無政府主義者たちの宴
「百回ごめんなさいと言え、ユメ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
祭華に言い付けられ、嵩夢は呪文のように謝罪を唱える。
「てゆーか、たか兄!静かにして!もうすぐ販売の時間~」
「あ、ごめん!」
隣の部屋から壁を叩く音とともに、椿の苛ついた声がした。
取り繕わないその声を聴いて、祭華のボルテージが上がる。
「椿!お前も大概にしろ!人形だのなんだの。ユメみたいになるぞ!」
「え~、カッコ良くなっちゃうって事?」
「耳をオキシドールで洗って来い!」
祭華は壁越しに文句を言い続ける。
かなりご近所迷惑風味だが、実際はそれほど問題ではない。
今彼女たちがいる五階フロアの二部屋と下の四階の二部屋は朱木選挙事務所が借り切っているし、上の六階も空き部屋とのことだ。
「椿は、なにしてるの?テディベアがどうのっていうのは、分かったんだけど」
「お前と同じ病気だよ。限定の人形が発売らしい。それでネット注文に、高性能PCと整ったネット環境が欲しかったらしい」
「なるほど。そういうのは競争だもんね」
「間違っても椿の前で同意するんじゃないぞ。調子に乗る」
「いいじゃない。それぐらい」
「よくない!!とにかく、ユメ、お前はさっさと食べろ」
「ふぁい!」
嵩夢は、用意されたトーストをスープで流し込んでいく。祭華はとっくに食べ終わり、部屋の隅にある大型のPCを弄っていた。
今二人の居るこの部屋は、リビング部分の中心にテーブルが置かれ、会議室の様な雰囲気。壁際に何台かのPCと、サーバーらしきものも置いてある。奥の部屋は仮眠室兼資料室になっているとのことだ。椿の居る隣の部屋は、PCが一台と動画撮影用の機材が置いてある。
「ぬ?ユメ、スープで流し込むとは行儀が悪いな。百回噛みなさい」
「でも、りか姉も似たようなものだったよ?」
「私は大人だから良いのだ」
「僕だって大人だよ……」
祭華は暫く前からPCを操作し、なにかの準備をしていた。その準備が出来たらしく、ようやくPCから顔を上げた。
「オッケー、準備は整った……ん?なんだ、まだ食べているのか?早く食べなさい」
「相変わらずだね、りか姉!ごちそうさま、美味しかったです!」
嵩夢は台所に食器を持って行き、代わりにコーヒーを運んで来た。祭華はパソコンを弄りながらコーヒーを受け取る。
「砂糖はあるか?」
「持って来たよ」
「うむ」
コーヒーに砂糖を幾つ入れるか思案する祭華の横に立ち、嵩夢はパソコン画面を覗き込む。
「なんのツール?」
「動画の再生回数を増やすツールだ。今回は小規模に済まそうと思っているので、それで十分だ」
「ふ~ん」
解像度の高い画面には複数の窓が起動しており、幾つかのプログラムが走っていた。
何個かの動画サイト、動画再生ツール、投票権取引所の専用ブラウザ、複数の掲示板、情報サイト、何かのチャートなど、様々なものが五つのモニターで動いている。
「アナーキストの仕事を見せるって言われても、アナーキストの仕事って、選挙に関係ないって聞いた事あるんだけど?」
「ああ、ない。要するに、そこに関わってしまったお前は、選挙に関係ないって事だ」
「う……首相になって、二次元規制の法案を撤回するのは」
「夢は寝てる時に見ろ」
「うう…」
こうもピシャリと言われてしまっては、嵩夢も俯くしかない。
祭華は嵩夢の方を見ず、モニターを眺めながら説明を始めた。
「今から私がする事が、『候補者を食い物にする』という事だ。お前が諦めきれないと言うから、見せてやる現実だ。心して怯える様に」
祭華は幾つも開いたブラウザの内、投票権取引所のHPのフォームに何かを打ち込んだ。
普通の人にとっては立候補者の名前と投票権の金額、投票権の買い替えフォームしか載ってない簡素で関心の湧かないサイト。アナーキストは、そんなバターナイフの様な面白みのない刃で、立候補者を解体して喰うのだそうだ。
「画浦忠志。こいつが今回の犠牲者だ」
「う…うん」
祭華は投票権取引所とは別のブラウザを示した。そこには蒲生忠志の顔写真や様々な情報が載っている。
爽やかな中年男性と画面越しに目が合った気がして、嵩夢は俄かに緊張してきた。
「保有票は三百票、値段は一万二百円。サッカーの振興を目的に立候補したノーリンクだ」
祭華は掲示板を巡りながら、必要ない情報を読み上げていく。その間にも、蒲浦の投票の値段を表す数字と、別窓の何かのチャートが上昇していく。
「りか姉、これ……」
「ん?珍しいか?それとも『どこかで見たか?』」
「僕の投票権の値動きもこんなチャートだった。でも、それより速い」
