教えて!椿ちゃん

「さて、お前達。どうして自分が怒られるのか、分かるか?」

「はい、ごめんなさい」

「てゆーか、分らないんだけど」

 祭華は鼻息荒く、ソファーで足と腕を組んでふんぞり返り、前に座る嵩夢と椿を見下ろしている。

 嵩夢と椿はテーブルをどかした場所で、祭華を前に正座う状態である。

「椿は、学校も行かず遊んでるからだ!」

「出席日数足りてるしー!それに今日はボンボヤージュの限定新作の発売日だから、特別だもん!」

 椿は変わらず口が減らない。祭華はとっとと高夢を叱りたい苛立ちから、椿を睨み付ける。

「クマの人形と自分の人生、どっちが大事なんだ!」

「ひっどーい!人形じゃないもん!てゆーか、テディベアは人生だもん!」

「あれは布で出来た人形だ!」

「違うもん!まつり姉は可愛くないから、可愛いものの魅力が分からないんだよ!」

「お前のは、ガキ臭いっていうんだ!あれは子供のためのものだ!」

「そんな訳ないでしょ~!本当に子供のためだったら、大人にしか買えないような値段にならないもんね~。まつり姉、あれが幾らすると思ってるの?」

「そうだ!お前は、幾らすると思ってるんだ!」

 売り言葉に買い言葉で、どちらも熱くなっていく。

 ヒートアップする姉妹の喧嘩に気圧されながら、嵩夢はおずおずと口を挟んだ。

「ま、まあ、りか姉。誰にだって、本気になっちゃうものの一つは、あるものだと思うよ?椿は、それがテディベアだったって事で」

「わーい!たか兄もこう言ってるじゃん!」

 椿は相変わらずの援護射撃に、俄かに笑顔になる。が、もちろん祭華は随分と憎々しげに頬を引き攣らせる。

「ユメ……お前は私に助けて貰いに来たのか、それとも椿を調子に乗らせるために私を説き伏せに来たのか、どっちだ?」

「は、はい!ごめんなさい!」

 嵩夢は全力で謝る。

 その様子に即座に炊こうとしてしまう祭華だが、話が全く進んでない事に思い至り、落ち着く為に煙草を取り出して火を点けた。

「ったく、本当変わらないな……まぁいい。ふぅ……ユメ、灰皿」

「椿のいるところで吸わないでって、いってるじゃないか…」

「う!いつの話だ。たしかに六年前の椿は小さかったから、そういう考えもあったかもしれぬが、今は小憎たらしい立派な娘だ」

「でも、まだ未成年でしょ?副流煙は体に悪いよ」

「ユメ、お前は……!」

 先ほどまでのおどおどした姿といは打って変わり、妙に頑固で融通が利かない。そういうやつだったなと溜息を吐き、祭華は苛立ちながらも煙草を携帯灰皿に押し付けた。

「いいだろう。タバコは苛立ちを抑える為には良いものだ。説教の前に苛立ちを抑えようと思ったが、怒られる当人がその苛立ちを一身に受けたいというのならば、止めはしない」

「はは…お手柔らかに」

 祭華に憎々しげに睨み付けられ、嵩夢は小さく縮こまった。

 その様子を見ながら、祭華は息を吸う。そして一服するだけの時間を置いてから、重々しい口を開いた。

「それはいいとして質問しよう。ユメ、RVSについて知っている事を教えてくれ」

「え?あ、ん~……」

 どれほどの生き地獄に相当する説教がかまされるのかと戦々恐々していた嵩夢は、いきなり当り前の事を尋ねられ、拍子抜けした。

「リアルタイムボーティングシステムは、二百年前に政府が取り入れた、民意反映型の投票システムだよね?十八歳を迎えた国民は、半強制的に投票権を買う。インターネットでのその購入によって、投票を行ったことになる」

