時期尚早
ガラリと、鍛錬場の扉を開ける。中には怒り心頭の様子の雅客が仁王立ちしていた。
「今日は遅かったな。どうした。舞いたくないのか?月読命を尊ぶ舞いだぞ!」
雅客に怒鳴られて橡は一瞬震えたが、すぐにパッと顔を上げて雅客を睨んだ。雅客はその様子に目を細める。
「父上…いえ、雅客。あなたが私の舞を利用して妖気を月読命に送っていたことは分かってるんです。あなたを倒させていただきます。」
雅客は驚いたように橡を見た。少ししてはっとしたように眉を顰める。
「なんだ?そんなことするわけないだろ。頭おかしくなったのか?」
橡は、思わずグッと手を握りしめた。ぎゅっと目を瞑って逡巡し、少ししてぱっと開く。
「もう、あなたを父とは思いません。あなたは赤の他人です。月読命を冒涜した、妖です。だから私は、あなたを倒します。」
雅客が身構える前に、橡は印を結んだ。深く息を吸う。ピリピリと空気が弾ける。
「臨める兵闘う者、皆陣の烈れる前に在り!」
裂帛の気合いで、漆黒の髪がぶわりと揺れる。次の瞬間、清らかな光が広がった。
「急々如律令!」
印を振り下ろす瞬間に力が放たれる。雅客はパッと結界を張った。強固な結界で、並みの術者なら破れない。橡の力をもってしても、破れなかった。
「そんなもので俺が倒せると思ってんのか!」
その言葉と同時に、わっと妖気が襲い掛かる。橡は咄嗟に身を縮めた。
「はばめっ」
ぎりぎりで妖気を防ぐも、衝撃でふらついてしまう。橡は唇を噛んだ。手が震える。
(いつもよりもうまく力が出せない…!どうして…)
妖気による爆風の中でどうにか体勢を立て直した橡は再び印を結んだ。
「縛れ縛れ、蔦の如く!」
直後、雅客の体に蔦のような光の線が現れ、拘束した。しかしそれは、一瞬で消え去る。雅客の顔に嘲笑が浮かんだ。
「はっお前に俺のことは倒せない!馬鹿めが!」
雅客は口の端を持ち上げた。さらに言葉を続けようとしているのを見て、橡は嫌な予感に身を硬直させる。
「お前はすでに、媒介として何をしていても活躍してんだよ!お前が死なない限り月読命、いや、着黄泉命に妖気は送られ続ける!」
橡は、はっと息を呑んだ。それは、雅客ならできてもおかしくないことだった。橡の膝の力ががくりと抜け、座り込む。
(嘘ですよね?そんなこと、あっていいはずがありませんから…何をしていても媒介として、活躍…死なない限り、ずっと妖気を送り届ける…?そんな…舞っていたからでしょうか?長い間…私は…)
雅客は勝ち誇った笑みを浮かべると、妖気の塊を橡に叩きつけて消えた。しかし橡はそれにも反応できずに倒れ伏し、動かなくなった。
紫苑は、月読命に言われて橡の様子を見にいつもの修行場へと向かっていた。何やら嫌な予感がして、周りを見渡す。次の瞬間木々が唸り、紫苑は思わず袖で目を覆う。
(なんだ…?なんか嫌な予感がする…橡関連か?まさか、雅客!)
ぶるりと体を震わせ、紫苑は再び足を動かし始めた。だんだん風が弱まってきているので、次第に小走りになる。しかし慣れない山道なので何度もつまづきそうになってしまっている。数分走り続けている紫苑の肩を、誰かの手が叩いた。紫苑はばっと振り返った。
「つるっ…月の君でしたか。やはりこの風は橡関連ですか?橡に何が!」
月読命は、質問攻めにする紫苑を呆れた目で見ると、ため息をついた。
「落ち着け。風に混じる妖気に侵されつつあるせいで不安が倍増されているぞ。私が近くを通らなかったらどうなっていたか…あやつは無事だ。今も妖気は送られ続けているからな。その代わり、あれも生きている。今はどこかに行ったようだが。」
紫苑はほっと息をついた。しかし月読命はそれを咎めるように見る。
「何を安心しているのだ。不安が増大されているとは言ったが、安心して良いとは言っていない。今の風はなんなのか、考え直さなかったのか?あれは、橡とあれの対決だ。おそらく、あれが勝って逃げたな。橡が心配だ。行くぞ。」
月読命は、急に加速して動き始めた。紫苑ははっとしてすぐにそれを追う。月読命の隣だからなのか、不安は残ってはいるもののそれ以上大きくなることはなかった。
次の更新予定
闇を切り裂く、光の雫 華幸 まほろ @worldmaho
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