神のアトラス

佐藤子冬

「神のアトラス」とは何ぞや?

 動画で視て学んだことでお恥ずかしい限りであるが、米国のロックフェラーセンタービルにはある壁画があるそうだ。


 それは巨人が天を支える画である。もう少し細かく語ると巨人を人間が支え、巨人は天を支えている。天の周りには航空機などが飛び交っている。動画解説者の方はこの様なことを語られていらっしゃった。


 巨人とは米国の経済的成功者であり、人間は労働者であると。天を支える意味合いは世界を支える意味合い。航空機などは米国が世界の産業の中心となり、世界を主導する上で競争力、科学技術を牽引していくものである。


 解説は流石にも判りやすかった。日本の文化の先駆者の一人という名は伊達ではないと感じた。


 しかし、この壁画が描かれたのはもう九十年近く前の話なのである。現在米国は皮肉にもかつて否定したナチズムの優生学が一部の能力主義において極めて有力であると実証しつつある。


 ここで我々はアトラスについて再定義しなければならないと感じる。


 故に具申するのみである。


 米国の建国者の一人でトマス・ジェファーソンは独立宣言において「米国は創造主の意志によりて建国されて」いると述べている。ここで語る創造主とは神の定義に該当する。尚、正確な引用を探したところ、福澤諭吉先生著の「西洋事情」より引用するべきところは恐らく「人生已ムヲ得ザルノ時運ニテ、一族ノ人民、他国ノ政治ヲ離レ、物理天道ノ自然ニ従テ世界中ノ万国ト同列シ、別ニ一国ヲ建ルノ時ニ至テハ、其建国スル所以ノ原因ヲ述ベ、人心ヲ察シテ之ニ布告セザルヲ得ズ」「余輩天道ノ扶助ヲ固ク信ジテ、幸福ト栄名ヲ此一挙ニ期シ、死ヲ以テ之ヲ守ルモノナリ」だと推測される。

 米国は神の意志によって建国された。これは米国民を精神面で強く支えると私的に肯定する。


 この事実は優生学により伸し上がった成功者がもしナチズムの理論を実証してしまった際、極めて対立を呼ぶものと推移される。


 故にアトラスの意義を再定義するべき時が来たのではないかと考えたのみである。

 アトラスはギリシャ神話にて世界を支える巨人として登場する。西洋においてギリシャ神話とラテン神話は高等教育の一環であり、知識人には欠かせないものであるからだ。つまり知識層には絶対不可欠の教養そのものなのである。

 故にアトラスの概念そのものを否定はしない。


 ここでいう再定義とはキリスト教における再定義なのである。


 端的に語る。アトラスは「神のアトラス」として機能するなら問題はない。これは優生学の回避論としても使えるのである。


 ナチズムの代表者ヒトラーが掲げた優生学は能力面を重要視する。


 対して私個人の理論は「神の優生学」とでも皮肉れば善いのだろうか。能力面を重要視しない。

 歴史的な面で話をする。初代ロックフェラーは能力面で優れ、数々の成功を打ち立てて行った。ロックフェラー・ジュニアはどうであったか? 実は彼は実業者よりも福祉者としての面が強かったのである。しかし、ロックフェラー財団の遺産の多くはロックフェラー・ジュニアの整理した功績がある。つまり、能力ではない。人間として正しい判断が下せるかどうかの問題なのだ。

 ここで言う良心はキリスト教の理念と強く強固に結びつく。

 アトラスは寄付が信条とする方々も多い。米国の寄付の理想はソビエトの平等主義とは異なると主張される。個人の良心に任せた極めて自主的で能動的側面を持つものとして語られる。これ自体はとても良い理念である。

 

 もう少し話を進めよう。成功者の多くは寄付を好んで行う。しかし、新自由主義になってから少し色あせている。簡単に言えば資本家が自らの利益のみの為の見せかけの寄付が増えたのだ。このことは米国の民主主義に深い傷跡を残している。


 では、「神のアトラス」とは何か? 


 要約すれば選挙において労働者がキリスト教的に或いは良心的に正しい人間を選出する過程にして結果なのである。労働者は法に従う必要性がある。社会秩序の為にそれは欠かしてはならない。他方で独立宣言にはこうも記されている。

「市民は政府が機能不全の陥った時、これを糺す権利もある」

 私個人の記憶の正確な訳文ではないが大体こういう文章であったかと記憶している。

 この正確な引用は福澤諭吉先生の「西洋事情」において以下となる。

「人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ真ニ権威アルト云フベシ。政府ノ処置、此趣旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ或ハ之ヲ倒シテ、更ニ之大趣旨ニ基キ、人ノ安全幸福ヲ保ツベキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ」

 この対立を現代において我々はどう解釈し直すか迫られている。民主主義が腐敗し、帝政に移り行くのは歴史の性である。共和制ローマが代表者そのものである。しかし、歴史は完全に同じことの繰り返しという訳にはいかないのである。労働者は「神の愚かさ」に従わないアトラスを代替する権利を民主主義において常に保有するということである。「神の愚かさ」とは何であろうか。それは決して人の賢人ではない。神の提供する人に与えし最大の譲歩なのである。知識を得た種族はことごとく間違いを犯す。それ故に人間には神が必要である。確かに神の解釈故に戦争を起こす事例も後を絶たない。しかし、それを解決するのも又「神の愚かさ」なのである。「神のアトラス」達が正しく機能すれば世界は少なくとも衆愚政治には陥らない。この具申を以て終える。

 最後に私が何故端的に解釈したのかの理由を述べる。一言で終えるなら「議論させる為」である。「神のアトラス」が何たるかを決めるのは私の様な部外者ではない。米国民が知識を貪欲に吸収して論議を重ね決定していく。これこそ肝要なのだ。かつて米国は建国前に個人による契約論を打ち立てた。これはその時代において画期的な発案であった。今の米国民も同じである。より創造的な考えが求められている。

 

 私がここで書いたのは米国民に対する提唱ではあるが、我が国に対しても同じことを語る。議論は必要である。


 その果てに創造的理論を生みだすのである。


 注意点:引用文は青空文庫の独立宣言を引用。米国情報センターの情報を参照し、該当箇所を推定。米国情報センターの文章は執筆の場において引用可能か不明な為に今回は著作権切れの福澤諭吉先生の「西洋事情」により抜粋。手書きで引用した為に誤字脱字あった時は謝罪いたします。

 この引用を書くに当たり米国情報センターの先生方及び慶應義塾大学の方々に感謝をお伝えいたします。尚、方々とお伝えしたのは慶應義塾大学におきまして先生の呼称が許されているのは福澤諭吉先生のみと聴いたことがありましたのでここに改めて文の意味をしたためます。

 又、動画配信者の岡田斗司夫先生につきましても勝手に掲載してしまいまして失礼いたしました。岡田斗司夫先生の無料解説動画が本著作に多大なる影響をお与え下さいましたことをここに謹んで感謝申し上げます。


                      -了-

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