「うむ」

「投票は、一人一票。投票された立候補者は、本会議に上がれば政策を主張し、通す事が出来る。その主張が気に入らなければ、投票者は投票を買い直す事が出来る。得票数が少なくなれば、議員は資格を失って、アカデミーに戻される。そうして、議員は自らの政策を主張し、投票者は気に入った政策の立候補者に投票出来る。他には『対立投票』って言う物が有って、法案を出した議員に対して、その議員より得票数の多い議員が待ったを掛けて、その後直接議論を戦わせることができるんだよね?他は……え~……なんだっけ?」

 嵩夢が要領を得ない説明をしていると、祭華は大きくため息をついた。

「…ったく!椿!役職、人数、標準投票価格の順で述べるんだ」

「はいは~い」

 指名を受けた椿は、正座のままずずいと前に出る。

 そして、事もなげに説明を始めた。

「簡潔にいくね~。役職首相、人数は一人、平均価格は三百万円。

 首相を除く閣僚、九人、五百万円。これは内閣と呼ばれるところだね。行政機関だけど、四半期ごとに入れ替わり。首相を除いた、得票数の議員の上から九人で選ばれるよ。

 予備閣僚、十人、四百万円。青年院、五人、百五十万円。ここまでが一応内閣。権限はほとんどなくて、雑用係みたいなモノ。予備閣僚は一応首相と内閣を除いた得票数の多い上から十人で選ばれるけど、青年院は、内閣がアカデミーの中から指名制で選ぶよ。はっきり言って、ここに選ばれないで議員に登るのは難関。それに、ここに選ばれないで、アカデミーから直接議員に上がると目を付けられるから、アカデミーの中にはわざと得票数を落としてアカデミーに留まる人もいるね」

 椿の説明に感心しつつ、嵩夢の様子はおかしい。

「大道寺が……そういう、わざと得票数を落としている一人だね」

「そそ!エリートだね~、エリート」

「エリート…」

 嵩夢は口の中で呟いて下を見た。

 そんな嵩夢の事情を察して、椿はあちゃーという顔になる。祭華は舌打ちすると、不機嫌な顔で椿に説明の続きを促した。

 椿は弱った顔をしながらも、淀みない説明を再開する。

「ま~、ね。有力議員、二十五人、三百万円。

 普通議員、百人、二百五十万円。

 新人議員、五十人、二百万円。

 ここまでの二百人が『本会議』で、自らの法案を通す事が出来るよ。普通議員までは企業とか財閥での組織票があるため入れ替わりが少なく、新人議員五十人の入れ替わりが激しい。

 それは得票数を見ても明らかで、普通議員以上の二百万票以上の得票数に対して、新人議員はアクティブと同じく四十万票程度しか持っていない者も少なくないの。

 ここから下は『アカデミー』と呼ばれる八百人が連なるよ。

 アカデミーの内、上位三百人がアクティブ、大体百万円前後。

 下位五百人はスレイアクティブ、百万円から十万円の間。

 投票数が多くなれば投票権の値段が上がり、少なくなれば値段が下がるシステムなんだけど、最初の補助金が百万円だから、皆アクティブ以上を買うの。得票数も、アクティブが三十万票弱持っているのに対して、スレイアクティブは精々二万票程度しか持ってない。それで、下位での浮き沈みはほぼ無いかな。一度スレイアクティブまで沈めば、浮上はほぼ見込めなくて『アナーキスト』の食い物にされる以外はなくなってしまう」

