アニメを守るために、僕を首相にして下さい。というか、助けてリカ姉!

「いっつつ……飲み過ぎたかな」

 事務所兼自宅の寂れたビルの一室で、朱木祭華は目を覚ました。

 脳味噌の奥底が空っぽで、代わりに痛みが在沖している。体も重くベッドがヘドロのように見体をとらえる。熱のないインフルエンザのような症状。首だけ動かして部屋に視線を移し、机の上に並べられた空の酒瓶の量を見るに、この苦しさは二日酔いの症状らしい。

「ああ…実に最悪だな……」

 自分が酒で夜を押し流したのだという事実を知ると、怒りがこみ上げて来た。忘れたかった夜から張れるように、祭華はもぞもぞと起き出す。

 あまり手入れの行き届いていない長い黒髪と、すらりと手足の伸びた長身。着崩したスーツのまま寝ていた彼女は、ジャケットを脱ぐとベッドに放り投げた。

 彼女は朱木祭華。二十八歳のアナーキストだ。

「これも懐かしい名前を見たせいだな。しかも、そいつが特大のバカのままだという。会うこともないと思っていた生き別れの弟の死体を、送りつけられたみたいな気分だ」

 本当に腹が立った。幼い頃から自分を慕っていたあの子が、まともに生きていない事は分かっていたが、それでもなお、考えうる最悪以下になっていたとは。

「この国は上流階級でもない限り、まともに生きられない。それは分かっているさ。でも市民権さえ持っていれば、中流でいられる。それなのにあの子は、バーンノーティスにでもなるつもりか!」

 バァンと、怒りに任せて扉を開いた。

 八つ当たりをしても詮無い事は分かっているが、祭華としては、そうでもしないと苛立ちを消す事は出来なかった。

「あ、まつり姉。起きたの?てゆーか、機嫌悪いまま~」

 部屋から出て事務所兼リビングに入ると、年若い少女が祭華を出迎えた。

 朱木椿。祭華の十一歳年の離れた妹で、十七歳の高校生。

 今日は平日で、現在時刻は昼の十二時近い。彼女は学校に居るはずである。

「……椿、なんて居るんだ?学校は?」

「出席足りてるし大丈夫~、てゆーか!今日は限定モデルの発売日だから、ちゃんとしたパソコン使わないと」

「また人形か」

 祭華は頭を押さえた。酒で痛かったこめかみが、椿の言葉で更に脈打つ。

 椿はテディベアオタクで、かなりの数を集めている。

 今日もテディベアの発売日らしく、わざわざ学校を休み、ラグの起きない性能の良い事務所のPCでネット注文を行おうとしているらしい。

「ひっどー!テディベアは人形じゃないもん。てゆーか、人形を馬鹿にするの止めてー?」

「椿、今頭が痛いんだ。喋るなら無音でやってくれ」

「は~!ひっどーい、言い方」

 祭華は文句を言い続ける椿を無視して台所に入る。台所と言ってもパーテーションで仕切られただけの流しだが。

 七階建てのビルの四階の1LDK。一室を祭華が自室として使い、リビング部分を事務所として活用している。同じフロアの隣の部屋が、妹の椿の自室だ。

 コーヒーを用意して一口啜ったところで、リビングから椿の声がした。

「てゆーか、まつり姉って、今日パソコン使う?」

「学校に行かないから、馬鹿になったのか?私はアナーキストだぞ?パソコンを使わないで、どうやって食べていくんだ。お前のバカ高い学費を出すんだ。ついでにお前の投票権の金もだ」

「ひっどー。私は高性能パソコン使うのかって聞いてるんだよ。てゆーか、投票権なんて補助金の中で買えるのでいいし」

 口を尖らせる椿に対して、祭華は言いようのない怒りを感じた。ただ、それは椿ではなく弟に感じた義憤であると思い直し、首を振る。代わりに冷たい息を吐いた。

「椿、お前はユメの様になりたいのか?」

「たか兄?たか兄がどうしたの?」

「いや、何でもない。あいつは死んだのだ」

「え?へ?」

 混乱する椿を他所に、祭華はコーヒーの苦さに顔をしかめた。

 それでも自虐するように、有り得ない夢を吐いた。

「でも、そうだな。ユメがまだ『生きて』いたら、高性能のパソコンを使う事になるかもしれないな」

「い、生きてるの?死んでるの?どっち!」

 椿はかなり混乱している。涙目になりながら、パーテーションを押し退けて祭華の言葉を待つ。

 とはいえ、祭華とて確実な事などなく、苦に現実に甘い推測を混ぜる程度のことしかできない。

「さぁ?あいつが馬鹿なりに賢くて、度胸があって、まだあまえたで、私の事が好きなのなら、あいつは生きてる。でもきっと、そんな事はないだろう」

「え?あ?ん~?まつり姉、酔っぱらってるの?」

「……そうかもな。少なくとも寝ぼけている。有り得ない現実を見て、有り得ない馬鹿を見て、酒を飲んだ。現実を忘れるしか出来ない自分に、怒りを覚えたよ。いつも私を頼ってくれていた弟が殺される所を見て、何も出来なかった」

「それはまぁ、ご愁傷さまで……ん?」

 たまにおかしくなる姉の相手は止めて、椿はリビングの方に戻った。

 なんだか懐かしい足音が上がってくるのを聞いた気がしたのだ。

「昔の夢を見てるみたいなんだよ。今だってそうだ。昔みたいに階段を上がってくる大きな足音がして、大慌てで扉が開く。そうしたら、泣きべそを掻いたあいつの姿が在るんだ。そして、あいつは言うだろうな―――」

 バァン!!

「助けて!りか姉!」

「助けて、りか姉って……って!え?」

 懐かしい怒りを感じて、祭華は言葉を失ってしまった。

 一方、椿は予期していなかった訪問者を満面の笑みで迎える。

「あ、たか兄久しぶり。生きてたんだ。てゆーか、びっくりした……って!まつり姉!コーヒーー溢してる!!」

 くしゃくしゃの泣きべそで事務所に飛び込んできたそいつは、五年前に別れた弟だった。

 祭華は昔とリンクする映像に、現実と夢の区別を無くしてしまったのかと疑った。しかし溢したコーヒーの熱さは本物だし、泣きべそも随分と年を取っていた。

「米良嵩夢!!!お前、今すぐそこで正座しろ!!!自分が何やったのか分かってるのかあああああああああああ!!!」

「ご、ごめんなさいいいいい!!!」

 朱木選挙事務所に大きな声が響いた。

 それは怒りと叱責と少しの喜ばしさの混じった、祭華も久しぶりに出す声だった。

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