この国を救うために僕を首相にしてください!アニメ規制なんて絶対にさせません

月猫ひろ

50億円の裏金クラウドファンディング

 六畳ほどのその部屋は、とても埃っぽく暗い掃き溜めだった。おおよそ人の住む場所ではないというのが、常識的な人の抱く正直な感想だろう。

 ゴミ屋敷のように衛生的な嫌悪感が沸き立つ訳ではなく、生気を感じさせない綺麗な廃墟というたたずまいが忌避感の原因だ。

 物が置いてある訳ではないので小奇麗にも見える。電気は付いておらず、カーテンも閉め切っていた。

 まるで宿主の外界を拒否する殻の如き精神性を記号化したよう。

 秋だというのに冷房の利いたワンルームを見るに、住人は相当の暑がりなのかと推察してしまうが、真実を語るとすれば言葉を変えなくてはいけない。

 この部屋の唯一の住人である米良嵩夢は、初めて会った人には女の子と間違われる位に小柄で瘠せ型。厚い脂肪や筋肉に守られる事のない内臓は、どちらかというと寒がりである。事実、彼は今現在寒さに震えながら、毛布に包まっている。

 なぜそんな精神的にも地球環境にも無駄な事をしているかとを述べると、この部屋の唯一の明かりである大型のパソコンの為に必要な行為だからである。

 一日中稼働しているこのパソコンは、ゴウゴウと冷たい空気を吸って、熱い排気を吐き出し続けている。酸素のほとんどを消費しつくす星の獣のごとき蛮行。この部屋の主は俺だと言わんばかりの不遜さである。

 嵩夢自身も逆転状態に疑問を持っていないらしく、一日中キーボードを操作する姿は、甲斐甲斐しく主の世話をする従者のようであった。

 布良嵩夢は二十二歳の大学生である。と言っても、大学には殆ど行ったことがなく、自分が何年生なのかも分かっていない。引き籠りのほぼニートだ。

 両親が離婚したことを期に一人暮らしを始め、以来、外と関わりを持たずに生命活動を続けている。

 収入もほとんどないそんな彼が、どうして豪華なパソコンを持っているのかといえば、投票権を安く済ませたからに他ならない。

 リアルタイムボーティングシステム。RVSと呼ばれるこのシステムは、二十一世紀、『国民全員の意思を明確に政治に反映させるために』という号令の下に施行された、国債償却のための公共事業である。

 所謂ネットで投票出来る仕組みで、正月三が日を除く三百六十二日、二十四時間投票が出来る事と、投票権には値段が付いている事が画期的だった。

 二百年前の政府は当時三億人居た国民全員に、百万円の補助金を出した。代わりに百万円の投票権の購入を義務付け、投票権を以て市民権と定めたのだ。つまり政府はほぼ一円も使わず、三十兆円の資産を生み出した事になる。

 投票権の取引は政府が作った専門機関『投票権取引所』…通称当局のHPを通じて行われる。政府が投票権取引を許した唯一の機関であり、リアルタイムで変動する投票権の値付けもここが行う。

 当局が設定した最初の投票権は一律百万円で、実質補助金は投票権にそのまま変換された。しかし二百年の時が進むにつれて、状況は様変わりすることとなる。

『国民』は当初の三億人から一億人にまで減少。相関して投票権は高騰し、平均的な投票権の値段は三百万円になったのだ。物価も三倍に上がっており、二十一世紀当初と比べると、実質的に有効な投票権購入の為には九百万円が必要であり、つまりは金のないものは、まともな政治参画など望むべくもないのだ。

 だから嵩夢のような名前もない若者は、無理して百万円周辺の投票権を買うのではなく、数万円にまで値下がりした投票権を適当に買い、補助金との差額を懐に入れるのが一般的になっていた。

 それで何が困る訳でもない。値段がいくらだろうと、投票権さえ持っていれば市民権は得られるし、一千万円の投票権を持っていたところで一票は一票、自分の好む候補者に投票は出来るが、政策に口出しが出来る訳でもない。出来る事といえば、その候補者への投票を止め、他の候補者に投票し直す事だけだ。

 だからお金の無い嵩夢は安い投票権を買い、差額をパソコンと生活費を稼ぐ元手にした事を気にしてもいなかった。寧ろ、お金が手に入ってラッキーとすら思っていた。

 今日動画サイトをあさっている時に、アカデミーのあの演説を見付けるまでは。


「皆様こんにちは。大道寺大智です。今日は学術研究会に御立ち会い頂き、大変ありがとうございます。ま、堅苦しい挨拶はこの位にしておきましょう。思慮分別のある皆さんは、ニュースを見ているかと思います。であれば、この話も知っているでしょう。

 私が押し進めている政策の通り、部活動はこの国の青少年の心を破壊し、社会システムを歪め、多くの人生を壊し、この国を無能な集団に貶めてしまう。

 例えば部活は勉強もせずに野球だけをしている大学生を肯定します。その少年がプロ野球やスポーツ関連の職に就くならいいでしょう。ただその多くは分数すらできないまま、根性論しか知らない社会人として放流されます。既にそういった無能な人間は社会に入り込んでおり、新しく生まれた無能な人間を社会に引き込むシステムとなってしまっています。そういった人たちは知的行為や他人の教育などできるわけもなく、できることと言えば足を使った営業活動のみ。つまりはその結果が根性論で武装された営業偏重のこの社会という訳です。

 頭を使わない社会。それこそがこの国を衰退させた根本です!