「お~!椿、凄いね」

「えっへへ~、でしょう!」

 すらすらと諳んじる椿に嵩夢は感心し、褒められた椿も胸を張る。

 しかし祭華の機嫌は悪くなる一方だ。

「ユメは、そんな事も知らずに立候補したのか?」

「あ…い、一応学校の授業程度では習ったけど…」

「ソロか黒かの話をしているのではない。その程度の状態を『知らない』というのだ!」

「ご、ごめんなさい!」

 大音響で怒鳴られて、大きく仰け反った。

 椿はというと、初めて知った情報に目を白黒させた。

「え~!!たか兄立候補したの!?マズイよ、それは」

「やっぱり……僕の立候補はまずいの?」

『ユメは死んだかも知れない』。嵩夢の立候補を指して祭華がそう言葉にしたのを理解し、椿は涙目になる。

「たか兄、スレイアクティブって事はないよね?ノーリンク?もうバーンノーティスになっちゃった!?」

 祭華は、足に縋り付いて来る妹を足で追い払いつつ、落ちるかせる。

「ユメはノーリンクだ。獲得票数は三千票前後。値段は一万五千円前後だったか」

「ほ……一応形にはなってるのね、良かった。てゆーか、良かった」

 椿は本気の本気で胸を撫で下ろした。

 そんな姉妹の遣り取りを前に、嵩夢は呑気に言った。

「りか姉、良く知ってるね」

 その物言いが、さらに祭華の神経を逆撫でる。

「当たり前だ!ユメの値段の下降を止めたのは、私だぞ!幾ら損したと思ってるんだ!」

「ひい!ごめんなさい!」

「まつり姉、そんなお金の話じゃなくても…はは」

「いいや!金の話だ!ユメ!ノーリンクとバーンノーティスについては、知ってるか!」

 怒りに感けていただけの祭華の声が、叱る様な口調に変わった。

 その理由を知っている嵩夢は、はっとした。ゆっくりと息を吸ってから、言葉を吐き出していく。

「ノーリンク……スレイアクティブの下に位置する人達。現在、五千人程居ると言われてる。

 値段は最低価格の一万円から十万円の間。得票数は千票前後。

 活動実績が認められないと、候補者から外されてしまう。

 皆が立候補をしたがらないのは、バーンノーティスに成りたくないから。

 候補者は立候補に際して、投票権を失ってしまう。つまり『国民では無くなってしまう』。そして、失われた投票権…国籍は二度と戻らない」

 嵩夢は一度言葉を切って、伺う様な目で祭華を見た。顔は確認したが、嵩夢は無意識に祭華の表情を認識することを拒んでしまい、下を向いて続ける。

「立候補者である内は普通に扱ってもらえるけど、バーンノーティスになってしまったら、地獄が待っている。まず帝都の居住権を失って、この帝都からは追い出されてしまう」

「……立候補者でなく投票権を買えなかったバーンノーティスは、投票権を買えば市民権を手に入れられる。けれど、買えないのだ。投票権は最低でも一万円し、彼らの収入では買う余裕なんて到底ない。まともな手段ではな」