祭華の仕事開始四十秒にして、示される値段は三万円を突破していた。それはつまり、さっきまで一万二百円だった画浦忠志の投票権が、現在三万円に値上がりしている事を示していた。
「そろそろだ」
値段が四万に差し掛かった時、祭華がパソコンに何かを打ち込んだ。
そして、数秒後。嵩夢は目を見開いた。
「りか姉!数字が凄い勢いで下がってる!」
「ああ。それが仕手戦だからな」
祭華の行為の結果かのように、数字は乱高下を始めた。上に下に激しく動くそれは、苦しみ、嘆く蛇のよう。ネットワークを介して繋がる悪意なき害悪に噛み付かれ、肉を喰われていく獲物の断末魔。突然の悪夢を見せられたようだった。
そして、数字が一万円付近まで下がった所で、蛇は息絶えた。さっきまでの急上昇などなかったかのように、チャートは横ばいを示し出す。
「保有票、百三票?りか姉……」
「値段は一万二十円か」
嵩夢は自身の足下が震え出すのを感じた。
画浦を取り巻く環境は、ほんの一分前より悪くなっている。いや、悪くされたのだ。無政府主義のトレーダーの小遣い稼ぎの為に。
初めてアナーキストが獲物を喰う瞬間を見た嵩夢でも理解した。
この見知らぬ……おそらく何かが好きという気持ちだけは自分と一緒の……画浦という人間は、決して議員に成れないと。
いつかはバーンノーティスになるのだと。
「……ほら、ユメ。これで旨い昼ご飯と、お前の服を買って来い」
「え?」
「大丈夫。お前はお姉ちゃんが守ってやるから」
嵩夢はボウッとした意識で、差し出されたマネーカードを掴み、眺めていた。
恐らく中身は三万円。この一分間で千切れた、蒲浦という人間の夢の切れ端の値段だ。
「……どうした?ユメ?」
嵩夢は目の前が真っ暗になった気がした。この世界が一体何か分らなくなった。
技術は使い方次第で、人の役にも害にもなるという。そんな在り来たりの言葉が、今実感を以て嵩夢に張り付いた。祭華は今技術を駆使して『人を殺した』のだ。それも全く落ち度なく。手が血で汚れる事も、法に怯える事もない。ある種の完全犯罪。その罰と言えるのはアナーキストとの謗りと、手の中にある三万だけ。
――本当にこの世界が分らなくなった。
皆の意見を汲み、幸せにするためのRVSが人を殺す。祭華や他の誰か達は、ずっとこうして人を殺し続けて来て、これからも殺していくのだ。
一体世界は誰の為にある?
何の為に生まれた?
自分はこんな人達と戦わないといけないのか?
嵩夢は黙り、ぽつりと溢した。
「これ、僕にくれるんだよね?」
「ああ。お前は暫くここに居て貰う。何をしでかすか分らないからな。夜逃げだって、こんな、パソコンと人形しか持ち出さない困った奴だからな」
祭華は、無駄に優しい声で笑った。震えの止まらない弟を見てだろう。
「……分かった。ありがとう」
正直、嵩夢は祭華に対して怒りを感じていた。人を殺す事に何も思わぬ姉に、嫌悪すら感じた。けれど、最大限に理性を働かせて、マネーカードを握りしめる。
意地を張ったって仕方がないのだ。画浦忠志という見知らぬ人に同情したって、彼の現状は良くならない。ならば、自分の志を貫く以外に、嵩夢に出来る事はない。
現実を恐れた今、やっと未知が見えたのだから。
嵩夢は祭華を真剣な目で見詰めると、マネーカードを突き返した。
「なんのつもりだ?」
祭華は怪訝な顔で、嵩夢を見た。弟に嫌われたかなという諦めと、それでもこれ以上甘い事を言うなら、顔の形が変わるまでドツキ回してやるぞ、という燻火が見受けられた。
けれど、嵩夢だって分かっている。
――自分を助けてくれたのは、目の前の殺人鬼だ。
何も知らず、狼の狩り場に迷い込んだ間抜けを救ってくれたのは、目の前の孤狼なのだ。
――ならば、嵩夢の出来る事は一つ。
小さき牙を剥き、頼りない刃を手に取り、震える足を見ない振りし、人を殺すのだ。
「アニメを守るために、僕を首相にして下さい。というか、助けてリカ姉!謝礼は出すから!」
「は?」
祭華はポカンと口を開け、嵩夢を眺めるしかなかった。
今、なんて言った?頼み事?違う。自分を雇うという。この愚か者が。
様々な驚きが、浮かんでは消えていく。間抜け面を晒してしまった祭華は、無意識にマネーカードを受け取ってしまう。
「そうか…」
「……うん」
祭華は目を逸らし、窓の外を眺めた。
空に突き立つ寂れた高層の建物達が、なんだか自分達を閉じ込める牢みたいに思えた。
この国を救うために僕を首相にしてください!アニメ規制なんて絶対にさせません 月猫ひろ @thukineko
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