 そんな事で……いえ、止めておきましょう。ここは怒りをぶつける場ではない。しかし俺はこれ以上、この問題を見過ごせないと考える。

 だから問題解決のために政策を訴えてきました。それでもまだ問題の解決には至ってません。

 だから!新しい政策を提案しようと思います。アニメ規制です。知ってますか?テニスアニメが流行ればテニス部が倍増し、バレーアニメが流行すればプロを目指すものが急増する。

 空虚な努力に共感し、虚無な仲間の絆に憧れる。やるべき自己研鑽を放り出し、青春の汗という中身のないもので重大な時間を浪費する。そして生み出された中身のない人間が社会に吐き出され、価値のない社会が紡ぎだされてしまうのです。

 憤る方もいるだろう。義憤に駆られる方もいるだろう。正しき悲しみの涙に濡れる方も少なくない筈だ。俺もだ!であるからこそ、俺は今主張したい。

『二次元規制法』を!アニメを規制し、この国を腐敗させる部活の下地を封じる。そして、ゆくゆくはこの国の構造・あり方を変える!そうしなければこの国の再生はない!

 しかしアニメ業界には利権がはびこっており、すぐに手を付けることは難しい。根回しのために裏金50億円が必要です!そのために法案のクラウドファンディングを行います。

 みなさんからの資金が集まり次第根回しを行い、法案も通しましょう!

 ぜひ、お力添えを!

 貴方は架空の世界に捉われ、未来の子供たちを泣かせたい鬼畜か?自分さえ痛くなければ笑っていられる人でなしか?違うだろう?だったら俺に投票してくれ!そうすれば、この世界の悲しみ、傷痕の多くを、この俺が消してみせる!!」


 この演説を見付けた衝撃は、生半可な物ではなかった。足元が揺れ、踏ん張っていなければ床の下に陥ってしまいそうなほど。

「え……嘘でしょ!そんな事になったら、僕はどうやって生きていけばいいんだ!?」

 表現規制。昔から何度も議論されてきた事だ。アカデミー筆頭の大道寺大智は、そんな使い古された剣を抜き、世間からの批評の場に打って出たらしい。

「大変な事になってきたんじゃないか……」

 候補者が法案を掲げ、動画や配信などで支持を訴えるのは自由だ。刑法に反しなければ、どんな法案でも許される。新しい税金を導入するでも、移民を規制するでもなんでも。結局は市民がそれを見て賛同し、投票権を購入するか否かだけの問題なのだから。

 別にアニメを含めた表現期生の法案を掲げる人は少なくはない。アニメ好きな人が事件を起こしたからだの、息子がアニメにはまりすぎてるから禁止したいだの、陰キャの文化が気に入らないだの、いろいろな理由をつけて禁止法案を出している人はいるのだ。

 そんなありきたりな表現規制法案に対して、ここまで嵩夢が危惧を強くするのには理由があった。

 今回表現規制を引っ張り出してきたのは、大道寺大智というアカデミーだ。年若く、見目麗しく、言いたい事をはっきりと主張する彼は非常に人気があり、遠くない時期にアカデミーから本会議に上がると言われている。

 いや、本来本会議に上がるだけの票を集める事は容易だが、『青年院』に上がるために、仲間に分散して投票権を管理しているとの噂。50億の裏金位すぐ集まるだろうし、内閣、首相となる事すら遠い未来と言えず、そんな大道寺の主張はかなりの確率で通ってしまうはずだ。

 一応、対抗手段があるにはある。大道寺に反対したいなら、彼の対立候補に頑張ってもらうしかない。『表現期生反対』の法案を掲げる対立候補が大道寺を上回れば、規制を止めること自体は可能なのだ。

 ただ――

 飛ぶ鳥を落とす勢いの大道寺を気に食わない立候補者も当然居て、彼に噛み付く者も多かった。しかし奥様方に絶大な人気を誇る大道寺が、ああいう主張の仕方をしてしまうと、対立候補の肩身は狭くなってしまう。

 あるものはネット討論会で、あるものはSNSで、あるものはアカデミーのディベート会で、大道寺に論を破壊され、そして大道寺の支援者達に徹底的に叩かれて潰された。結果として、少なくないものがノーリンクやバーンノーティスとまでなってしまったのだ。

 大道寺に戦いを挑んだ蛮勇達は消え、静観を決めた臆病者達は矛先を変えた。今ではまともに機能している対立候補は、アイドルの悠里なぎだけである。

 しかも、それは男に人気のある彼女が、大道寺と投票権の住み分けが出来ているというだけで、大道寺を止める力には決してなりえない。

「どうしよう……それでもなぎさちゃんに投票出来たら……ああ、僕はなんて事をしてしまったんだ……なぎさちゃんの投票権は三十万円…そんなお金、用意出来ないよ…」

 アニメがなければ生きていけない事を自負している。昔からアニメが好きだった。苦しい時期を救ってくれたのもアニメだった。

 そのアニメが無くなる。人気が無くて消えるのではなく、法として規制されて一瞬にして消えるのだ。

 痛みを伴う激しい耳鳴り。モノクロに先鋭化する資格と、鋭く消えていく触覚。手足が脈打つ鼓動と震える。不幸のごとき後味の悪さに舌が痺れ、止めどなく涙が溢れていた。

「嫌だ……そんなの嫌だ……」

 うわ言の様に繰り返す嵩夢は、無意識のままマウスとキーボードを叩く。気が付くと、あるサイトの画面を開いていた。

 彼に唯一残された対抗手段は――

 ――市民権を放棄して自身が立候補することだけだと確信して。

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