 祭華の声を聞いて、椿の不安そうな顔を見て、嵩夢は自分が何をしたのかを思い知った。自分の行いが、この姉妹を傷付けた事を知った。

 朱木姉妹の両親は市民権を剥奪され、バーンノーティスとなった。幼かった朱木姉妹も、一緒に帝都の外に追い出された。

 詳しくは知らないが、暫くして朱木姉妹だけ帝都に戻り、米良家に引き取られた。

 祭華はその時の事を語ろうとはしない。強い姉が口を噤む。それだけで、嵩夢には帝都の外がどんな所なのか、まざまざと思い知った気がしたものだ。

「分かるか、ユメ?一万円が出せないのだぞ。お前が一カ月の食事に使う程度の金だ」

「うん……」

 項垂れて自らの膝を見詰める弟に、祭華は本当の姉の様な優しさと厳しさの籠った声で問い掛けた。

 国民の平均年収は百十万円程度。都市に入る事の出来ないバーンノーティスの年収は千円を切る。

「それが分かっていて、お前はなぜ立候補したのだ?」

「それは…」

 祭華に問われ、嵩夢は自分が凄く間違っているような気がした。

 アニメを見続けたくて。

 なんて理由で人生を投げだした自分が、朱木姉妹の両親を殺した犯人なんじゃないかとさえ感じてしまう程に。

 埃の落ちる音さえ聞こえるほど、静かな一瞬だった。

 それでも静寂の中に生まれた嵩夢の小さな声は、必死で、憐れだった。

「好きな事を……人生を奪われちゃう気がして……気が付いたら、立候補してた。でも、全然駄目で、どうしていいのか分らないで、ここに向かってた」

 口にし出すと、もう駄目だった。姉の前に居るという安心感と甘えから、嵩夢の心は止まらなくなる。

「僕は……情けなくて…自分で何も出来ないのが……悔しい。無意識に立候補をしたけど!でも、それだけ真剣なんだな、僕もまだ必死になれるんだなって、ちょっと思った。でも、好きな事の為にだって、頑張れない。何も結果を残せない……本当、僕は、自分が……嫌だ……」

 懺悔にも似た嵩夢の吐露を二人は黙って聞いていた。

 三階下の雑踏のざわめきだけが漏れ入る室内に、嗚咽が満たされてしまった後、姉妹は諦めた様に顔を見合わせた。

 祭華は溜息を吐き、椿はちょっと嬉しそうに困った顔。

「ユメ。お前は馬鹿だ。間抜けだ。情けなくて、お姉ちゃん、涙が出るぞ」

「うん…」

「だが、ただの愚か者ではなかった。勇気ある愚者だ。『大事な物の為には戦え』、そう教えたのは私だからな」

「りか姉…」

「しかし愚かである事は確かだ。お前には知恵が無い。力も無い。一人でどうにかなると思ったのか?私は、お前のなんだ?姉だろ?姉と慕ってくれた日々は、偽りか?姉と呼んでくれるその口は、詐欺師の口か?お前をここに導いた無意識は、虚飾でしかないのか?どうして最初から私を頼らない!」

「違う……違う、僕は……でも、甘えんぼうの僕は、嫌いで」

「だったら、私を利用しろ。それが大人だ、ユメ。頼らないと遠ざけるのは、餓鬼のする事だ。恥ずかしいと目を背けるのは、幼子のする事だ。お前は格好付けのために、立候補したのか?」

「違う……違う。僕は、自分のために……」

「なら、格好を付けるな。恥ずかしがるな。顔を上げろ。敵を睨み付け、その顔に笑顔を縫いつけろ」

「うん」

「私は、お前を馬鹿にして嘲笑う人か?」

「違う!りか姉は!りか姉は、本当……俺の……一番頼りにしてる人で、大事な人だ」

「そうか…」

 祭華は無表情に嵩夢を見詰める。しかし少し安心した表情に思えたのは、嵩夢の思い過ごしだっただろうか。

「むー…」

 一方で捨て置かれた椿はちょっとばかり拗ね気味。

 もじもじし出した嵩夢が面白くなくて、椿は根本的な事を尋ねた。

「てゆーか、自分のためって、たか兄、具体的に何をしようと思って立候補したの?」

「ああ、それはね。大道寺って人が、二次元規制の法案を通しそうだったから、阻止するために立候補したんだ」

「二次元規制法……って、あ~アニメとか漫画を規制するってやつ?てゆーか、たか兄ってそういうの好きだったよね~」

 嵩夢は楽しそうに語り、椿は嵩夢ってそんなんだったなーと、懐かしそうに噛み締めた。

「えへへ。好きというか、ご飯より大事だよ」

「てゆーか、分かる~。私もテディベアが学校より大事だし」

 嵩夢と椿は呑気に笑い合う。

 が、笑えない人物がここに一人。拳を握り、肩を震わせ、声を空気に叩き付ける。

「ユメ!お前は、まだアニメなんて見てるのか!それより、そんな事の為に人生を賭けたのか、この愚か者が!!」

「くはっ!!」

 ドーンと音がしたと思ったら、嵩夢の体は大回転して床を転がっていた。

「ま、待って!りか姉!」

「待たん!そこに直れ、ユメ!」

「ひい!」

 さっきまでのいい姉はどこに行ったのかと呆れたくなるほど、祭華は嵩夢を追い回す。

 椿は懐かしい雰囲気に目を細めた。

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