダールタ二次創作みたいなのは書きたいって思ったから、作品からはインスピを受けたけど、その優しさからはなにも受けなかったんです。
 でも最近、1つヘッセとは関係ないお話を読みましてね。そのお話は、金と人殺しで自分の社会的地位を上げていく主人公と、学問で地位を上げていく人の2人がいて、結局金などが勝ったっていうお話なんだけど、なんかこう……悪が勝つみたいな、この世の醜い部分をかき集めた感じのもの、既視感だな〜って思い、思い出したのが「『正しくあれ』と言わない優しさ」なんだよ。いや最近読んだその作品に、そんな優しさは多分ない。でも、妙に共通点がたくさんあるように感じてならない。その優しさについて、1つ理解を深めた瞬間だったんです。
 俺が皿洗いをしている時に、母親から皿洗いとは別件で少し怒られた時のこと。母親の話を聞きたくないから、俺はあえて水道水を大量に出して、その音で母親の声をかき消したりしてなんとか聞こえないようにしてた。母親が別の部屋に行ってやっと静かになった時、ふと「正しくないなぁ」と思ったんです。俺はね、ここで初めて「『正しくあれ』と言わない優しさ」からインスピレーションを受けたんだよ。もし自分が本当によくできた人間でも、それかもし誰か本当によくできた人間が皿洗いをしていても、母親に怒られた時はこうするのかなって思ってしまった。
 いや、本当によくできた人間ならそもそも怒られることがまずないだろう。でも、母親から怒られない子供って虐待されているのではないか。じゃあ、誰だって母親に怒られるよな。つまり本当によくできた人間というのはいないということだ。そしてそれすなわち、誰も正しくないということだ。
 俺はその気付きをきっかけに、シッダールタの人生だけでなく、どんな人間の人生を物語にしても「『正しくあれ』と言わない優しさ」を読者に伝えられるのではないかと思ったんですよ。あ、事実とは結構盛ってる。今の話はただのかっこつけ。正しくないね。でも、似たようなことを実際に考えて、それで1つ物語を書きたくなりました。書きたくなった話のテーマは、まさに「『正しくあれ』と言わない優しさ」です。俺は久々に書こうと思います。今年の夏でね。

 結局、長々と文を連ねたこの文で言いたかったのかというと、ただの決意表明をしたかっただけなんですけど、そうでもしないと一生書かなくなりそうなのでね。実際今年に入ってからまだ一回も小説を書いていないので。そのくらい久しぶりに書くお話だから、文章力も大分落ちてると思うけど、そのうち投稿されてると思うんで、もし世に出たら是非読んでください。
 ここまで読んでくれてありがとうございます。ではまた今度。

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